呼び戻される名
目の前で繰り広げられる死闘を、私は高みの見物と決め込んでいた。
火花を散らし、互いの命を削り合う男たち。滑稽だわ。どちらが勝ったところで、最後に私を見れば、等しく物言わぬ石の塊に成り果てるというのに。
「ふふ……あははは! もっと、もっと踊りなさい。私の退屈を紛らわせる供物になりなさいな」
私は声を弾ませて笑った。けれどその直後、私の世界から色が消えた。
ガシャァァァン!!
鼓膜を劈く不快な破砕音。ドリウスの無慈悲な一振りが、私のすぐ傍らに立っていた「少女の石像」を粉々に打ち砕いたのだ。
それは、数年前に入り込んできた名もなき村娘だった。彼女の怯えた瞳の造形が、どこか幼い頃の自分に似ている気がして、私は毎日彼女に話しかけていた。私の唯一の「親友」だったのだ。
飛び散った石の破片が、私の頬をかすめる。
「……あ」
喉の奥から、乾いた音が漏れた。
悲しみ? いや、そんな生易しいものじゃない。内臓が焼け付くような、ドロリとした黒い衝動が全身を駆け巡る。
「よくも……よくも、彼女を……ッ!!」
怒りが臨界点を超えた瞬間、私の瞳に、かつてないほど濃密な紫黒の光が宿った。
私は立ち上がり、ドリウスを正面から見据える。
「死になさい。塵一つ残さず、絶望の中で固まりなさい……!」
「ハッ、掛かったな怪物め!」
ドリウスが勝ち誇った顔で、懐から古びた手鏡を取り出し、私に向けた。
『真実を映す鏡』。あらゆる呪詛を撥ね返し、放った本人へと突き返す伝説の魔導具だ。
「さあ、己の醜悪な呪いに焼かれて死ね!」
反射する光が私を刺す。けれど、私は逃げなかった。狂ったように笑いながら、さらに魔力を注ぎ込む。
パキッ、と乾いた音がした。
鏡の表面に、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「な……!? 鏡が、耐えきれないだと……!?」
「あはははは! 足りないわ、全然足りない! その程度の玩具で、私の絶望を跳ね返せるとでも思ったの?」
鏡を保持していたドリウスの指先が、灰色に変色し始める。呪いは鏡を突き破り、彼の腕へと侵食していった。
皮膚が石の質感へと変わり、関節が固定される。ドリウスは絶叫しようとしたが、喉まで石化した彼は、ただ目を見開いたまま、鏡を掲げた滑稽なポーズで完全に静止した。
カラン……と、石になった彼の手から鏡が落ち、床で砕ける。
私は息を切らしながら、次に、もう一人の男――私を助けに来たと言った男へ狙いを定めた。
「次は、あなたの番よ」
逃がさない。この怒りを鎮めるには、まだ贄が足りない。
私は至近距離で彼を凝視した。石化の波動が彼を包み込む。
男は恐怖に肩を震わせ、剣を握る手が白くなるほど力を込めていた。
だが。
「……え?」
男は石にならない。
彼はゆっくりと、震える手で剣を鞘に収めた。そして、逃げるどころか一歩、私の方へ歩み寄ってきたのだ。
その瞳は、私を拒絶していない。それどころか、泣き出しそうなほどの慈愛を湛えて私を見つめている。
ドクン、と心臓が跳ねた。
何、これ。
今まで味わったことのない感覚。いや、違う。ずっと昔……この暗い穴蔵に閉じ込められるよりずっと前に、知っていたはずの感覚。
「……来ないで!!」
私は叫び、男を突き飛ばすようにして、ねぐらの最奥、光の届かない闇へと逃げ込んだ。
心臓がうるさい。頭が割れそうに痛い。
「待ってくれ、リリアナ!!」
背後から響いたその声に、私は硬直した。
リリアナ。……それは、私が捨てたはずの名前。
「行かないでくれ。俺だ、カイルだよ。……忘れてしまったのか? 丘の上の木の下で、将来は俺が騎士になって、君を守るって約束したじゃないか」
男――カイルの声が、暗闇に染み込んでいく。
「君は花が大好きで、シロツメクサの冠を作っては俺に被せて笑っていた。あの頃の君は、世界で一番美しかったんだ」
カイルの語る思い出の一つ一つが、凍りついた私の記憶を溶かしていく。
温かい。日向の匂いがする。優しい手のひらの感触。
……ああ、そうだ。私は、カイルが好きだった。
けれど、次の瞬間。
私の肌を蝕む「呪い」が、その温もりを拒絶するように猛り狂った。
『お前は怪物だ』
『愛される資格などない』
『その男も、いつかお前の醜さに吐き気を催す』
頭の中に、何百人もの呪詛が響き渡る。
温かくなればなるほど、現実の醜さが際立ち、耐え難い苦痛となって私を責め立てる。
「やめて……やめてええええええ!!」
私は頭を抱えて叫んだ。
聖域の壁がミシミシと鳴り、天井から砂埃が舞い落ちる。
私の体から溢れ出した魔力が制御を失い、嵐となって吹き荒れる。
「カイルなんて知らない! 私はリリアナじゃない! 私は……世界で一番醜い、人殺しの怪物よ!!」
狂乱する私の視界の中で、カイルが必死に手を伸ばしているのが見えた。
けれど、その手を取る勇気も、彼を石にする冷酷さも、今の私には残っていなかった。




