第05話 来世で会えたなら
――第二皇子が、元婚約者を殺害。
その事実は、アルギュロスによって隠蔽される事なく公表された。
本来ならば、クラベールは皇族からの除籍処分を受け、強制労働などの重い罪に問われるはずだった。
しかし、錯乱状態の彼は精神に問題ありと診断され、話し合いの結果により皇族の重罪人が収容される離宮で生涯幽閉の身となっている。
レイツェルの葬儀は、侯爵家たっての希望により身内だけで粛々と行われる事が決まった。
皇帝や皇后も冥福を祈りたいと申し出たが、侯爵はそれを拒んだ。
当然だろう。相手は皇族とはいえ、自分の娘を身勝手に殺した家族なのだから。
「オルヴァーリオ侯爵。僕の我儘を聞いてくれて、感謝します」
しかし、アルギュロスにだけは葬儀の前にレイツェルとの別れの挨拶をする機会を与えられた。
棺桶の中で眠るレイツェルを前に、憔悴した様子のアルギュロスが立つ。
「……少し前、レイツェルからあなたの話を聞いておりました。あなたがいたから、今まで頑張れたと」
侯爵はクラベールと婚約を解消したいとレイツェルが申し出た時、初めて彼女の胸の内を知った。そして、レイツェルの心に誰がいるのかも。
「クラベール殿下……今は、名前を呼ぶのもおぞましいですが。あの男に理不尽な扱いを受けていたのなら、もっと早く教えてほしかった。私は、父親なのにあの子の辛さを知らなかったのです」
「…………」
侯爵の悲痛な訴えに、アルギュロスは黙って耳を傾けた。それくらいしか、できなかった。
「レイツェルは、頑固でした。こうだと決めたら、意地でもやり切ろうとする所があるのです」
「……えぇ。よく、知っています」
「家族にすら弱音を吐かない子でしたが、あなただけが心の支えだったのでしょう」
そう言って、侯爵は一枚のしおりをアルギュロスへと差し出した。
紫色の小さな花。それは、アルギュロスがレイツェルと初めて会った時に贈ったものだった。しおりは少し歪だが、頑張って作ったものだと見て分かる。
「昔から我が家にいる侍女から、あなたから頂いた花だと聞きました。レイツェルは、いつもこれを眺めていたそうです」
「……触れても?」
「はい。良ければ、あなたの手で娘の棺に入れてやってください。黄泉への旅立ちも、これで寂しくはないでしょう」
侯爵からしおりを受け取ったアルギュロスは、目を伏せて瞳を揺らした。
他人からすれば、ただの雑草である。それでも、レイツェルは後生大事に取っていたのだ。その事実に、アルギュロスは愛おしさが込み上げる。
「……私は、席を外します」
侯爵家はそう言うと、アルギュロスへ背を向けた。
残されたアルギュロスは棺に近付くと、花に包まれ眠るレイツェルに声をかける。
「……僕は、幸せ者だね。君にこんなに想われて」
死んでも尚、レイツェルは美しかった。階段から落ちた時の痣などは化粧で消えており、穏やかに目を閉じたその表情はただ眠っているようにしか見えない。
「……実はね。君が生きていた証とか、君との思い出の品とか。婚約者ではない僕は、君に関する『物』を何一つ持っていないんだ」
アルギュロスは、しおりをレイツェルの胸元へと置く。この花だけが、唯一二人を繋ぐ「物」である。
「でもね、僕は君から目に見えない沢山のモノを貰った」
熱を帯びた視線。アルギュロスを呼ぶ柔らかい声。時折見せる心からの穏やかな笑顔。そのすべてが、アルギュロスへの愛情を示していた。これが「愛」ではないのなら、何なのか。
アルギュロスは冷たくなったレイツェルの手に触れると、感情が溢れ出さないように一度だけ唇を噛む。
「痛かったよね。ごめんよ、君を守れなかった」
――あんなに、幸せを願っていたはずなのに。
これから先、アルギュロスの人生にレイツェルがいない。その事実が、ずっしりと胸にのしかかる。
目の奥が痛いくらいに熱くなり、呼吸することさえ苦しい。
「……君を愛してるんだ。誰よりも……愛してた……」
ずっと言いたくても、言えなかった言葉。絞り出した声と共に、涙が溢れた。
「時の神、海の神であり冥府の管理者、ヘルレーゼよ。どうか、彼女の魂が迷う事なくあなたの元へと行けますように」
アルギュロスは、レイツェルの黄泉への旅路を祈る。魂はみな、海へと還ると信じられていた。
男神ヘルレーゼの元へと旅立った魂は、生まれ変わって再び地上に戻ってくるのだ。
「そして、叶うなら。僕と彼女の魂が再び出会う機会をお与えください」
何年、何百年かかっても、構わない。来世があるならば、もう一度巡り会いたいと願った。
(……そろそろ、行こう)
どれくらい、祈っていただろうか。
そろそろレイツェルの葬儀が始まる頃だろうと、アルギュロスはその場から立ち去ろうとした。しかし、ふと見知らぬ男が立っている事に気付く。
(参列者か? しまったな、顔を見られる前に立ち去らないと)
アルギュロスがレイツェルの葬儀に来たと知られれば、実は通じていたのではないかと勘繰る輩も出てくるだろう。死者となったレイツェルの名誉も傷つきかねない。
アルギュロスは、顔を伏せて男の横を通り過ぎようとした――その時、男が愉快そうに笑った。
「実に涙ぐましい愛ですね。僕、そういうの大好きです」