4、練習
「体育祭はクラス対抗、土日をかけて行われる――競技はドッジボール、二人三脚、リレー、障害物競走、玉入れ、台風の目、騎馬戦。二人三脚と騎馬戦以外は希望制。でも規定人数あり」
ミオに説明すると、彼女は目を輝かせた。
「もう、組は大体出来上がっちゃっているからね。まあ、この時期なのが幸いしたのかな? まだ間に合うでしょ。どこに入る? ……とか言って、ドッジしか残ってないんだけどね」
「え? リレーは?」
ミオはリレーにご執心らしい。
「リレーはもうとっくに選手決まっているよ。クラスで百メートル走速い人から順番に」
「私も百メートルは速い! 滅茶苦茶速い! 音神では雷少女と呼ばれていた!」
「…………あ、そう」
しかし。
音神って平然と口にするのな……。そりゃ、当たり前だけど。
「とりあえず! このリレーで勝ちたいのなら、私は絶対に入れるべきだ!」
「そんなこと私に言われても……」
「じゃあ、リレーの選手は誰だ! そいつらの名前を教えてくれ」
「え、私、分からないよ。リレーの選手じゃないし」
「うわ、役に立たねぇー」
さらっと役立たず呼ばわりされた。
けれど、こちらもそれをさらっと受け流した。
六月八日――。
ミオが転校してきてから、既に二日。
その間は幸いにも、何事もなかった。正直、何か嫌がらせされるのではないかとびくびくしていたのだ。
池田の目が不満の表れのようにどんどん濁って行ったが、それはもう諦めてもらう。
彰子はもう、ミオには話しかけてこない。あの子にも人間としての暗さがあったのだと思うと、それはそれは心温まるお話だった(揶揄も何もなく、本当にそう思う)。
「まあいいや。リレーの練習っていつか分かるか?」
「ああ、それなら確か、」
一瞬、誰かの視線が突き刺さった気がした。
誰なのかを考えることが怖くて、慌てて、言いかけたそれを別の言葉にする。
「あ、……明日の昼休みだったかな」
「嘘をついている」
本当はいつなの? という言葉は、柔らかな口調でありながら鬼にも勝る迫力があった。
「今日の……っ、放課後です」
思わず敬語。
「ありがと」
人が足りないドッジボールには必ず参加するからさ、とミオは言う。
「リレーだけは、させてもらおうか」
あと私に嘘をつくのは無意味だよ、と言ってミオは自分の席に戻る。
私は今まで、この人が嘘を見破るのが得意だということを忘れていた。
そして、些細なことで彼女は火をつけられるということも、つい忘れていた。
「千佳」
放課後、掃除当番の一人である私は教室のゴミ捨てのため、焼却炉へ急いでいた。
軽やかな声に、振り返る。
「……あずみ」
私に声をかけたのは、体操着姿のあずみだった。
一人だ。そして何故か――疲れている。
「どうしたの?」
しかし、この時点で何が起こったのか私はほぼ了解していた。
「千佳は、アレの味方なんだよね?」
「……味方でもないけど、敵ではない」
「そんな中途半端を、認める気はないわ。今、ここで、敵か味方か選択してくれる?」
鬼気迫るものを感じた。
「何があったの? ――リレーの、選手なんだよね? あずみは」
「抜けたわ」
「え……?」
あずみは、この前の体力テストで百メートルにおいて十二秒を叩き出した女子だ。リレーでうちのクラスが勝つには、彼女の力は必要だ。
「あの女の百メートルタイム、知ってる? ――十一秒六」
「じゅう、いち」
下手すれば――オリンピックに行けるレベル。
「あの女、自分も選手にしてくれって言ってきた。無理だって言ったら、『私はお前らより俊足だ』ってね。だから、試した。あいつと、選手全員で百メートルやったわ。補欠の生徒に、タイム計ってもらってね。そしたら……全員突き放して、そのタイム」
しかも、とあずみは一拍呼吸を置いてから、続ける。
「あいつ、息を切らしてなかったのよ」
ふざけてるって思わない?
「選手にするしかなかった。……あたしは、やめた」
「どうして、あずみがやめるの? そこがよく分からない」
「仲良くなれない」
仲良く?
あずみの言っていることが分からない。
「天敵だわ。それでいて、あたしは勝てない」
そんな奴のそばにいたって、惨めなだけでしょう?
あずみはそう言って、自嘲気味に笑んだ。
「で、千佳。あいつの敵になるの、味方になるの?」
私は、決してミオの敵ではない。だが、味方かというとそれも答えきれない。
そういうことを考えて、友達を作ったことなどなかった。
あずみは目の前の人間が敵か味方かを――ずっと考えて、友達を作っているのだろうか。
なんだか、とても怖くなった。
私は、どうしようもない臆病者で、卑怯者だ。
人を嫌うのに、自分が嫌われるのは嫌だ。
その考えに、どんなリスクがあるかを知っていても。
「私は、音神は決して好きではないから」
「んー。そういえば前、不安だって言ってたもんねー」
あずみは少し表情を崩し、わずかに笑んだ。
「ありがと」
私は、ミオが好きか嫌いかという質問に答えていない。
でも、あずみはその言葉で何らかの解釈をしたようだ。それを、私が知ることはもうできないと思う。
「ちょっと練習、見に行こう」
私はそう声をかけた。
「え? でも、千佳、掃除当番じゃん」
「気にしないで」
私のことなど、どうでもいい。
気になるのはとにかく、ミオだ。
「安藤」
ミオは息を切らしていた。
どうやらついさっきまで、散々走っていたらしい。他の選手達はすっかりばてていて、グラウンドに転がっている人までいる。
どうやら、ミオが散々特訓をしたようだ。
「どうした? 私の勇姿でも見に来た――訳じゃないのか」
私の後ろのあずみを見つけたらしい。
柔和なそれが、一気に鋭くなる。
「篠原」
「楽しそうね」
「楽しいさ。だが、この面子では勝てない」
「え」
「お前の力が必要だ。戻れ。いや、戻ってくれ」
言い直してもあまり変わっていないが、それはともかく。
あずみに、助力を頼んだ?
ミオとて、あずみに好感は持っていないだろう。むしろ、敵視している可能性が高い。それなのに――。
「嫌よ」
あずみは当然のように、そう言った。
「私は、あんたのこと、嫌いなんだから」
「私だってお前は嫌いだ。それでも頼んでいる。――勝つ為には、お前の力が必要だ」
ミオは、さっきと同じ言葉を繰り返す。
「頼む、戻ってくれ」
あずみは、目を丸くしている。
ミオが、深々とあずみに頭を下げたからだ。
ばてていたはずの全員が、いつの間にかこちらに注目している。
「……っ、分かったわよ」
周りの視線に耐えられなくなったのか、はたまた、ミオの態度に根負けしたか。
あずみは、呟くように言う。
「協力するのは、今回限り」
「構わん」
そして、にへら、とミオは笑った。
とても無邪気な顔をしていた。