ちょっと断罪しただけなのに!
オルタンスは苛々していた。
少し前に、人の婚約者に色目を使ってきた男爵令嬢エロディを公の場で断罪して、すっきりした気持ちでいたのに、だ。
これで全ては元通り。そう思っていたのに!
「なんでうまくいかないんですの……!!」
頭を掻きむしりたいのをぐっとこらえる。仮にも侯爵令嬢がみっともない行動はできない。
例えここが自室だったとしても。
「ちょっと断罪しただけではありませんか!」
そもそも、人の婚約者と良い仲になろうとするから悪いのだ。オルタンスに非は一切ない。どころか正当防衛ですらあったと思う。
なのに、なのに、なのに!
「学友たちには遠巻きにされ、ベルナール様には距離を置かれ、両親には腫れもの扱い! どうしてですの?!」
学友に遠巻きにされる。これは別にいい。交友関係に未練はあまりない。
取り戻したはずの婚約者ベルナールに距離を置かれる。これは納得できない。彼はオルタンスを愛しているはずなのに、なぜ以前のような仲に戻らないのか。
学園で大騒ぎを起こしたからと、両親からはきつく叱られた。これも納得できない。彼女は立場をわきまえずつけあがった男爵令嬢に、現実を見せただけだ。
現状がなにもかも気に食わない。
貴族令嬢にあるまじき乱暴な仕草で、ソファにどかりと座って、ふてくされる。
クッションを抱きしめてぶつぶつと文句を連ねていると、部屋の扉がノックされた。
頭を切り替える。ヴァンドーム侯爵家の令嬢としてふさわしい気品ある声音で入室を許可すると、メイドが扉を開けた。
ソファに座るオルタンスの傍まで近づいたメイドが、白い便箋を差し出す。赤い封蝋に刻まれた形に見覚えはない。
「お嬢様。お手紙が届いております」
「手紙?」
「はい」
恭しく差し出された手紙を受け取って、メイドに下がるよう告げる。扉が閉まったのを確認し、勉学に使う机へと移動する。
ペーパーナイフを手に取って、慣れた仕草で手紙を開封した。
中には一通のこれまた真っ白な紙が入っている。そこにはただ一言。
『絶対に許さない』
と、見慣れない文字で書かれていた。男の字ではない。丸っこい字は女の筆跡だ。
「諦めの悪いこと」
ふんと鼻を鳴らしてオルタンスは文字の書かれた紙を便箋に戻し、引き出しに閉まった。
差出人の名前はないが、十中八九オルタンスが断罪したエロディからの恨みの手紙だ。
「ああ、でも、これは使えますわね?」
にやりと笑ってオルタンスは一転して上機嫌に笑う。
この手紙があれば、今の窮屈な立場を覆せる。そう思ったから。
「本当です! わたくしの元に脅迫文が届いたのです!!」
オルタンスが最初に被害を訴えたのはベルナールだ。
学園でどうにか彼を捕まえて、しくしくと涙を流しながら伝えると、ベルナールは露骨に眉を潜めた。
「お前のことだ、恨みを買うようなことをしたのだろう」
「きっとエロディ様です! わたくしを恨んでおられるのです!」
これで同情が引ければ、以前のように良くしてもらえる。そう、オルタンスは信じて疑わなかった。
だが、彼女の訴えを聞いたベルナールはゴミでも見るような視線で彼女を睨む。
「当たり前だろう。あんなことをして、恨まれないとでも思っているのか」
「……え?」
「彼女とはただの学友だった。お前が早とちりをして暴走したのだと、何度言えば」
嘘だ。あんなに親しげに隣に置いて、にこにこと笑っていたではないか。
エロディはオルタンスが享受できるはずだった、ベルナールからの愛を横取りして笑っていた悪女であったのに。
予想外にも責める言葉を告げられて、目を見開く。
そんな彼女を置いて、ベルナールはさっさと姿を消してしまった。追いすがる気は、起きなかった。
「どうして……」
オルタンスの行動は正当防衛だ。
奪われかけたから、奪い返した。
ただ、それだけなのに。
「っ! まだまだ気落ちするのは早くてよ!」
ぱん、と両頬を軽く叩いて気持ちを入れ替える。いまはベルナールも動揺しているのかもしれない。
ならば、周囲から固めていけばいいのだ。
「お父様! わたくしの元に届いた手紙なのですけれど、脅迫文だったのです!」
厳格だけれど、幼い頃からオルタンスを可愛がってくれている父に訴える。
問題の手紙を自室から持ってきて渡した彼女に、父親は浅く息を吐いた。
「当たり前だ。お前はやり方を間違えたのだから」
「え?」
「パーティー会場で一方的に詰め寄るなど、貴族のやり方ではない」
過去の行いを責められて、オルタンスは目を見開いた。
貴族のやり方ではない、とはいうけれど。そのやり方を彼女に教えたのは、誰でもない父親だ。
ワインで酔った父が『あの傲岸不遜な宰相を夜会の会場で言いくるめてやりたい』と愚痴っていたのを覚えている。だから、その通りにしただけなのに。
目を見開くオルタンスに、一応手紙の中身を確認した父が、便箋を元に戻して彼女に返す。
「屋敷の警備は増やそう。だが、その前に己の行いを恥じることだ」
「っ」
オルタンスが悪いのだ、と断じる言葉に唇を噛みしめる。
ぎゅっと握りしめた拳は震えていたかもしれない。
「下がりなさい、私は忙しい」
「……はい」
父の書斎を出て、自室に戻る。机に乱暴に便箋を叩きつけて、オルタンスは大きく息を吸った。
「ふ、ふざけんじゃね~!! ですわよ!」
父親の言葉を実行したら責められた。どういうことだ。
今回ばかりは貴族の令嬢という立場を忘れて、頭を搔きむしる。
鳥頭になるくらい髪をかき混ぜて、やっと一息ついた。
「ま、まだ! 諦めませんわ!!」
家に居場所がなくても学園がある。オルタンスはぎらつく目で歯を食いしばった。
「ごきげんよう」
にこにこと微笑みながら教室に入る。オルタンスが入ってきた瞬間、教室が一瞬しんと静まり返った。
気のせいだと自分に言い聞かせながら、彼女はバッグを机に置いて近くにいた令嬢のグループに話しかけた。
「いま、少しいいかしら?」
「は、はい」
気弱な子たちなのだろう。オルタンスが話しかけるとしどろもどろに答える。
気にすることなく話をつづけた。
「実はね、少し困っていますの」
「はぁ」
「脅迫文を送られてしまいまして。恐らく犯人はエロディ様なのです」
オルタンスがその名前を口にした瞬間、令嬢たちがびくりと肩をすくめた。
三人の令嬢たちはお互いに目を見合わせ、唇を噤む。
「彼女、国外追放になったはずですのに、どうしてこんなことを、と驚いてしまいまして」
「お、オルタンス様!!」
「はい?」
話を途中で遮られるのは久々の経験だ。
エロディがよくオルタンスの話を遮ったが、それ以外では侯爵令嬢である彼女の話を止める者はいなかった。
少しの驚きと共にオルタンスがぱちりと瞬きをすると、目の前の令嬢たちはそれぞれ顔を真っ青にしつつも、懸命に口を開く。
「それは、オルタンス様が……わ、悪い、と、思います……!」
「エロディ様はなにも悪くありませんでした!」
「気に食わなかったのだとしても、やり方があります! あんな、大勢の前で辱めるなんて……!」
辛うじて聞き取れはするが、かなりの早口でまくしたてられてオルタンスは目を白黒させてしまう。
「わ、私たちは、失礼します……っ」
一人の令嬢がそういうと、三人とも頭を下げて蜘蛛の子を散らすようにオルタンスの前から逃げ出した。
「わ、わたくし、は」
助けを求めて視線を動かすが、教室の誰もオルタンスと視線を合わせてはくれなかった。
「な、な、なんですの~!! どうしてわたくしが悪いことになっているのです?!」
学園の中庭のベンチにポツンと座って、オルタンスは涙声で叫んでいた。
婚約者、父、学友。全てに否定されて、さすがの彼女の心も折れかけている。
「わたくしの何が悪かったと……!!」
奪われそうになったのが許せなかった。奪われてなるものかと必死になった。
(ああ、そうなのですね)
周りが、見えていなかったのだ。
断罪という行動に酔いしれて、周囲への根回しを怠ったし、皆の視線の意味をはき違えた。
断罪の場で皆がオルタンスを止めなかったのは、侯爵令嬢が男爵令嬢を罵ったから。
明確な立場の差があったからこそ、誰も口を出せなかった。それは伯爵令息のベルナールも同じだったのだ。
ギリ、ギリギリ。
歯を食いしばる。悔しかった。自分ではなくエロディが大切にされている現実も、後先を考えない愚かな自分の行動も。
「もう、間違えません……!」
決意の言葉はするりと口からこぼれた。すっくと立ちあがったオルタンスは、長い髪を肩から払ってまっすぐに青い空を見上げる。雲一つない、爽やかな青空。
一羽だけ飛んでいるこれまた白い小鳥を見つめつつ、さらなる決意の言葉を口にする。
「今度はきちんと根回しをしますわ! そのためにまずやることは、信頼回復です!」
オルタンスは全然めげていなかった。
自分が悪いとも思っていない。
ただ、過ちは過ちと認めて、次こそ正しく立ち回り、周囲の同情をきちんと引けるようにしようと決めた。
「ちょっと断罪したくらいで、人生を壊されるなんて許せませんもの!」
うふふふ、と悪女そのものの顔で笑う。
それは、誰かに見られれば後世まで『悪役令嬢』と語り継がれそうな、いろんな意味で悪い顔だった。
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