すすき花火の咲く頃に
私は知っている。その人のぽっかり空いた時間,その時間を埋めるためだけに,私は今生きていると。――いや,それでも傲慢だ。彼はただ,私のわがままに付き合ってくれているだけだ。きまぐれに。ただ,運に任せるしかない気分だけで。だから,傲慢は絶対に許されない。
まぁ,例えそうだとしても,一緒にいられるだけで幸せなのだけれど。
すすき花火――子どもの頃は,その名前さえも気にかけたことのなかった,手持ち花火の一種だ。名前は知らなくとも大好きなそれを,商品カゴにいくつも放る。
「このくらいなら持てるよね?」
レジを終え,彼にそう問いかけようとしてやめた。惚れた弱みとはこのことかも知れない。相手の感情を害すのが怖いのだ。
嫌われたくない――人間はだれしも,少なからずそう思うものだろう。それでも,大好きな人が相手ならそれは,殊更強く発揮される。面倒だと思う反面,これが恋なんだなぁ,なんて不格好な感想を抱いたりもする。
何でもない会話をしながら,彼と店を出た。目指すは学校の屋上だ。もう,10年以上も前に卒業した,母校の中学校。あそこの屋上に侵入し,花火で彩る。それが,今日の私たちの目的だった。
「花火大会行こうって言ったのに」
「人いるし見えないし,大会は大変っすよ」
「それはそうでしょうけど」
達観したように花火大会を語る彼に,手に持った白いビニル袋を突きつける。それは,少量の手持ち花火を運搬するためだけに作られたほどに薄く,心許ない。
「ま,これがあれば無問題なんですけどね!」
「いいじゃん」
満足そうな彼が,「あ,火種」と呟く。私は自慢気にポケットからマッチと蝋燭を取り出し,「準備は万端ですよ」と胸を張った。
彼は無言で頭を撫でてくれる。優しくて大きな手。この手が私は大好きなんだ。
夏も終わりごろ,薄暗くなってきた景色に佇むその校舎は,学校としての役目を終えた建築物として優しい影を落としていた。まるで,引退後の老人のようだ,と思う。校門は開いていた。穏やかさと妙な哀愁の漂うそこに,容易に侵入する。
「誰ももう管理してないのかな?」
「まさか。ただの怠慢じゃない?」
彼は隣で笑い,そんな彼がいとおしくて,思わず手をきゅっと握った。大好きな手。温かくて大きな手。
校舎の入り口はなかなか見つからない。それでも,5分と経たずに割れた窓ガラスを見つけることができた。
「安易だね」
「安易だな」
2人で言い合い,割れたその隙間から手を差し込み,鍵を開ける。窓枠に足をかけて侵入するのは,外で駆け回っていた子どものころを思い出して,少しわくわくする。
廊下は静まり返っていた。なんとなく良心が咎めて,サンダルを手に持って裸足で歩く。懐かしさがこみあげてきて,教室をひとつひとつ覗き込んでいきたくなったが,彼が落ち着いた様子なのを見てあきらめた。ガキなところを見せると,また笑われる。私は,「落ち着いた大人の女性」にならなきゃいけないから。そうすれば少しは好きになってくれるかもしれない。バカみたい。そう思いつつも,そんな一縷の望みを捨てきれない自分が面白かった。
ちょうど3階分階段を上り,階段の続きを見上げる。鈍く光るその鉄の扉が,全てを受け入れているように見えるのは,屋上という場所の特殊さからだろうか。
彼と顔を見合わせ,そのまま手を繋ぎなおす。半階分の階段を上り,なんとなく,「結構式場みたいだな」と思った。式場になんて行ったことがないからわからないけれど。
鉄の扉に手をかけると,ひんやりとした感触が伝わってくる。開いていなかったらどうしよう,と今更不安で心臓が鼓動する。そんな心配とは裏腹に,ドアノブはかちゃりと緩慢な音を立てて開いた。
「開いた」
「開いたね」
子どものようにはしゃぎまわることはせず,それでも内心に興奮を敷き詰めて,私は彼と一歩屋上へ侵入する。薄暗かったはずの空は,もう随分と日が落ちかけてしまっていた。屋上の柵に手をかけ,街を見る。マンションの多い一帯の景色は,ひとつひとつの明かりが人間の営みを想起させる。
「何やってんだ,準備するぞ」
「うん」
彼がせかすように言う。私は振り返り,準備を進めていく。小皿に蝋燭を置き,マッチに火をつける。蠟燭に引火させてからマッチの火を消し,小皿に蝋を落として蝋燭を固定した。水の入ったペットボトルの口を開け,横に置く。花火を横に並べて,「できたよ」と彼に声をかけた。
空と街の境界線,そこだけが薄っすらと黄色に染まっているその景色を背後に,彼の後ろ姿が見える。
「ほら,準備できたってば」
声をかけつつ彼の方に歩いていく。その手をとると,彼と目が合った。薄く照らされた彼が愛おしくて,その輪郭に手を伸ばす。背伸びをしてそっと口づけをした。つう,と頬に涙が伝う。
「やだ,ごめん。泣いてるわけじゃなくて」
慌てて袖で涙を拭う。
嫌。泣いてなんかないもん。違うの。だからどうか,お願い。
「お願い,消えないで」
伸ばした手が空を切る。涙を拭った視界に,彼は見えない。
「嫌,嫌,お願い」
ガキだと思われてもいい。好かれなくてもいい。嫌われてもいい。だからいなくならないで。
膝から崩れ落ちた。コンクリートの生温い感触が伝わってくる。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
絶叫した。ガキだと思われてもいい。だって,彼はもういないから。嫌われるにも好いてもらうにも,彼はもういないのだ。
私は知っていた。私のぽっかり空いた時間,その時間を埋めることさえ出来ずに,ただ生きていたと。傲慢と錯覚の上に成り立つ人生。それでも幸せだったのだけれど。
受け入れたくない。受け入れられない。彼が隣にいてくれない人生なんて,意味があるの? どうやって生きていけばいいの?
ようやく好きになれた人だったのに。
すっかり暗くなったその中に,唯一蝋燭の炎だけが揺れる。
「せめて花火だけでもしようよ,意地悪」
乱暴に涙を拭い,空を見上げた。
「ばぁか,ガキのお前には付き合ってらんねぇよ」と,苦笑いする彼の声が聞こえた気がした。




