第01話 殺伐とした交流会
恋愛の末に結婚をした者の大半は、その恋が「運命」であり「真実の愛」だと信じている。
時に情熱的に、時には穏やかな風のように愛を紡ぐ時間は、実に甘美だろう。そういう相手と添い遂げられたならば、きっと幸せなはずだ。
しかし、決して政略結婚が不幸せという訳ではない。
月日が経てば愛情が芽生える可能性はあるし、愛はなくとも相手を信頼し人生の戦友として共に生きる事だってできる。夫婦の形は、一つではないのだから。
「幸せになれるかは、あなた次第よ」
そう母親に言い聞かせられた、八歳の春。
レイツェル・オルヴァ―リオは、五つ年上の皇太子の婚約者となった。
「シャトン・シャエランが、平民の青年と駆け落ちしたらしいよ。真実の愛とやらを貫いたんだね」
エッセンディア帝国の帝都にある、オルヴァーリオ侯爵邸。手入れの行き届いた庭園の真ん中で、青年は愉快そうに笑う。
濃紫色の髪は光の加減によって黒にも見え、目尻の垂れた若葉色の目は柔らかい印象を与えた。ただお茶を飲んでいるだけなのに、優雅さが滲み出ている。
青年の名は、アルギュロス・ヴェルデ・ジュアスプランドゥール。この国の皇太子だ。
「……はぁ、そうですか」
興味なさげに返すのは、皇太子の婚約者になって「八年目」のレイツェル・オルヴァ―リオ。侯爵家の末娘だ。
レイツェルは黒真珠のような猫目を相手に向け、頬にかかっていた真っ赤な薔薇のように赤い髪を邪魔くさそうに耳へとかける。
今日は婚約者同士の交流会、もといお茶会が侯爵家で開かれていた。その雰囲気は、些か殺伐としている。
「あれ、もしかして知ってた?」
「シャエラン伯爵が、あまりのショックに寝込んだらしいですね。令嬢たちの間でも、かなり噂になっていますよ」
「そうそう。父上に謝罪に来たシャエラン伯爵、顔面蒼白で可哀想だったな」
「……あぁ、彼女は第二皇子殿下の婚約者ですからね」
婚約が結ばれたのは、約ニ年前。伯爵である父親は外交官を務めており、娘のシャトンも語学が堪能で知識も豊富らしい。その有能さを皇帝に買われ、婚約者に選ばれたのだともっぱらの噂だ。
「成人した途端に駆け落ちなんて、すごいよね」
シャトン・シャエランの年齢は、十八歳。この国では成人とされる歳だ。
「……あなたは、何も思わないのですか?」
「僕?」
「仮にも、弟の婚約者でしたし。心配するとか……」
実の弟が、婚約者に逃げられた。その事実に対して、アルギュロスは怒ったり悲しむ様子はない。
「ははっ、僕には関係ないよ。それに、婚約して二年で逃げられた愚弟も悪い」
「冷たいですね。……まぁ、私は貴族としての義務を放棄した彼女に対して、少し思うところがありますが」
家同士で決められた貴族の婚姻は、個人の意思とは関係なく義務が発生する。
それを放棄する行為は、よほど事情があるか自分勝手かの二択だ。今回の場合、婚約解消もせずに逃げ出しているので、後者が濃厚だが。
「……君はそうだろうね。彼女とは根本的に考え方が違うから」
「シャトン様の事をよく知っているような口ぶりですね。まさか、密かに通じていたんじゃ……」
「やだなぁ。僕は、そんな愚かな事はしない。それに、彼女は平民の青年と駆け落ちしているじゃないか」
「……まぁ、そうですね」
「僕は、レイツェルが一番だよ。レイツェルが十八歳になったら、すぐに結婚する予定だしね」
見た者が見惚れる微笑みで断言するアルギュロスに、レイツェルは顔を赤く染め――る事もなく、眉間に皺を寄せて不機嫌さを丸出しにした。
「解消なされたら、どうです? 今ならまだ間に合いますよ」
「絶対にしない。それに、僕以上に好条件の良い男はいないと思うけど?」
真剣な顔で言い切るアルギュロス。確かに顔は良く、南東の大陸で一番の大国であるエッセンディア帝国の皇太子という事もあって金も権力もある。
(でも、気に食わないのよね)
しかし、レイツェルはアルギュロスの事が嫌いだった。
いつからかと問われれば、かれこれ八年は殺意に近い感情を覚えている。今も、胸のあたりが甘ったるいケーキを食べた後のようにムカムカしていた。
「そういう自信家な所も嫌いです」
「事実だから仕方ないよね」
あぁ言えば、こう言う。
レイツェルは舌打ちをしたくなる気持ちを抑えつつ、目の前のカップへと手を伸ばした。冷めてしまっているが、紅茶の香りでいくらか気分も落ち着く。
(婚約して、八年か……)
関係は決して良好とは言えないが、未だに婚約は続いている。それが何だか可笑しくて、レイツェルは小さく鼻で笑った。
読んでいただき、ありがとうございます。
久しぶりの投稿なので至らない点もあるかと思いますが、楽しんで貰えたら幸いです。