1話 1000年ぶりの再会
大切なものを失えば、それに対する怒りが湧いてくるのが普通だ。
それが誰かに奪われたものならば、その相手を恨むのも普通。ましてや目の前で奪われたとなれば、その大切なものを奪った憎き相手の姿はどれほどの時が経っても忘れはしない。
例えそれが、1000年の時を経たとしても──。
「……あった」
私の目の前には見たこともない巨大な西洋館が建っていた。
端から端まで全てが洋館、外壁が地平線の遥か彼方まであるのではと思うほどの長さ。館のまわりにはツルやコケが生えており、人が住んでいるのかすら怪しいほどボロボロだ。
この世界に来て一週間。あの男の居場所を見つけるのは案外早かった。
辺りには『魔物』と呼ばれる異形の生物が跋扈していたり、人間達がさも当然のように『魔法』を使っていること以外はほとんど私の元居た世界と同じものだった。
だからその辺りを歩いていた老人に尋ねると、簡単に答えてくれた。
いわくこの近辺には『邪神の森』と呼ばれる森林地帯があり、その森の奥深くに"長身の男が一人で住まう大きな洋館がある"と。
私はその情報を手掛かりに『邪神の森』と呼ばれる森に入り、洋館のある場所を目指した。
だけどこれが想定外。森の中で連日連夜襲い掛かってくる魔物達が想像以上に手ごわい。あっちの世界では銃火器相手に無双できるくらいの力量差があったはずなのに、こっちの世界ではその強さが全くもって通用しない。
いくら切り刻んでもすぐに再生する触手、こちらの速度を上回る速さで飛んでくる鳥。まるで魑魅魍魎のモンスターハウスかと思うくらいこの森の魔物達は強かった。
そしてそんな森を彷徨うこと数時間、私はようやく目的地である巨大な洋館を見つけたのだ。
「……こんなところに来るために、私は全てを……クソッ……」
目の前に広がる巨大な洋館を前に、私はゆっくりと息を整える。
この先にはあの男がいる……果たして私の力で倒せるのだろうか。ここまで来るのに沢山の魔物を倒してきたけど、どれも本当に手ごわかった。
洋館に近づくにつれてどんどん強くなってきて、洋館周辺の魔物なんかはあまりの強さに逃げる一手だった。
そんな魔物達が跋扈する森の中にあの男は住んでいる。昔は分からなかったけど、今ではわかる。
絶対に強い、勝てるかどうかすら不透明。いや、むしろその逆。目の前の洋館から出ている禍々しいオーラが私に逃げろと命じてくる。
「でも、だからこそ……」
私はこの先に居る男を何としてでも殺さなくちゃいけない、それが私に出来る唯一の復讐なのだから。
私は静かに息を呑み、洋館正面の扉をゆっくりと開けた。
「……なに、これ」
声を押し殺して忍び込もうとしたものの、あまりに予想外だった洋館の中の景色を見て驚いてしまい声が僅かに漏れてしまう。
外から見た時は古臭い建物だと思っていた。しかし、洋館の中はまるで別物と言わんばかりに手入れがされている。それに夜だというのに光り輝くほど綺麗だった。
そして外からでも分かるほどに広く、巨大な場所であることも同時に理解した。
「……」
私は慎重になって周りを見渡す。
気配を探っても魔物が一匹もいない、その気配すらない。外から感じた時はとてつもなく禍々しい気配が漂っていたのに、中に入ればまるで空き家のような虚しさだけが残った。
もしかして、誰も住んでいないのだろうか? ……いいや、そんなはずはない。あの男はきっといる。気配は今も感じ取れている。
そう思っていると、中央の階段の上にある廊下の奥から足音が聞こえてきた。
「……ッ!」
暗くてほとんど見えないけど、間違いなく人の形をした者の足音だ。
私は一瞬で全身の神経を研ぎ澄ませ、その足音が聞こえる場所を警戒する。
「おや、こんな場所に人が来るとは珍しいな。何の用だ?」
中央の階段から降りてきたのは黒いマントを着た若い男。人間味溢れるその姿とは裏腹に、自分を絶対的な強者だと信じて疑わない顔をしている。
そして、武器などは一切持っていなかった。
「……やっと、会えた」
間違いない、こいつだ。あの時私の妹を殺したのは──。
1000年分の恨みを力に変えて、私は考えるよりも先に地面を思いっきり蹴り飛ばした。
「──ッ!」
一瞬で相手を射程圏内に捉えた私は一瞬の隙も見せず、腰に下げていた剣を抜き音速に近い速さで飛翔しその男に斬りかかる。
だが男は私の攻撃を指だけで防ぐと、背後を向いてもう片方の手で私の攻撃を弾き飛ばした。
「くッ……!」
「何の真似だ?」
初撃は真正面から切り伏せる残像を残し、今度は背後から倍の速さで斬りかかる。例え見切れたとしても初撃で私の速さの感覚が定着してしまい、その後ろから迫るもう一人の私に対応するのは絶対に不可能。これはそんな初見殺しの必殺技だった。
だというのに、この男は容易く受け止める。
「くッ、くそがァァッ!!」
「……幼い見た目に反して随分と威勢がいいな。だが目的がまるで分からん、お前はどこの誰だ?」
「黙れッ!」
私は相手の力量を確かめることもなく全力で畳みかける。
こいつは、この男だけは絶対に許さない。許されるべき存在じゃないんだ。
「死ね! 死ね! 死ねッ──!!」
洋館中に剣の弾く音が響き渡る。
瞬足、瞬撃。自分でもどう攻撃しているのかわからないほどの速さで男の顔面へと切りかかる。
「我を忘れるほどの激昂か。それにこの力……お前本当に人間か?」
「くッ……ああああっ……ッ!!」
だが目の前の男は全く余裕を崩さない。私の攻撃をすべて指だけで防いでいた。
確かに攻めでは私の方が押しているが、決定的な一撃を与えられないまま攻防が続いている。勝敗の行方は──考えるまでもなく予想出来た。
「……埒が明かないな、そろそろどんな理由で来たか話しては貰えないか?」
「うるさいッ!!」
あたかも初対面であるかのように尋ねる男に、私は怒声を飛ばして剣を振りまくる。
ああ、そうよね。あんたにとってこの1000年は私のことを忘却するに等しい時間だったのかもしれない。だけど私にとっては、私にとっては──何よりも待ち焦がれた瞬間だったのよ!!
「はぁあああああっ──!!」
空気が刃物になる程の斬撃を放ち、男の体勢を少しずつ崩していく。
だが男の表情は余裕なままだった。そして片手で全て捌きながら何度も私に問いかけてくる。対する私はその問いに一切答えず、ひたすら全力の攻撃を続けていた。
「ふむ……」
幾ばくかの攻防の末、思考に耽っていた男は思い出したかのように目を開く。
そして私の方を再度見ると、顎に手を添えてようやく理解したようだった。
「……ああ、思い出したぞ。お前はアレか、1000年前の──」
「そうよッ!! 1000年前、アンタに家族を奪われた哀れな人間よ!」
「ククク、そうか。まさか本当に俺のところまで来るとはな、しかしあれから姿は変わらずか」
「あんたが余計なことをしたからでしょ!」
「なんのことだかさっぱり分からんな」
1000年前、私はコイツに何か薬のようなものを飲まされた。
そしてそれを飲んでから一向に老いる気配がなく、この姿のまま1000年の時を過ごしていた。
「目的は俺への復讐か? この力量差では結果が見えているようなものだと思うが?」
男の言葉に反して私は剣を押し込み、その反動で一旦後退してから顔を俯かせる。
「……なんで夏歩を、私の妹を殺したの」
「理由? ああ、そうだな。お前の妹が死ぬことになった理由か。──腹が減っていた、なんてどうだ?」
男は嘲笑するような表情でそう言い放つ。
その言葉に私は血管が浮き立ち、はち切れんばかりに全身を震わせる。
そんな今にも噴出しそうなほど溜まった怒りは、男の次の言葉によって爆発した。
「──あぁ、あの時のお前の妹はさぞ美味かっただろうなぁ?」
にやけながら煽るその言葉についに理性が切れる。
そして大声で激昂し、力に任せるまま地面を蹴り飛ばした。
「あああ"あ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"──ッッ!!」
私の持っている剣はとてつもなく硬いロンズデーライトで作られた鋼鉄の剣。それが曲がり折れるほどの力で男に向かって振り下ろす。
そして一撃。男の首に当たる衝撃と共に辺り一帯が風圧で吹き飛んだ。完全に捉えた、防がせる隙も与えず直接首に叩きこんだ、勝ったと思った。
だが、切り落とす触感は手に伝わってこなかった。
「なんだ、まだこれだけの力が残っているじゃないか。見直したぞ人間」
煙が消え視界が広がると、そこには無傷で立っている男の姿があった。
「……はぁ、はぁ」
あれだけの攻撃をまともにくらっても無傷だなんて……まるでバケモノだ。
男は私を見渡すと、後ろに手を組み背中を向けて反対方向に歩みだす。
「ふむ、興が乗った。お前、名前はなんだ?」
「……」
その問いかけに私は答えず男を睨む。
「ふむ」
次の瞬間。目の前にいたはずの男が消え、腕だけ見えたと思えば見切れないほどの速さで私の腹部を殴ってきた。
「──かはッ"!?」
急な出来事に一切防御出来ずまともにくらってしまい、洋館の遥か長い廊下の壁まで飛ばされる。
「う"ぁ"っ……ゲホッ、ゲホッ……」
「で、名前は?」
そこで私は硬直し驚愕した。明らかに数百メートル離れた位置まで飛ばされたはずなのに、殴った男は目の前に。いや、──私の後ろにいた。
私は腹部の痛みを抑えながらも、なんとか力を振り絞って男に切りかかる。だが、男は私が攻撃するのを察するとまた姿を消し今度は背中を蹴り飛ばす。
「い"ッ──!?」
あれだけ鍛えたはずの骨がいともたやすく折れ、鈍い音が響き渡る。
そして勢いのまま更に数百メートル先の壁に正面から激突した。
「ぶあっ……」
壁にぶつかった衝撃で目や鼻、耳から血が溢れだす。
仰向けに倒れ、天井を見る形となった私は目の前の存在に絶望を覚える。いつの間にか男は天井を歩いており、そのまま壁をつたって降りてくるのだ。
吹き飛ばされた私より先へ移動するだけに飽き足らず、その身の重力まで無視している。その何もかも逸脱した行動に、常識という名の破片がボロボロと崩れ落ちていくのを感じた。
そして男は倒れ伏した私に同じことを問いかけた。
「──名前は?」
ああ、これが現実か……。
目を背けたくなるほどの圧倒的な実力差。人の身では届かない世界の輪。最初から分かり切った結果だったのだろうか。私のしてきた愚かな努力は、報われることなく無駄に終わることが決まっていたのだろうか。
特異点のような出来事に潔く屈し、復讐を諦めて新たな人生を歩む方が健全で身のためだったと。曖昧な情報に踊らされず、常識的な判断をもって明日を迎え続けた方が正しかったと。
そんなふざけた答えが、真理だったって?
──冗談じゃない。
「……お前、本当に人間か?」
男は表情を変えないが、驚いているのが分かる。
男の瞳に映る私は、これ以上ないほど満足そうな表情で笑っていた。
「名前、知りた、いん、でしょ……吐かせて、みなさい、よ……私から……ッ!」
ボロボロになった体を無理やり起こして再び剣を構える。
勝てる勝てないじゃない。この男だけは絶対に殺さなくちゃいけないんだ。殺さなくちゃ、私の生きてきた人生を肯定できない。
誰に納得されなくてもいい。誰に罵られてもいい。バカなことをしてるって分かってる。無意味な努力だったって分かってる。
だって、そんな正論はこの1000年の間に何千回も自問自答してきたんだから、何万回も後悔してきたんだから、だからこの行動の無意味さは私が一番誰よりも理解している。
だからこそ私は立つ、立たなくちゃいけない。あの子のためなんかじゃない。あの子の姉はあの子の死と同時に消えてしまった。
だからこれは私のため……私がやりたくてやってる、私のための復讐なんだ。
「殺す、絶対に殺してやる……!」
「そうか。今までのは力の1割も出していなかったのだが、そろそろ全力でいってもいい頃合いだな」
……冗談きついわね。
だけど、男の表情を見ればその言葉が決して嘘ではないことが分かった。そして嘘じゃないのなら、全くもって本当に冗談きつい。
それでも、今の私には関係ない事だった。
「やれるものなら、やってみなさいよ……ッ! その首、叩き斬ってやる……!!」
死を恐れずにどこまでも殺そうと殺意を切らさない目。
自暴自棄とも、狂気に身を任せた狂人とも違う。どこまでも貪欲に目の前の敵を殺す目で私は男を睨みつける。
「気に入った、気に入ったぞ人間。ならば──死ね」
その言葉を聞いても尚、私は最後の最後まで男に向かって剣撃を放った。
この世界では下から数えた方が早い弱小な攻撃かもしれない。だけど、それでも一矢報いようと全力で反撃を続けた。
対する男は右腕に力を込め、私の放つ斬撃をことごとく弾き飛ばして間合いに入る。そして私の視界から消えるほどの速さで強靭な打撃を繰り出した。
その余波で洋館が半壊し、鳥が羽ばたくほどの爆音を夜の森に響き渡らせる。そんな男の圧倒的な力を前に、私の体は破片も残らないほど木っ端微塵に粉砕したのだった。
──そしてこれが、私が一番弱かった頃の話である。
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