7話 神より強い男
「……っ! ──おぇぇ……っ……!」
私は目が覚めた直後に血だまりを吐いた。
痛みはないけど、全身に力が入らない。寝起きとしては最悪の健康状態だ。
「目が覚めましたか」
私の起きたタイミングを見計らったかのように部屋に入ってきたのは、先程まで戦っていたミットだった。
ミットの顔を見て嫌なトラウマが走馬灯のようにフラッシュバックしたが、あの時対面した異常な殺気はもう感じなかった。
「私、どれくらい寝ていたかしら」
「3ヵ月くらいです」
「……質問を変えるわ、その3ヵ月間で何回死んだのよ」
「11回です」
体が動かないのはそのせいかしらね。
まさか寝ながら死ぬなんて芸当を繰り返していたとは……。
「……はぁ」
私は仰向けになり天井を見つめる。
このままここで休んでいてもまた餓死を繰り返すだけ、早めに体を動かせるようにならないと。
そんな私を見てミットは感心したように告げた。
「主人より食卓まで自力でこい、だそうです」
「主人? あー、あのバケモノ男ね。と言うかどう見てもあんたの方が強そうなのに主人って立場なんだ」
私の言葉に首を傾げるミット。だが私が誤解しているのを理解すると、笑うように衝撃の事実を語った。
「主人は私より強いですよ、私が本気を出しても5分耐えればいい方です」
「……は?」
さらっととんでもない事実を聞いたんだけど、嘘を言ってるようにも見えない。
星が砕ける程の殴打を数時間止むことなく打ち続ける神相手に5分で勝てるバケモノ男って……。
私は頭が痛くなるのを抑えて苦笑いする。
「と言うかそれ大丈夫だったの? この世界よく保ってられたわね」
いくらバケモノ男が強いからと言ってミットと最初から一緒にいるというわけでもないだろう、きっと一度くらいは戦ったことがあるはず。そしてそんな二人が戦ったらこの世界が保っていられるとも思えなかった。
だが、そんな疑問を抱いていた私を一瞬で消し飛ばした言葉はあまりにも酷いものだった。
「いえ、元々この大陸は私が構築した2つ目の大陸です。1つ目の大陸は主人と私の戦いの余波で跡形もなく消滅してしまいました」
「……意味分かんない」
信じられない事実を無理矢理頭の中に詰め込まされる。あのバケモノ男、本当の意味でバケモノなのでは?
今の今まで如何に自分が手加減されて弄ばれていたのかが納得できた。というかこんな常識外れの二人がいる洋館に、人間の私が住み着いてるなんてどうみてもおかしいでしょ。
「……はぁ、私そんなやつを殺そうとしているのね」
「この事実を聞いてまだそんな反応で済むなんて、こちらの方が驚きです。愛夏さんは本当に主人を殺すつもりなんですか?」
「ええ、もちろんよ。例え神だろうとその上を行く存在だろうとね。仮にの命が尽きたとしても地獄から這い上がって殺しに行くわ」
その言葉にミットは少し驚いたような、満足したかのような笑みを見せ深くお辞儀をする。
「では、食卓で待っています」
そう残すとミットは部屋の扉を締めて去っていった。
「さて、私も行かないとね」
なんて軽口で言っているが、体が動かない。
「……あと何回か餓死しそうね」
比喩じゃない言葉に自分で言って自分で驚いた。
こんな言葉を人生で言う日が来るなんてね。
◇◇◇
食卓に沢山の料理を置き、私達はその人物が来るのを待つ。
「どうだミット、面白い人間だろう」
「あのような人間は初めてです。……と言うより本当に人間なのですか?」
私は怪訝そうに質問する。あれほどまでに強い精神力を持った人間を私は今まで見たことが無かった。もしかしたら彼女は見た目が人間なだけかもしれない。事実私や主人も見た目は人間と同じなのだからその可能性が無い訳では無い。
しかし、主人はハッキリと断言する。
「あれは人間だ。1000年も前に俺が不老にしてやったりとまぁ紆余曲折あったが、人の身でここまで来たのは間違いない」
「たった1000年で私に傷を付けたというのですか。完全無比の領域に足を踏み入れた人間でもそこまでは……あの遊戯神ですら6000年は掛かったというのに」
私は少し考えるが、主人は細かいことを特に気にしていない様子だった。
「さぁな、ただ愛夏は人の子であり人の身だ。そして俺の元まで辿り着いた。この二つの事実があるのならその過程で何が起きてようと関係ないな」
主人が席に座ると次いで私も席に着く。
風味のあるワインを片手に回しているのを見ると、かなり機嫌が良いようだ。
「随分と興味を抱いているのですね」
「今まで俺を殺しに来た者は沢山いた。それは超人的な力を持った者から天地をひっくり返すような遊戯の神まで。だが、どれもつまらない存在だった」
神である私を数瞬で消滅させた男が言うのだ。私を含めて、この男にとっては全てが本当につまらない存在ばかりなのだろう。
だが主人の表情はこれ以上ないほど昂っていた。
「それに対しあいつは人の身でここまでやってのけた。俺の予想を遥かに上回る精神力を持ってな。俺は何度もその眼を絶望の色に染め上げようとしたが、無理だった。だから最後に俺は"お前を玩具として扱うつもりだ"と、そう言ったのさ。そしたら愛夏はなんて答えたと思う?」
玩具は所詮玩具。壊れるまで弄ばれ、壊れたら捨てられる存在。
「"既に壊れてるオモチャはこれ以上壊れない"と言い返したんだ。俄然興味が増した、面白かった。あいつは敵である俺に何度殺されても皮肉のように俺の面を見て笑ったんだ。本当に惹かれる存在だよ、愛夏は」
こんなに嬉しそうな主人を見たのはいつ以来だろうか。闘争に喜びを求めていたこの男が、人間の小娘に興味を抱くなど誰が予想したのだろう。
いや、だからこそかもしれない。彼女が自分を何が何でも殺そうとしているからこそ、闘争を求めてきた主人にとっては何よりも嬉しいことなのだろう。
全く、私もいつ追い抜かれるかたまったものじゃない。
そんな話で盛り上がっていた所で、ついに入り口先の食卓の扉が開いた。
「……はぁ……はぁ……くっ……」
そこには真っ青になりながらも、壁に寄りかかりつつ歩いている愛夏がいた。
「ふむ、よく来たな。ちゃんと"立っている"ではないか。約束だ、お前の世界のご馳走を用意したぞ」
「もう、何ヶ月も経っているわよ……食料が腐っているんじゃないでしょうね」
愛夏が疑惑の目でテーブルに並ぶ料理を見る。
「安心しろ、お前が寝ていた数ヶ月はあくまで『お前の中での時間』だ。料理は今この場に出されたばかりだぞ?」
「まさか、あんた……他人の時間を操れるの?」
「愚問だ、時くらい無限に操れる。お前は老いないのだからこれが効率的だと思ったのだがな」
その言葉に頭を抱えだす愛夏。
まるで主人の常識についていけない様子だったが、どこか諦めたような表情でため息を吐いて席に座った。
「はぁ……もういいわよ。早く食べましょう……」
全員揃って初の3人での食事。
この世界に来て初めて人間界の料理を頬張った愛夏は、死んだ瞳を輝かせながら次々と食べていき見事食卓に並んだ料理を完食した。
しかし、眠っていた期間も含めて数ヶ月以上何も食べていなかったせいか、胃が動かず何度も吐き戻して死にそうになったのはまた別のお話。