第09話 宝石の記憶
宝石にされた想い編
「君は、美味しそうに食べるね」
テーブルに並んだ色とりどりのお菓子に、着飾った子供たち。甘い匂いと紅茶の香りが漂う中、周囲からかなり離れた場所でお菓子を堪能していたレイツェルに、年上の少年は不思議そうに聞いてきた。
「えっ?」
皿に盛られた菓子を持ったまま、レイツェルは目を瞬く。少年の優しげに垂れた若葉色の目と、あまり見かけない濃紫色の髪が目を惹いた。
(こんな人、お茶会にいたかしら?)
今日は、皇后主催のお茶会だ。第二皇子と歳の近い令嬢とその母親が呼ばれており、要は婚約者候補を見定める為のものである。
まだ八歳のレイツェルは、色気づく他の令嬢とは違って食い気の方が勝っていた。皇子の婚約者になりたいとは一ミリも思っておらず、両親からも「人数合わせだと思えば良い」と言われている。
お茶会に行くと、レイツェル以外の令嬢は闘志を燃やしていた。触らぬ神になんたら。令嬢たちが第二皇子に群がっている間に、巻き込まれまいと逃げて来たところだ。
「……あなたも、お茶会に参加を?」
「いや? 僕は今日のお茶会には参加していないよ」
「えっ?」
「今日は、弟の為に開かれたお茶会だからね。僕は暇潰しに様子をこっそり見に来ただけだよ」
「弟の為に開かれた……?」
レイツェルは、首を傾げた。
このお茶会は、第二皇子の為に開かれている。「弟」という言葉から、レイツェルは目の前にいる少年の正体が分かってしまった。いや、できれば知らない方が良かったかもしれない。
「……もしかして、第一王子殿下でしょうか?」
「流石に、おチビさんでも僕を知ってたか」
愉快そうに笑う少年、アルギュロス・ヴェルデ・ジュアスプランドゥール。彼はエッセンディア帝国の第一皇子であり、少し前に皇太子となった人物だ。
レイツェルより五つ年上というだけあり、見た目は大人びている。だが、笑った顔は些か幼くも見えた。
「皇太子殿下にご挨拶を申し上げます。オルヴァーリオ侯爵の末娘、レイツェル・オルヴァーリオと申します」
レイツェルは、お菓子の盛った皿を片手に乗せながら淑女の礼をした。流石に地面に皿を置く訳にもいかず、かと言って挨拶をしないという選択肢はないので仕方がない。
立派な挨拶と見た目のちぐはぐさに、アルギュロスは肩を震わせながら「そんな風に挨拶をされたのは、初めてだ」と笑う。
「ふ、普段はもう少しちゃんとしてます」
レイツェルは気恥ずかしくなり、少しだけ頬を染める。決して普段からこんな風ではないのだと、言い張った。
「そっか。確かに、お菓子が邪魔だもんね……ふっ……くくっ」
「わ、笑いすぎでは?」
顔を更に真っ赤にさせながら、レイツェルは抗議する。本来なら皇子相手に言い返せる訳がないのだが、アルギュロスの柔らかい雰囲気についつい口が動いた。
当のアルギュロスは、子猫がじゃれついている程度にしか考えていないのだろう。余裕のある態度を崩さない。
「ごめんね、馬鹿にした訳じゃないんだよ。ただ、可愛いなって思って」
「……そうですか」
女性の憧れである皇太子に可愛らしいと言われて、レイツェルも悪い気はしない。しないが、言いくるめられている気がする。
「笑ったお詫びに、何か贈るよ。先代の皇帝に贈られたスミントス伯爵の薔薇はどう?」
スミントス伯爵の庭園を除き、皇族の住居区域にある温室にしか咲いていない薔薇だとアルギュロスは言う。
しかし、色気より食い気のレイツェル。花は別に欲しいとは思わなかった。それに、薔薇よりカスミソウのような小さな花が集まって茂っている花の方が好きである。
「そんな貴重な薔薇、受け取れません。どうしても何か贈りたいのなら、あれをください」
レイツェルは辺りを見渡した後、小さな紫色の花を指さした。可愛らしいが、どう見てもどこにでも咲いている野草だ。
「あれは、野草だけど?」
「良いのです。可愛らしいですし、薔薇よりこういう小さな花の方が好きなので」
これならわざわざ薔薇を用意させる事も、アルギュロスの気持ちを無下にする事もない。レイツェルは良い案だと考えた。
「あれも、城の花には変わりないですよね」
「……まぁ、確かに。それに、可愛らしい花だしね」
アルギュロスは目を丸くしたが、すぐに予想外だと笑う。小馬鹿にしているというより、単純に面白がっていた。
「なら、今回はこれで妥協しよう。また君に花を贈る機会が訪れた時は、小さくて可愛らしい花を厳選して贈るよ」
アルギュロスはそう言って花を一本摘むと、レイツェルの目線に合わせるように膝を折る。
(物語の王子様みたい……)
差し出された花は単なる野草だが、彼が持つとまるで高級な花に見えるのは何故だろうか。レイツェルは、何だか緊張してゴクリと唾を飲み込んだ。
「可愛らしいお嬢さん。よろしければ、僕の気持ちを受け取っていただけますか?」
そう言ってレイツェルを見上げた彼の目は、どこまでも優しい若葉色だった。
「そんな歯が浮くような台詞、よく言えますね。でも、ありがとうございます……。もし本当に機会があれば、今度は白い花が良いです」
憎まれ口を叩くものの、アルギュロスの瞳には満更でもない表情のレイツェルが写る。それが何だか気恥ずかしくて、視線を反らしながら花を受け取った。
「白い花か。覚えておくよ」
アルギュロスは怒る素振りもなく、笑う。
(何故かしら。何だか、心臓が痛いわ)
アルギュロスは、花をくれただけ。そして、レイツェルはそれを受け取っただけだ。
それなのに、レイツェルの世界が途端に色づき始める。
先ほどまで脳内を占めていた城のお菓子より、この野草の方が何倍も価値があるように見えた。今まで感じた事のない、感覚である。
(何これ、病気?)
レイツェルは花を皿の上に乗せると、空いた手で思わず胸を押さえた。風邪の引き始めならば早く休まねばならないと、神妙な顔を浮かべる。
「胸を抑えて、どうしたの?」
「何だか花を貰ってから心臓がうるさいので、変な病気でも患ったのかもしれません。顔も熱いし、熱が出たのかも……」
レイツェルが真面目に答えると、アルギュロスは目を瞬いた。何やら驚いた様子の彼だったが、すぐに「これは、責任を取るべきなのかな?」と考え込む。
「責任?」
レイツェルは、怪訝な表情を浮かべた。反対に、アルギュロスは楽しそうである。
「君は、表情がコロコロ変わって可愛らしいね。怒ってる姿も、子猫が警戒しているみたいで微笑ましいよ」
「ね、猫……ですか」
「君の不調の原因を決めつけるには時期尚早かもしれないけど……まぁ、良いか」
(何が?)
「君、僕のお嫁さんになる?」
「…………すみません、よく聞こえませんでした」
「僕は、婚約者がいないし。オルヴァーリオ家なら、家柄も派閥も問題はないしね。あぁ、年の差は気にしなくて大丈夫。もう少し大人になれば、五歳差なんて些細だよ。僕は平気」
「すごい。まったく、人の話を聞いてない」
「そう褒められると、照れるなぁ」
「褒めてませんが?」
「それは、残念」
楽しげなアルギュロスに対し、レイツェルは複雑な表情を浮かべた。正直、冗談だと分かってはいても「お嫁さんになる?」と問われた時、喜んだ自分がいる。
未だに心臓はバクバクとうるさくて、レイツェルはいよいよ医者が必要な気がした。
「殿下。申し訳ありませんが、本格的に体調が優れないようなので私は母の元へと戻ります」
ここで倒れる訳にはいかない。一緒にお茶会に参加した母親の元へと帰ろうと、レイツェルは頭を下げる。
「……そう。会場まで送ろうか?」
「結構です!」
アルギュロスの申し出を即答で断り、レイツェルは早足でその場を去った。後ろから「お大事に」とアルギュロスの上機嫌な声が聞こえた気がしたが、返事をする余裕はなかった。