それぞれの葛藤3
――その頃、六〇九号室。
佐和と陽斗もまた、対峙していた。
「私に感謝はされても、責められる覚えはない。そもそも、あんたがいつまでものろのろしてるから、こうなったんでしょ?」
佐和は、ふんっと鼻を鳴らすとすかさず、陽斗は言い返していた。
「俺には、俺のペースってもんがあるんだよ!」
「あんたの意気地なしペースに合わせてたら、いくら命があっても、間に合わない」
「母さん達は、がさつなんだよ。こっちは、それなりに色々考えて、そんな簡単な問題じゃないんだよ!」
「勝手に考えすぎて、頭腐らせただけでしょ ? アヤちゃんの十六歳の誕生日の日に」
佐和は知っている。陽斗が、何をずっと引きずっているのか。
わざとらしく佐和が、指摘する。威勢よかった陽斗の口は、スイッチが切れたようにピタリと止まっていた。
その顔は、図星。
我が息子ながら、本当に情けない。
「あんた、本当にあの日から頭腐らせたまんまなのね。なんにも考えてない」
佐和が心底溜め息をつきながらいうと、陽斗から、考えてないわけないだろと、反論の声がぼそっと聞こえきてきて、耳をそばだてる。
「そもそも、あの時だって……彩芽が……」
陽斗は、あんなこといわなければと、出かかった言葉を飲み込んでいた。そのまま、陽斗は、むすっと唇を噛んでいる。
佐和は、冷たい視線を送りながら思う。
それ以上、彩芽へ責任をなすり付けていたら、本当に殴っていたところだった。
陽斗自身も自分の意気地のなさを彩芽のせいにしようとしていた最低な奴だと、自覚したのだろう。陽斗は、項垂れ「あー! むしゃくしゃする」と、叫びながら頭をぐしぐしゃに掻きむしっている。
佐和は、同情の余地なしと、冷ややかにみやる。
「あんたさ、そもそも論点ずれてること、わかってるの?」
苛々とムカムカが混じり合って怒りさえ覚えているのに、肝心の陽斗は、はぁ? と、まの抜けた声が返ってきて、とうとう怒りに移行していた。
「その一週間前、あんた何した? それを知った時、お母さん本当に卒倒しそうだったわよ」
陽斗はいつも一点しかみない。そこに至るまでの経緯をまるでわかっていない。佐和は、怒り眼で陽斗を睨み付けて、腰に手をやる。
佐和が溜め息混じりにあの日を回顧すると、陽斗はバッと顔をあげて、目を丸くしていた。
「何で、知ってるんだよ?」
息子の頭の中身は腐りきって、スカスカになったんだろう。話しにならない。
「陽斗の頭の中は、いつもサッカー。そんな頭スカスカの奴が当然、知る由もないでしょうね。外野のことなんて」
陽斗は丸めていた瞳をもとに戻して、首をかしげている。鈍すぎる反応で、我が息子ながら溜息しか出ない。
当時の陽斗は、話の内容も、テレビも、全部サッカー。この子の頭の中は、サッカー以外はいる余地がないんじゃないかと思えるほどだった。友達の話も、当然親の話も、全部すり抜けていってしまう。
そんな陽斗は、学校でも浮くレベルだったはずだろうが、そこはサッカーという女子受けのいい種目。女子の声援でその浮いた感じをかき消してくれたように思うけれど、やはり当の本人はサッカーのことしか考えていないから、周囲の状況等は全く把握していなかった。そんな息子に不安が付きまとう中、心の平穏を与えてくれたのは彩芽だった。
彩芽だけは、陽斗の馬鹿みたいに頭の中で広がっているサッカーの世界に食い込んでくれる。彩芽のいうことだけは、ちゃんと頭の中に入っていく。
本当に、親として彩芽には感謝しかなかった。
だからこそ、あんな事件が起きたと聞いたとき、本当に彩芽に申し訳なくて、バカ息子の代わりに土下座しにいきたかったくらいだ。だが、それこそ親の出る幕ではない。仕方なく堪えたけれども。
「あんな醜態晒して、噂にならないはずがないでしょ。私は、当事者の親だから、話が回ってこなかっただけで、みんな知ってたわよ」
当時、歩美からすぐに連絡がきた。彩芽の様子がおかしいんだけど、何か知ってる? と。
その日は、サッカークラブの練習試合があると聞いていたから、そこで何かあったのかと直感し、同じサッカークラブに通っている友人へ連絡を入れた。その内容に、ただただ愕然とするしかなかった。
本当に、男って阿呆すぎる。
感想は、それ以外になかった。そして、当然のことながら。
「アヤちゃんの耳に入っていたことでしょうね」
佐和が軽蔑して睨みつけると、陽斗は八年前の出来事なのに今更ながら、動揺しているようだった。
陽斗は目を見開いて、瞳をゆらゆら揺らして、自分の世界に入り込んでいる。
彩芽が知っていた? その可能性は、今まで一度も考えたことがなかった。そんな顔だ。サーっと血の気を引かせて、唇を戦慄かせていた。
「彩芽が知ってたら、絶対話題に持ち出してきていたはずだ。でも、これまでその話題は一度も上がったことはなかった。ということは、知らなかったはずだ!」
言い切る陽斗。
このバカ息子め。
佐和は、罵倒したいのを何とか抑えていう。
「あんた、アヤちゃんと何年一緒にいるわけ? 知ってたとしても、そういうことをズカズカ聞いてくるような性格の持ち主だったっけ?」
直球で、問うてやる。陽斗の瞳は、さらに動揺し、ぐらぐら揺れまくって、愕然としていた。
この不甲斐ない息子に、佐和の苛々は止まらなかった。口が止まらない。
「あんたが、あの時、実はさぁ……って、包み隠さず自分から話しておけば、こんな今みたいな泥沼状態になってなかったし、アヤちゃんを悩ませることもなかったのよ! 全部、あんたのせいなんだからね!」
「そんな、昔の話……たとえ彩芽が知っていたとしても、彩芽にとっては大した問題じゃないだろ……」
陽斗は情けないこじつけの負け犬の遠吠えをして、そそくさと自室へ戻っていってしまっていた。
究極のお膳立てをしたというのに、まだ足りないのか。閉まったドアをぶっ壊してやりたい衝動を拳を握って潰すが、それだけでは、足りなくて佐和は、ギリギリと奥歯を噛む。
その時、高島家側の壁がトン、ト、トンと、鳴った。
なるほど。高島家の結果も、どうやれこちらと似たような結果だったらしい。ならば。
このまま、作戦続行だ。
ト、ト、トン、トン。
佐和も、壁を叩いていた。




