あひる
三題噺もどき―ななひゃくにじゅういち。
カーテンを開くと、窓に雨粒がついていた。
耳をすませば小さく雨音が聞こえる程度。
まぁ、この程度ならベランダに出ても濡れることはないだろう。
「……」
がらりと、窓を開ける。
雨の独特な匂いと、少しばかり蒸し暑いような空気が押し寄せてきた。
……どうやら数時間前に降っていたようで、端に置いてあったサンダルはギリギリ濡れていないようだが、手すりや室外機はびしょ濡れになっていた。
「……」
腰を折り、ほんの少しだけかがみながら、窓のすぐそばにできていた小さな水たまりを避けるように、サンダルを足元に引き寄せる。
肩にかけていたカーディガンを落とさないように気を付けながら。
「……ふぁ」
思わず漏れたあくびを噛み殺しながら、サンダルに足を通す。
端の方は濡れていたらしく、足指の裏辺りが少し、濡れた。
後ろ手に窓を閉めながら、濡れたベランダをすこしだけ歩く。
手すりが濡れているせいで、体重をかけられないのが残念だ。
「……」
パジャマのポケットに入れていた煙草を取り出し、ライターで先を焙る。
小さく燃えたその先から、うっすらと煙が立ち上がり、夏の雨の中に消えていく。
鼻を刺すのは、煙草の独特な匂いばかりで、雨の匂いが消えてしまった。
「……」
頭上に広がる空は、雲に覆われている。
雨が降っているのだから、当然ではあるのだけど。しかし、不思議と重苦しい感覚はない。暗い灰色の雲であることに変わりはないのに。
それに、今日の雨はやけに静かだ。小雨なだけかもしれないが。
「……」
太陽の沈む方に眼をやると、端の方だけ赤く染まっているのが見えた。
雲の上には、まだ青空が広がっている事だろう。
反対側の空にはそこまで雲が見えないから、きっとそのうちこの雨も上がるのだろう。この時期特有のスコール的なものだったんだろう。
「……、」
ベランダから見える住宅街には、黄色い傘がいくつか見えた。
アレはきっと、幼い小学生くらいの子供たちだろう。
雨の日の帰路によく見る傘が並んでいる。
「……」
こう、見ていると。
小さなあひるの行列のように見えて、可愛らしい。
歩幅が小さいせいか、ひょこひょこと進んでいるように見えるのも、それに拍車をかけている。残念ながら先頭に立つ親はいないが、彼らはこの平和な町でのびのびと生活しているのだろう。
「……」
しかしまぁ、元気だなぁ。
氷もアイスも簡単に溶けるようなこの暑さの続く中で、雨の日にも関わらず外で遊んでいたのか。傘を持っていたのは偉かったが、きっと関係ないほどに濡れているのだろう。
もうほとんど雨は上がっているのに、傘を広げているあたり、傘をさすと言うのが楽しいのだろうな。
「……」
きっと、これから家に帰って。
今日あった楽しかったことをたくさん話すのだろう。
濡れたことは怒られるかもしれないが、それも夏休みのひとつの思い出だろう。
遊びほうけて宿題をしていないなんて言われるのも、普段は行かないような場所に行くのも、経験をするのも。
「……」
そういえば、来週はお盆というのが来るのだろう。実家に帰ったり祖父母の家に行ったりする家庭が増えるのか。……この住宅街が少し静かになりそうだな。
惜しくは思わないが、公園の彼らが寂しがるかもしれないな。
「……ふぅ」
いつの間にか短くなってしまった煙草を、灰皿に押し付ける。
雨の上がった住宅街で、黄色の傘をさしたあひるの行列を遠くに見ながら。
今日の散歩は公園にでも行こうかと思った。
「……雨が降り始めましたねぇ」
「……今日の散歩はなしだな……」
「まぁ、明日は晴れるようですし」
お題:傘・あひる・溶ける