石の庭園
視界の端に映る指先は、どす黒く変色し、ひび割れた岩のような質感を帯びている。
鏡を見る必要なんてない。私に触れた花は一瞬で灰になり、私を見つめた者は、そのあまりの醜さに絶望して命を落とす。この薄暗い聖域の床に転がっている無数の「石像」たちが、何よりの証拠だった。
かつては、彼らも私を「聖女」と呼び、縋るようにこの奥座敷を訪ねてきたはずだ。けれど今では、誰も来ない。たまに迷い込む羽虫さえ、私の肌に触れる前にボトボトと石の礫となって落ちていく。
そんな静寂を、無遠慮な足音が切り裂いた。
「……あら、久し振りのお客ね。もう誰も来ないと思ってたわ」
私は顔を伏せたまま、自嘲気味に笑った。声だけは、まだ人間の女の形を保っているのが、かえって残酷に思える。
入り口に立つ男は、重厚な鎧を纏い、腰に一振りの剣を下げていた。騎士だろうか、それとも名声を目当てにした冒険者だろうか。
「俺は君を助けにきたんだ」
その言葉に、胸の奥がチリりと焼けるような感覚を覚えた。助ける? この、呪いそのものと化した私を?
私はわざと、彼の足元に転がっている、かつての騎士だった「石」を指差した。
「ふふふ……無駄よ。周りが見えないの? み~んな私のあまりの醜さに狼狽して、命を失ってしまうのよ。凄い力でしょ? 私の顔を見れば、あなたもすぐに彼らと同じになるわ」
「彼らは死んでいない。生きている」
男の声は、驚くほど静かだった。
「石になっただけだ。……違うか?」
「同じ事よ。動かず、語らず、ただの置物として永遠を過ごす。それが死でなくて何だというの」
「違う。君が醜いからじゃない。君が無意識に呪いをかけ、彼らを石にしているだけだ。君自身の意志ではないはずだ」
一歩、男が歩み寄る。私は反射的に後ずさった。呪いが彼に届いてしまう。彼まで石の塊に変えてしまうのが、何故か恐ろしかった。
「嘘よ……! 私のこの姿を見て、そんなことが言えるはずがないわ」
「本当だ。君自身も、その強大な呪いに侵食されているだけなんだ。……さあ、これを飲んでくれ。そしてここから一緒に出よう」
男が差し出したのは、銀の小瓶だった。中には淡い琥珀色の液体が揺れている。
毒だろうか。あるいは、私を殺すための聖水か。
「ふふ……そんな見え見えな誘い。それに、怪物が暗いねぐらでじっと殺されるのを待っているとでも思ってるの? 都合よく英雄が来るまで、いい子にしてるなんて冗談じゃないわ」
私は、彼の誠実そうな瞳を汚してやりたくなって、昨日の記憶を突きつけた。
「残念ね。み~んな気晴らしに街に出るのよ。……昨日もそう。あなたの噂を街で聞いたわ。私を殺そうとしてる人間がいるってね」
男の表情が、一瞬で凍りついた。
「……どういう意味だ? 街で聞いた、だと?」
「とぼけちゃって。つい昨日の話よ。酒場の隅で、誰かが私の首に賞金を懸けていたわ」
「昨日だと……?」
男の顔に、明らかな動揺が走る。彼は何かを言いかけ、そして――周囲の空気が変わったことに気づき、鋭く背後を振り返った。
ガサッ……。
柱の影から、もう一つの人影が滑り出る。
「あら。……あっちも、あなたのお仲間かしら?」
私が問うと、男は忌々しげにその名を吐き捨てた。
「……ドリウス」
新しく現れた男――ドリウスは、冷酷な笑みを浮かべていた。その瞳には、私に対する恐怖も、男が抱いていたような憐憫も微塵もない。ただ、獲物を品定めするような、不気味な光が宿っている。
「その女の首は、俺が頂く」
「そうはさせるか!」
私の目の前で、助けに来たと言った男が剣を抜いた。金属音が静かな聖域に響き渡り、火花が散る。
「二度は言わん、去れ」
ドリウスの冷徹な声に対し、男は咆哮した。その背中は、私を呪いの源としてではなく、一人の守るべき人間として扱っているように見えた。
「彼女は誰にも触れさせない! 特にお前のような、デランドの手駒なんかにはな――!!!!」
激突する二人の影。
昨日、街で感じた喧騒。そして、男が漏らした「昨日だと……?」という困惑。
すべてが混ざり合い、私の視界は白く染まっていく。
私が本当に醜い怪物なのか、それとも。
答えを知る間もなく、聖域の闇の中で、死闘が幕を開けた。




