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神は歪な愛を所望した  作者: 猫カ川遊子
第一部 レイツェル・オルヴァーリオ編
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第08話 神様来ちゃった




 目の前に現れた男に、レイツェルは目を瞬いた。

 濡れ烏色の長い髪は一つに結われ、眼鏡越しから見える切れ長の目は、夜明け前の空ような不思議な色をしている。異様に造形が整っていて、何だか雰囲気も神々しい。


(いつの間に人が? いや……)


 ――多分、人間じゃない。

 確証はないが、レイツェルは直感的にそう感じた。

 レイツェルは戸惑いながらも、男を見つめる。よくよく見ると、男の姿には見覚えがあった。


(我が家の取引先……どこかの令息……護衛騎士……どれも違うわね)


 ちらり、レイツェルは男の背後にある神像を見やる。「あっ」と、小さく声が漏れた。


「……もしかして、ヘルレーゼ様でしょうか?」


 男とそっくりな神像と相手を交互に見たレイツェルは、おずおずと問う。レイツェル自身も馬鹿らしいとは思うが、纏うオーラからして可能性は高いと踏んだ。

 すると、男はフッと小さく鼻を鳴らす。


「えぇ、そうです。お前の祈りに応えてあげたのですから、感謝してくださいね。レイツェル・オルヴァーリオ」


 何とも偉そうなこの男、どうやら本当に神らしい。


(ヘルレーゼ様は、確か海と時を司っていたはず……)


 この世では、死者の魂はすべて海へと還り、ヘルレーゼがそれを管理していると言われている。葬儀では死者の魂が迷わぬようにと、この神に祈りを捧げた。


「あの、私が祈ったのアラガーナ様だったのですが……」


 レイツェルは女神アラガーナに祈ったのであり、海の恵みを願った訳でも、ましてや死者への弔いをした訳でもない。

 神様違いですと言いたげに、レイツェルはヘルレーゼを見上げた。未だに男に対して懐疑的な気持ちが少なからずある事は、否定できない。


「なんと、随分と冷たいですね、レイツェル・オルヴァーリオ。この僕が、わざわざお前の悩みを解消してあげようと思ったのに」


「……え?」


「何故、あの皇子をそこまで嫌うのか。知りたかったのでしょう?」


 核心を突かれ、レイツェルは息を呑んだ。同時に、言いようのない不安が胸に広がる。

 妙な感覚だった。まるで、己の深淵を把握されているような気分になる。


(あっ……)


 しかし、ふとレイツェルはある事を思い出して、周りを見渡した。


「どうかしましたか?」


「いえ、その……人に見られるとまずい気がして……」


 護衛騎士は扉の外にいるが、アルギュロスの部下が陰ながら見張っているかもしれない。こんな所を見られて、アルギュロスに報告されても後々の説明に困る。


「あぁ、それなら問題はありません。ここら一帯の人間は、眠らせてあるので」


 ヘルレーゼ曰く、姿を見せる際にレイツェル以外の人間を眠らせたらしい。流石は神だというべきか。それなら安心だと、レイツェルは改めて姿勢を正した。


「先程の問いについてですが……ヘルレーゼ様は、その答えを知っているのですか?」


「勿論、よく知っていますよ。その前に、レイツェル・オルヴァ―リオ。お前は何故、あの皇子の婚約者であり続けるのですか?」


「え?」


「お前は、あの皇子が嫌いですよね?」


 ヘルレーゼの問いに、レイツェルは言葉に詰まった。

 今まで婚約を解消しなかった理由。いつか泣きっ面を拝みたいからだとは言えず、かと言って神に嘘をつくのも憚られる。


(……いや、そんなのは言い訳ね)


 薄々だが、レイツェルはその答えが分かっていた。本当は認めたくはなかったが、こうなれば認めるしかない。


「あの方を見ると腹立たしくて、好きか嫌いかと問われれば嫌いなんですけど……」


 第二皇子に対して、レイツェルは何の感情も湧かなかった。いや、第二皇子だけではない。他の男は皆、レイツェルにとって有象無象なのだ。

 良くも悪くも、レイツェルの心を乱すのはアルギュロスだけである。それが例え殺意に近い感情でも、体中に血が巡って己を動かすのはいつだってあの婚約者だけだった。


「腹立たしい話ですが、殿下といると自分が生きている実感が湧くのです。それに、気負う事もないですし……」


 アルギュロスから嫌われたって構わないという気持ちが強いので、取り繕う必要もない。だが、そのおかげで肩の力が抜け、厳しい皇太子妃教育にも耐えられた気もする。


「だから、婚約は解消しません。何の感情も湧かない相手と結婚をするより、例えマイナス感情でも心が動く殿下と結婚したいと思っています」


 ――そして、できれば愛したい。

 婚約者であり続けると選択したのは、レイツェル自身だ。

 これから先、アルギュロスよりレイツェルの感情を引き出す人間は現れないだろう。予感というより、これは確信だ。


「……なるほど。それも一つの『想い』ですね。あなたは、やはり『彼』を選びましたか」


 ヘルレーゼは、どこか満足そうに言った。


「それは、どういう……?」


「さてと、今度は僕が疑問に答える番ですね」


 そう言って、ヘルレーゼはおもむろに手をレイツェルの前へと突き出す。そこには、宝石が一つ乗っていた。

 イツェルの親指くらいはある大きな宝石は、赤みの強いピンク色で珍しい色合いだ。


(綺麗……)


 宝石を目にする機会が多いレイツェルでも、こんなに大きくて美しい宝石は見た事がなかった。


「これは……?」


「僕、人間の想いや記憶を収集するのが趣味なんです」


 強い想いは美しい宝石となり、ヘルレーゼはそれを集めるのが楽しいのだと言う。

 彼は死者の魂を管理する傍ら、その中で強い想いを持った人間に交渉をして宝石を集めているそうだ。


「宝石となった想いは、その者の中から思い出と共に消えます。……あぁ、勘違いをしないでくださいね。僕は、決して無理強いはしていません。『それ』を大事にしている者もいますから」


「はぁ……なるほど?」


 突然の収集癖を告白され、レイツェルは困惑する。

 相手が何を言いたいのかが分からず、レイツェルは首を傾げながら「その話と私に、何の関係が?」と問うた。


「これは、お前が『抱くはずだった想い』を宝石化したものです」


「……へ?」


 レイツェルは、気の抜けた声をあげる。

 意味が分からないと言いたげに眉を寄せるレイツェルに、ヘルレーゼは愉快そうに笑った。


「レイツェル・オルヴァ―リオ。お前が皇子を好きになれない理由は、何だと思いますか?」


「それは……」


 そんな事を言われても、レイツェル自身もよく分からない。

 アルギュロスから優しくされ、大事にされる度にレイツェルは苛立ちを覚えていた。何をされても「嫌い」という感情しかなく、アルギュロスの気持ちを知るまで違和感すら抱かなかった。これは、明らかに異常だ。

 そもそも、ここにきてまったく関係のない宝石の話をするだろうか。


「……もしかして、その宝石が原因ですか?」


「まぁ、関係していますね。これは、お前の皇子に対する『好意』ですから」


「殿下への好意……?」


 ――そんなモノがあったのか。

 レイツェルは、信じられないと言いたげに思わず呟いた。


「ありましたよ。お前の愛情は純粋で美しいから、僕は気に入っているんです」


「あ、ありがとうございます……?」


「それと、もう一つ。これも、お前の『想い』ですよ」


 ヘルレーゼは、もう片方の手もレイツェルに差し出す。

 そこには、別の宝石があった。先ほどの宝石より小さく、黒と灰色が混ざった複雑な色をしている。不思議な色合いだが、美しいというより禍々しい。


「……これは?」


「あなたが第二皇子へ抱いていた気持ちです。嫌悪と不信の塊ですよ。なかなか面白いでしょう?」


 嬉々として話すヘルレーゼに、レイツェルは苦笑いを浮かべた。良さは分からないが、楽しそうで何よりである。


(あれ、でも……)


 ふと、レイツェルにある疑問が浮かんだ。


『宝石化された想いは、思い出と共にその者の中から消える』


 ヘルレーゼは、確かにそう言っていた。しかし、レイツェルはアルギュロスに関する記憶は鮮明に残っている。第二皇子であるクラベールに関しては、何も覚えていないが。

 そもそも何故、ヘルレーゼが死者ではないレイツェルの「宝石」を持っているのか。疑問ばかりだ。


「今のお前は、あの皇子に対して好意を一切持てません。それが、僕と交わした条件だからです」


「条件……?」


「何事も、対価が必要ですからね。あらためて聞きます。レイツェル・オルヴァ―リオ。お前は、真実を知る覚悟はありますか?」


 ヘルレーゼの問いに、レイツェルは戸惑ったように目を軽く伏せる。迷いがないと言えば、嘘になる。

 しかし、もしアルギュロスを毛嫌いする理由があるならば、それを知りたいとも思う。一度だけ目を閉じると、レイツェルは力強く頷いた。


「はい。私は、知りたいです」


「あなたなら、そう言うと思いました。では、この二つの宝石に触れなさい。宝石の記憶が、お前に教えてくれます」


 レイツェルの答えを聞いたヘルレーゼは、満足気に微笑んだ。

 レイツェルはざわつく胸を押さえながら、ゆっくりと宝石へと手を伸ばす。指先が触れ、眩い光が彼女を包み込んだ。


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