2話 復讐相手との食事
朧げな意識がゆっくりと覚醒していく。断片的に纏っていた僅かな記憶が段々と形を成し、覚えのある痛みと共に起床を促す。
「……あれ、ここは……」
私は、目が覚めると知らない部屋で寝ていた。
辺りには高級そうな壁画やシャンデリアが飾ってあるが、それ以外は何も無い。ただただ見渡す限りの大きな部屋だった。
「痛っ──」
無意識に起き上がろうとしたら燃えるような痛みが全身を襲う。
そう、そうだ。私は確かあのときあの男に殺されたはず、復讐を遂げることなく敗れてしまったはずだ。なのに……。
「どういう……生き、てる……?」
思わず両手に力を入れる。関節が曲がるし体も動く。全身に響くような激痛が走っていることを除けばほぼ無傷の状態だ。あの時負った傷や怪我も一切確認できず、まるで最初からなかったかのように綺麗さっぱり完治していた。
こんな芸当をするのは、こんな事ができるのは……心当たりが一つしかない。
「……なんのつもりなのかしら」
私は今自分がおかれている状況に疑心暗鬼になりながらも、ゆっくりと体を起こして目の前に立てかけてある自分の剣を手に取る。
ここが洋館の中なのは分かっているけど、一体どの部屋にいるのか全く把握できていない。
「眩しっ……」
ふと窓から屈折する光の眩しさを感じ、あの激戦から一夜明けて朝になっている事に気が付く。
「……考えても無駄ね」
取り敢えずここに居ても何も始まらないと思った私は、部屋を出て長い廊下を歩き始めた。
数分歩いていると、この洋館の中心部と思われる巨大なエントランスが見えてくる。昨日は暗くて辺りがあまり見えていなかったが、恐らくこの巨大なエントランスで私はあのバケモノみたいな男と戦ったんだろう。
あの男の突き刺さるような視線、今思い出すだけでも恐怖心が芽生えてくる。
「あれが今の私の限界か……」
煌びやかに光る洋館の風景を眺めて、ふとそんな弱気な言葉を漏らす。
視界には塵ひとつなく、森で育まれた新鮮で冷たい空気が窓から入ってきている。
「……綺麗ね、最悪の気分じゃ無ければ」
思わずその場でくつろぎたくなるほど澄んだ世界。
耳をすませば鳥の鳴く声が聞こえてくる。恐らく魔物の鳴き声なのかもしれないが、数百年ぶりに耳に入ったその音色は自然と心を癒すものだった。
「……さて」
取り合えずという名目でエントランスに向けて歩み出したはいいものの、果たしてこれからどうしたものか。
このまま外へと逃げる? それともアイツともう一度戦う? どちらにしても良い結果は見込めそうにないわね。
私は一度大敗を喫した立場。仮にその私を治癒するほど余裕があるというのなら、逃げるにしても戦うにしても相手の思うつぼだろう。
「はぁ……どうしたものかしらね」
そんな思慮を巡らせていると、エントランスに辿り着く手前の部屋から何者かの気配を感じ取る。私はその部屋の扉を躊躇いなく開けると、これまた巨大な食卓間が広がっていた。
「おはよう」
そう言って血塗れになった肉を食べながら挨拶を交わしてくる男。
……昨日戦った私の復讐相手だ。
「……」
「なんだ、朝は挨拶が基本だぞ?」
「……なんのつもり?」
私はすぐさま剣を抜き臨戦態勢を取るが──。
「食事中にそういうのは無しだ」
男が指を鳴らすと私の手元にあった剣は消え、いつの間にか鞘に戻っていた。
「まぁお前も食え、不味いわけでも毒が入ってるわけでもない。こうして睨み合ってるだけ無駄な時間だ」
「……っ」
敗者に語る権利無し、私の質問に男は何一つ答えてくれない。
確かにこのまま睨み合っていても無駄だ、私は一度この男に負けている。今敵対したからと言って勝てる道理はないだろう。
だがそんな事よりも、せめて目の前に置かれている『食事』の内容くらいは問いただしたいものだ。
「……」
私は渋々席に着くと、目の前に置かれた血塗れの肉を見つめる。
「これ、何の肉?」
「人間の肉だ」
「……そう」
興味なさげな返事をして手元に置かれたフォークとナイフを使い細かく切り、口に運ぶ。
今の私の体は毒性のものを瞬時に分解する。カニバリズム程度の行為で私の体は悲鳴を上げない、上げすぎて枯れたともいう。
「……っ!」
だが、その肉の味は見た目通りの絶望的なものだった。
ぐにゃりとナマモノの食感と臭いが鼻腔を擽り吐き気を催す。
「美味いか?」
「まっずい!」
「そりゃあ味付けも何もしてないからな」
「何がしたいの!?」
珍妙な空気感に耐えられなくなった私は勢いよくその場を立ち上がる。
対し男は淡々とその肉を口に入れながら余裕の表情を浮かべている。
「初めての共食いはどうだ?」
「はっ、お生憎様、人生初の経験じゃないわ」
「そうか、1000年も生きていればそういうこともあるか」
「ええ、次はあんたの肉を頬張ることが夢よ」
「寝ている間は叶いそうな夢だな」
私が言い返すと男は更に言い返して愉快そうにこちらを見下す。
本当に腹立たしい奴。どうしてこんなにも上から目線の態度なのか。私より圧倒的に強いのは事実だけど、それでもここまで馬鹿にされると流石にイラっとくる。
「はぁ、分かったわ。あんたの目的は何?」
「興の一環だ。まぁ、他にもいくつかの狙いはあるが──」
男が語り出そうとして、辺りの空気が一瞬だが和やかになる。会話とは暴力の正反対に位置する言動。だが、私はこの一瞬緩まった空気を見逃さない。
私は片手を滑らせるように剣の柄を握ると、そのまま力任せに抜き切る"抜刀斬"をテーブル越しに放った。
極限まで抑えた予備動作から出される一刀。その攻撃に男は気づかず、鋭い斬撃が直撃する。風圧で辺りの窓ガラスが割れ、様々な植物の粉塵が撒き散らばった。
ようやく入れた一撃。そう思った──。
「悪くない策だ、相手を油断させるのは戦闘において当然の事。だが──」
煙の中で男が指を鳴らすと、周りに散らばる粉塵が一瞬で消し去る。その姿に私の斬撃を受けてた痕はどこにもなかった。
「殺気が表に出ている。不意打ちとしては良くても、それでは効果にならない」
そう言って男がまた目の前から消える、と同時に背後から強烈な殺気を感じた。
昨日受けた不意打ちと同じ攻撃、何度も同じ手はくらわない──!
私は背後を振り向くと共に剣で思いっきり薙ぎ払う。しかし、剣先は空気を斬るように軽く流された。
「そこッ!」
明けた視界の先には、誰もいなかった。
「──!?」
瞬間、何も気配がなかった背後からいきなり頭を鷲掴みされ、地面に思いっきり顔面を叩きつけられる。
顔から持っていかれた私は声を上げることもできず、嗚咽を漏らしながら地面に埋もれた。
「そして、殺気とは増大させれば相手を惑わすこともでき、抑えれば気配すら消せる。お前は今まで自分より上の相手と戦ったことがないから実戦経験が不足してるのかもしれないが、これは基礎中の基礎だ。もっと上手く戦えるようになれ」
そう言って男は頭から手を放す。
地面から顔を上げた私は額と鼻と口から大量の血を流し、片目が失明していた。
「何も見えないか、死ねば治る」
「……っ……ッ!」
「言ってなかったが、お前はこの洋館にいる間は不死身だ。だから体に欠陥が出たら迷わず死ね、死ぬ練習をしろ」
男が告げた言葉は、常軌を逸した内容だった。
この洋館にいる間は不死身? ていうか死ぬ? 死ぬ練習をしろですって?
誰がそんな言葉を信じるというのか。こんな状況で、一番信用できない相手からの言葉だ。
「この洋館は俺の力そのものだ。いくら壊しても、いくら形を変えても俺が自分の思う状態に構成できる。お前と戦った時に洋館は半壊したはずだろう、それを元に戻したのも俺だ。俺はこの洋館に存在する全てのものに干渉出来る。だからお前の命も自由にできるし、俺の力が尽きない限り何度でも蘇ることが可能だ」
何それ……。そんなの、嘘に決まってる。
「ついでに話しておこうか。お前はこの1000年間俺を殺すために幾多もの努力をしてきたようだが、その力では全くもって俺には届かない。人の身の感性で行う努力ではその足元すら見ることは不可能だ。本気で勝算を見出したければ、己の自覚と理の外にある階段を登れ」
焼けるような痛みと響くような鈍痛で、私の耳に入って来る男の話は幻聴のようにも聞こえていた。
「ふざ、ける……な……っ」
額から流れる血が多く貧血症状を起こし、だんだんと思考が鈍っていく。
もしこの男の言ったことが本当なら、私は一体何のために今まで……。
「どうせそのままでもじきに死ぬ。頭がガンガンして痛いだろうに、どうせ死ぬならどうするのが賢い?」
癪に障る言い方をする男を私は見えない眼で睨みつけると、鞘から剣を抜き首にかざす。絶えず襲い掛かる激痛を堪えながら、ゆっくりと呼吸を整えて残った力を腕に入れる。
「……ッ!」
そして、私はそのまま剣を思いっきり振り下ろした。
◇◇◇
見覚えのある天井、見覚えのある部屋。
気が付くと私は、最初に目覚めた時と同じ部屋で寝ていた。
首を切った感触が脳裏を過ぎり反射的に首を触るが、傷は見当たらずどこも痛くはなかった。
──本当に、生き返ってしまったのだ。
「……クソ、クソッ……最悪っ!」
ようやく湧いた実感に震える体、それを抑えつけるように両手で抱きしめる。それは嬉しさよりも悔しさだった。
あの男の言っていることが本当なら、私の命をどうするかも自由にできると言う事だ。つまり、実質命の主導権を握られているのと同じ。
本当に勝ち目がないことが確定してしまったのだ。
「……っ」
だが、知らない敗北より知る絶望とはよく言ったもの。私の中で確固たる意識が芽生え始めていた。
まだ負けたわけじゃない。いいや、敗北なんていくらでもくれてやる。たった一回勝てればそれでいいのだから──。
「殺気を、抑える……」
私は全身からゆっくりと力を抜く。
そして拳を握りしめながら部屋を出ると、再びあの男の元へと向かった。