答え合わせ2
促された席に座った関口は、目を爛々と光らせて切り出してくる。
「それで、この前の話の続きを聞かせてくれるかな」
関口の期待の籠ったキラキラ眼に彩芽は瞳をぱちくり瞬かせながら、記憶を手繰り寄せる。昨日は陽斗と女の人の姿を見つけた瞬間、頭の中が真っ白になってしまって、関口との会話の内容はほとんど聞き流していて覚えていない。
関口をみやる。相変わらず、今か今かと、楽しみに待っているような雰囲気。今更、ごめん。聞いてなかったとは、とても言えない。ならば、おもいだすしかないかと、うーんと、首を傾げ、頭から記憶をひねり出す。
すると、朧気ながら関口との会話を思い出した。彩芽はパチンと手を叩いた。
「ごめん、ごめん。昨日途中で切り上げたワインの話だよね?」
何となく背に隠していたスマホを テーブルの上にポンと置いて視界の外へ追いやって、意気揚々と彩芽はポケットを探り出していく。
その様子から、渾身の告白が、全く伝わっていないことに気付いて、関口は愕然とするしかなかった。もやもやする関口など気付くことなく、彩芽はいつもポケットに忍ばせてあるワイン一覧表を机の上に出して、机へと広げてみせた。
「ワインデビューしたいっていうお客様がいらっしゃった時、これ、見せるんだ。私ががんばって作ったワイン基礎知識表。結構、好評なのよ」
彩芽が広げたのは、ワイン品種一覧表というものだった。
ワインの知識のない関口でも耳にしたことがある品種のカベルネ・ソーヴィニヨンから始まり、呪文のようなテンプラニーリョという品種まで、ズラリと並んでいた。そして、各品種の横に産地、価格帯、どんなの味なのかが書かれている。それらは、すべて彩芽の手書きだ。関口の本当に聞きたかったこととは、だいぶ外れていたが、それを手に取ると、食い入るように見つめていた。関口の表情が歪む。
時分はこれまで、彩芽にばかり気をとられていて、まともに仕事へ向き合っていなかったことを、思いしらされてような、打ちのめされたような、そんな気分だ。言葉が見つからなかった。
関口から何か感想が出てくるかと思っていた彩芽は、関口から発せられるひたすらの沈黙で、居たたまれず、重たい空気をかきけしていた。
「やっぱり、字が汚くて、読みにくいよね。時代はもう、手書きじゃないし。やっぱり、パソコンで打ち直そうかな」
「そんなことないよ。すごく、いいよ」
関口の目は、真剣な眼差しそのもので、こんなに誉めてくれるとは思っていなかった彩芽は、少し気恥ずかしくなってくる。それを悟られまいと、ワインの説明をしようと口を開きかけたが、遮るように関口はじっと彩芽のリストをみる。
「高島さんは、どうしてワインの道に進もうと思ったの?」
関口の唐突な質問に彩芽の丸い瞳は、疑問符が浮かぶ。どう答えようか。考えあぐねていると、関口は相変わらず、彩芽の丁寧で妥協のない文字に、目を落としていた。じっと見つめて、しばらくすると、関口は貴重品でも扱うように慎重に彩芽へと戻した。
そして、関口は背中を背もたれにくっつけて、自らを嘲笑うかのように胸の内を明かし始めていた。
「僕が、ここに就職したのは、行き当たりばったりだったんだ。ただ、それなりの企業に就職できればいい。食べることが好きだから、そういう関係に携われたら、まぁいい。そんな、ぼんやりとした動機だけで、ここにやってきたんだ。洋菓子に対する思い入れとか、全くなくて、ただ配属されたからここにいるだけ。働いていれば、多少は変わるかと思ったけど、今も本当は、大して変わっていないんだよ。ただ、仕方なく仕事だから、こなしているって感じで」
高島さんがいるから出社しているようなものだとは、言えず関口は本当の邪な本心を隠すように、言葉を重ね続けていく。
「高島さんのように、確たる意志や情熱があって働いているって訳では、全然ないんだ。僕は、本来高島さんと肩を並べて働けるような人間じゃないんだよ」
関口の本当ならば、包み隠したいはずの仕事に対する吐露に、彩芽は「いやだなぁ。私、そんな出来た人間じゃないよ」と、目尻を下げて困った笑みを溢していた。
「でも、関口君、今回のコラボの話をすごく熱心にやってくれてるじゃない」
掬い上げようとする彩芽の言葉に、コラボの話に積極的になったのは、彩芽がいたからだ、なんて、やはり言えるはずもない。ぎゅっと眉根を寄せる。
「動機が不純なだけだ」
わざと曖昧な答えをして、有耶無耶にしようとしたのに、彩芽は一生懸命理解してくれようと考え込んでしまう。そんな彩芽を前に、申し訳ないと思う。そして、そんな彩芽だからこそ、惹かれてしまったのだとつくづく思う。
そんな自分を持て余して、関口は彩芽から目を逸らしていく。
「そもそも、高島さんは、この道に進みたいって思ったから、就職してきたんだろう? 高島さんと僕とでは、仕事の向き合い方が、根本的に違うんだ」
「何言ってるの。私も似たようなものだったよ。これといった得意分野も、取り柄なかったから、自分の働きたい場所も全然思い浮かばなかった」
「……就活してた頃から、ワインの道って決めてたんじゃなかったの?」
彩芽の回答に、影が落ちていた関口の瞳が見開かれる。その反応に、彩芽はそんなに買い被られていたなんてと、関口以上に目を丸くしていた。
「全くだよ。ワインを仕事になんて、頭の片隅にもなかった。だから、いざ就職活動っていうとき、本当に何の意欲も沸いてこなかった。これだって思えるものもないし、強みもない。私は、完全に落ちこぼれ。頭を抱えるばかり。あの頃は、本当に自分が嫌いになりそうだったんだから」
彩芽は、肩を竦めて、苦悩の日々を遠い目で思い返す。自然と視界の外に追いやっていたスマホを、両手の中に戻し、握りしめていた。目を細めている彩芽の変化に、思いを寄せる関口が気付かないはずがなかった。その瞳はこれまでみたことないほど、優しく柔らかい光が灯っている。それは、一体誰に向けられているのか。残酷な真実なんて聞きたくなかったが、あっさりと彩芽は語りだしていた。
「それに引き換え、隣の奴は、小さい頃からサッカーが得意で、みんなより秀でていて。そこにまっしぐら。自分はこの先、どこへ行けばいいのか……なんていう迷いとは無縁でさ。サッカーの夢が破れて、少しくらい悩むかと思いきや、あっさり就職決めて、ヘラヘラしちゃって。それ見て、めちゃくちゃムカついて、焦って、ずっと悶々としてた」
彩芽が睨み付けるスマホの奥に、余裕の笑みを浮かべている陽斗がちらついた。それをふうっと大きなため息で吹き消しながら、顔をほころばせた。
「そんな落ち込んでる時にね、どういうわけか、急にそいつが、ワインもって来てくれたんだよね。その当時は、私全然ワインなんてわかんなかったし、そもそも好きでもなかったの。親たちは私が小さい頃から、散々飲んでて身近ではあったけれど、美味しさも全くわからなかった。だけど、それを飲んだら、初めてワインってすっごくおいしいんだなって思えたんだよね。どうやって選んだのかって聞いたら『売り場の人に聞いて、勧められるがまま買ってきた』って言っててさ。説明書きもあるっていうから読ませてもらって。初めてワインをつくるぶどうの種類ってたくさんあって、それぞれ味が違うっていうのを知ったの。そして、そこで初めて覚えた品種がブルゴーニュ。その瞬間、もしかして、ワイン相手なら、仕事がんばれるかも? って、うっすらと思ったんだよね。それが、この仕事に就こうと思ったきっかけ」
ね? 全然大それた信念とかないでしょ? と、苦笑いする彩芽の瞳は、どこまでも穏やかで、大事なものに身を浸すように目を細める。
「就職していざ仕事をしてみたら、死ぬほど面白くて、生き甲斐感じて、今みたいに熱心になったたんだっていいたいけど、それもまた全然違ってさ。もう藤原バイヤーには見抜かれちゃった。私はただ、現実を直視するのが嫌で、逃げに仕事を使ってただけ。この表を書いている時なんて、正にそう」
陽斗が、接待だといって、全然帰ってこなくて、もやもやしすぎて眠れなくて、これを必死に書いて気を紛らわせていただけに過ぎない。そんな理由言えるはずもなく、彩芽は本当に情けないと笑う。
「だから、私と同じ仲間がいてくれたって、ちょっと安心したよ」
関口の嫉妬なんて付け入る隙は、一ミリもないほどに、彩芽はぎゅっと手の中のスマホを見つめていた。
「でもね、散々そうやって、仕事を逃げに使ってきたけど、今日で、やめようと思ってるんだ」
「折角仲間だって言ってくれたのに、早速抜けるの?」
「ごめん。でも、根本的な仲間にはかわりないからさ、許して。私もいい加減、純粋に向き合わないと」
明るくそういう彩芽は、またじっと手元に視線を送っていた。そんな彩芽を目の当たりにして、関口は、改めて思い知らされる。
逃げに使う相手というのは、仕事なのか。それとも、いつも話に出てくる隣人で、彩芽の手の中にあるスマホの奥にいる人物なのか。
関口は、聞いてしまいたいと思ったが、喉の奥が張り付いてしまって声がでなかった。開きかけた口元をすぐに引き結ぶと、自ずと答えは出てしまう。そんなこといちいち問わなくても、彩芽が今無意識に浮かべている笑顔は眩しいほど、美しい。それが、すべてだ。
もう自分の傷を広げるのは、やめよう。
関口は、開いた傷口から血が流れないように、胸を押さえる。そして、これ以上惨めにならないように、清々しく笑って見せた。
「じゃあ、さっさと今日は仕事、終わらせないとね。僕も、手伝うよ」




