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神は歪な愛を所望した  作者: 猫カ川遊子
第一部 レイツェル・オルヴァーリオ編
5/29

第05話 これは正当防衛です




 この庭園には何度か訪れた事があるので、勝手は分かる。

 しばらく歩くと人気もなくなり、ポツンと薔薇に囲まれた東屋が見えた。


「……ふぅ」


 腰を降ろし、少しだけ目を閉じる。

 風に乗った薔薇の匂いが鼻をくすぐり、遠くから小鳥の鳴き声がした。実に平和で穏やかな時間が、ゆったりと流れている。


(癒やされる……)


 美しい薔薇に囲まれ、静かで一人きりの時間を堪能できる時間がなんとも贅沢だ。このまま瞑想をしたいところだが、もう少し経ったら戻らねばと思い直す。


「……レイツェル嬢」


 ガサリと草が揺れる音と共に名前を呼ばれ、レイツェルは目を開けた。


(……あっ)


 若葉色が視界に入った瞬間、アルギュロスが現れたのかと錯覚する。だが、眩い金色の髪に凛とした目を見て、すぐに違うと判断できた。


「クラベール殿下?」


 目の前にいたのは、令嬢たちが噂をしていた第二皇子だった。

 何故、ここにいるのか。そんな疑問が頭に過ぎったが、挨拶をしない訳にもいかない。

 レイツェルは慌てて立ち上がると、クラベールに淑女の礼をとる。すると彼は、楽にして欲しいと声をかけた。


「こうして、話すのは不思議な感じだな」


「……そうですね。殿下もお茶会に?」


「いや、実はここの令息とは友人なんだ。要件は済んだが、ついでにここの薔薇を眺めようかと思って」


「そうでしたか」


 ここの令息と言えば、スーリの双子の兄しかいない。彼の客人は、どうやらこの第二皇子だったようだ。


(そう言えば最近、騎士団に入団したとスーリが言っていたわね)


 第二皇子とその双子の兄が友人だとスーリからも聞いた事はなかったが、体を動かす事が好きな者同士なので意気投合をしたのだろう。

 ちらり、視線を下げるとクラベールの腰に帯剣された立派な剣が目に入る。


「隣に座っても良いかな?」


「えぇ、構いません」


 レイツェルが少し横にずれると、クラベールはどかりとその隣に座った。


「君とこうして二人で話すのは、初めてだな」


「確かに。二人でお話する機会は、なかなかありませんでしたね」


 レイツェルは当たり障りのないのない返事をしつつ、憩いの時間が終わった事に少なからず気落ちした。

 そんなレイツェルの気持ちとは裏腹に、クラベールは話を続ける。


「俺は薔薇の花が一番好きなんだ。今度、花を贈っても良いだろうか? 君には、薔薇がよく似合う」


「ありがとうございます。ですが、私は小さくて可愛らしい花が好きなのです。私たち、好みが合いませんね」


 婚約者でもないのに、花を貰う理由がない。

 ただでさえ、第二皇子は噂の渦中にある。そんな人間から花を贈られたら、レイツェルにも飛び火してしまう。


「兄上は、いつも小さな花ばかり贈るらしいじゃないか」


「えぇ。私好みで、いつも大事に飾っております」


「好みは人それぞれだが、君は華やかな花の方が似合うぞ。兄上より、俺の方が君を理解していると思うが」


「……何がおっしゃりたいのですか?」


 結局、何が言いたいのか。

 レイツェルは困惑しつつ、クラベールを凝視する。


「俺は、まさか君が兄上の婚約者になるとは思わなかった」


 微かに目を伏せて呟くクラベールに、レイツェルはどういう意味かと首を傾けた。何だか、嫌な予感がしてならない。


(私がアルギュロス殿下に相応しくないとか? えっ、兄弟揃って喧嘩売るのが趣味なの?)


 喧嘩を売られた以上は第二皇子でも抗議をするつもりでいたレイツェルだが、彼の口から出た言葉に思考が停止する。


「本当なら君は、俺の婚約者になるはずだったのに」


 流れる沈黙。クラベールの言っている意味が分からず、レイツェルは頭を悩ませた。


「えっと、それはどういう?」


「兄上との婚約が決まる前に開かれたお茶会は、俺の婚約者を決める為に開かれたものなんだ。俺が君に婚約を申し込んだ事、覚えていないか?」


(えっ、そんな……そんな事――)


 ――まったく、覚えていないのだが。

 レイツェルは、奥底にあった記憶を何とか引っ張りあげる。

 確かに、アルギュロスと婚約する前に城のお茶会に参加した。同い年くらいの少年と会話をしたような気もするが、お菓子が美味しかった事くらいしか思い出せない。

 しかし、ここで「いやぁ、覚えてないですねぇ」と言えるほど、レイツェルは空気が読めない人間ではなかった。


「……そういうお話があったとしても、今の私はアルギュロス殿下の婚約者ですので」


 レイツェルは、なるべく悲しげな表情を作る。こうなったら、ゴリ押しで誤魔化すしかない。


「だが、兄上が俺から君を奪ったのは事実だ」


(おっと、雲行きが怪しくなってきたわ)


 まるで相思相愛の二人をアルギュロスが引き裂いたように聞こえるが、レイツェルはクラベールに対して何の感情もない。


(アルギュロス殿下に婚約者候補を横取りされたから腹が立ってるのね)


 そこまで仲は悪くなかったはずだが、確かに二人が和気藹々とした会話をしている姿を見た事はない。

 それに、八年も前の事を持ち出すのだから、クラベールはアルギュロスが嫌いなのだろう。まったくもって、その点だけは気が合いそうだとレイツェルは思った。


(そもそも、八年前の私は婚約を申し込まれた時に了承をしたのかしら?)


 両親からはそんな話を聞いた事はなく、いくらレイツェルが食いしん坊だったとしても皇子直々に婚約を申し込まれたなら覚えているはずだ。だが、まったく覚えていない。


「クレベール殿下。もう、八年も前の事です。噂で聞きましたが、あなたには想い人がいらっしゃるとか。私とは縁がありませんでしたが、その方を大事にしてくださいませ」


 もう蒸し返すなという気持ちを込めて、レイツェルはそう言った。

 すると、立ち上がったレイツェルの手をクラベールが掴んだ。まさか引き留められるとは思わなかったレイツェルは、目を見開く。


「あの、殿下……」


「俺がずっと好きなのは、レイツェル嬢。君なんだ!」


 熱を帯びた、若葉色。風に吹かれて薔薇の花弁が舞い、真剣な表情の美青年――体は筋肉質――がレイツェルを見上げている。

 もし、レイツェルが夢見がちで純真無垢な少女であったならば、心が震えただろう。そして皇太子の婚約者である事を嘆き、涙の一つでも零して「私には婚約者が……」と悲劇に酔うのだ。


(何故かしら、まったく心が動かないわ)


 しかし、レイツェルは違った。

 嬉しさや感動、怒りや戸惑いも何もない。海で例えるなら、凪の状態である。


「……今のは、聞かなかった事にしますね」


 務めて冷静に返し、レイツェルはクラベールを見つめた。

 クラベールがレイツェルを本当に好きだったとしても、八年も行動に移さなかったのだ。なのに、突然そういった行動を取られても困るだけである。


「では、私はこれで」


「待ってくれ。この機会を逃すと、いつ君に会えるか分からない。この八年、兄上の妨害が酷くて、君に近づけなかったんだ」


「あー……」


 否定をしたいが、アルギュロスならやりそうだとレイツェルは思った。だが、その話が本当だとすれば、今の状況は些か異常である。


(本当に来てないの?)


 レイツェルは咄嗟に周囲を見渡し、アルギュロスの手下か本人がいないかを確認した。こんな場面を見られたら、弟でも八つ裂きにするかもしれない。


「もしかして、ここで会ったのは偶然ではなかったのですか?」


「……あぁ。君が茶会に出席すると聞いて、令息に頼んだ」


(なんて無茶な事を……)


 第二皇子もスーリの兄も、命知らずな奴らだとレイツェルは思う。


「殿下、しっかりなさいませ。それは、初恋特有の幻想。私は、そこまで良い女ではございません!」


「そんな事はない。今も昔も、君は美しく素敵な女性だ。シャトン嬢と婚約して、その想いがより一層強くなった」


(褒められているのに、まったく嬉しくない)


 恋は盲目という言葉があるが、まさにクラベールはそれだ。

 レイツェルは舌打ちしたくなる気持ちを押さえながら、ここからどう逃げようか思考を巡らせる。手をがっちりと掴まれているので、簡単には逃げられない。


「殿下、お察しください。こういった場面で醜聞にされるのは、私です。皇太子の婚約者でありながら、第二皇子と密会をしているなどと面白可笑しく言われてしまうのです」


「そのような者は、俺が黙らせてやる。頼む、レイツェル嬢。俺を受け入れてくれ」


「無理です」


 間髪入れずに、断った。

 婚約者が駆け落ちをして自由になったせいか、クラベールは頭のネジがぶっ飛んでいる。正直、レイツェルには面倒な事に巻き込まないでほしいという気持ちしかない。


「なら、既成事実を作るしかないな」


 しかし、そうこうしている内にクラベールは顔をレイツェルへと近づけた。

 このままでは唇同士が当た――


「ふんっ!!」


 ――る前に、話が通じないと判断したレイツェルは、渾身の力で拳をクラベールの脳天へと振り下ろす。

 ごちんっ、鈍い音と共にクラベールが白目を剥いた。


「正当防衛です」


 レイツェルがアルギュロスに腹を立てて枕の中身をぶちまけたのは一度きりだが、それからは殴っても破れない砂袋でストレスを解消している。

 おかげで、拳を振り下ろした時の衝撃は人の気を失わせ程の威力があった。まさに、継続は力なりだ。


「図らずも皇族に危害を加えてしまったけれど、女に気絶をさせられたなんて恥ずかしくて言えないでしょう」


 保険としてアルギュロスを盾にする事も考えたが、頼るのは癪だと思い直してドレスの皺を直した。

 そして何食わぬ顔でお茶会の会場へと戻ったレイツェルは、スーリにだけ事情を話してさっさと屋敷へと帰るのであった。


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