3、友達
休み時間になり、葦村ミオに最初に話しかけたのは彰子だった。彰子は誰にでも優しい。だから、葦村ミオが彰子の幼馴染に対し見せたあんな振る舞いも平気の平左――ということはないのだろうけれど。
彰子にとってそれが、葦村ミオを避ける理由になるわけではないのだろう。
「葦村さん? 私、真崎彰子。よろしくね」
その瞬間、一気に教室の雰囲気がざわめきからさざめきに変わった。
葦村ミオは彰子を見ると、訝しげな視線を送りながらも「ああ、よろしく」と返した。
「凄いね、朝のあれ。私、運動できないから憧れる」
快活なのは結構、だが頼むから憧れないでくれ。
気づけば、休み時間の喧騒はどこへやら、今この教室で喋っているのは彰子と葦村ミオの二人だけだ。
クラスメートたちの視線が自分たちに向いていることも気づかず、二人は呑気に会話を続けている。
「あれはノリでやった。だから、できたこと自体はたまたまさ」
「凄い! 練習してたとかじゃないんだ!」
彰子はとても楽しそうな顔をした。
「前の学校ではなんて呼ばれてた?」
はっきり音神と言わないのは、やっぱりあの高校に対してマイナスな思いがあるからだと思う。この東榊高校での音神高校の評価は半端なく低い。
「色々。ミオとか葦村とか。基本的に苗字か名前の呼び捨て」
「ふうん……じゃ、ミオちゃん」
葦村ミオは驚いたように顔を上げ、「何で?」と彰子に聞いた。
「呼び捨てだったんでしょ? だからちゃん付け」
彰子は花のような笑顔になった。この瞬間、その笑顔の虜になったクラスメートが何人いるだろう。彼女の笑顔には男子だけでなく女子も見惚れる。
「私のことは呼び捨てでいいよ♪」
「真崎?」
「……いやあの、できれば名前の方で」
「苗字被ってないから大丈夫」
空気読め。
多分、全員がそう思ったことだろう。
「どうして転校してきたの?」
「…………大した理由じゃない」
ここで初めて、葦村ミオは口ごもった。
「ふうん? じゃあ聞かないでおくね」
空気を読んだらしく、彰子はそう言って、聞かないでおいた。
「頭いいんだよね? 編入試験、満点で通ったって」
そういえば鴨野先生がそんなことを言っていた。
結局、誰もそのことについて賞賛を送らなかったのだけれど。
「そんなことはない。確かに勉強はしたけど。音神には入れたのだって、私が特待生だったからだ」
「特待生? 運動系?」
「陸上でな」
陸上。
そう言われてみれば、今朝のあのパフォーマンスは、高飛びを彷彿とさせる……かもしれない。
「そうなんだー。確かにミオちゃんが走っている姿って似合いそう」
ありがと、と短く礼を言って、それから葦村ミオは――照れたのか笑ったようだった。
その顔は、意外に可愛かった。
「真崎。暇な時でいいから学校案内してくれないか?」
もう苗字で呼ぶことにしたらしい。
「いいよー。じゃあ放課後、適当に回ろうか」
彰子は快く受諾した。
「あと、真崎。
このクラスって、いつも静かなのか?」
全員が途端に色んな人と話し始めた。……さすがに、気づかれるとは思っていたけど……気づくのが遅すぎると思う。
その後は喧騒にまぎれて、二人の声はよく聞こえなかった。
ただ、二人をあずみグループが食い入るように見つめていたことが、何となく気がかりだった。
「ミオちゃん! 一緒に食べよ」
昼休み。
一人で食べようとしていたのだろう、弁当箱の蓋を今にも開けようとしていた葦村ミオの手を、唐突に現れた彰子は引っ張った。
「ま、真崎」
さすがにこれには彼女も驚いたというより呆れたようだ。
「じゃ、じゃあ、そうしようか」
「こっちこっち」
「え? ここで食べるんじゃ……」
「こっちだよ! 行こ」
彰子は葦村ミオの手を引っ張り、そのまま向こうへ行ってしまった。
私達が弁当を食べる時は基本的に渡部の席の周りに集まる。少々困っていた葦村ミオをを眺めるには最適の位置だったから、彼女の姿が見えなくなったのは残念だった。
「ほら、転校生、割と普通じゃん」
二人がいなくなった後、池田に対して、言う。
「アレのどこが普通だ……普通の転校生はドア吹っ飛ばしたり教卓からあんなジャンプしたりしねえよ」
「でも、陸上の特待生だったって言ってたじゃん。それなら、あのジャンプも――」
「普通じゃないよ」
言葉を遮ったのは、渡部だった。
「あのな、安藤。いくら陸上特待っつってもさ……限度があるだろ」
朝のアレは限度超えすぎ、と首を振る渡部。
「でも転校生、篠原に喧嘩売るなんて……格好いいぜ」
渡部はそこを評価しているらしい。
ちなみに篠原とはあずみのことだ。
「まあ、確かに、本人前にして嫌いとか言えないよな……俺もそこは認める」
不本意そうな顔で、池田も言う。認めている割には渋面だ。
「ひょっとしたら、この二年次が終わったら、この日は記念すべき日になるのかもしれないな」
渡部の言ったその言葉を考える前に、
「ふざけるな!」
そんな、怒声が聞こえた。
向こうの教室の隅。
あそこって――確か、いつも座っているのは、
「ちょっと……何切れてんの?」
――あずみ。
葦村ミオは席にも座っておらず、ただあずみと鋭くにらみ合っている。
彰子はその二人に「仲良くして」といいながらも、喧嘩自体は止められそうにない。
「何を言っているんだ。理由はあんたが一番よく分かっているだろう」
「分からない。さっぱり分からないわ」
あずみの取り巻きたちが陰口を互いに囁く。
「意味わかんない人」
「おかしくない?」
「さすが音神」
「黙れ。あんたらは、黙れ」
取り巻きどころかクラス中全員が黙った。
何なんだあの声は。
怖すぎ。
「真崎。悪いが、一緒の昼食は断るよ」
にらみ合いから一旦離れ、それでも鋭い目つきはそのままで、彼女は彰子に向かって言う。
「ミオちゃん! そんなこと言わないでよ」
「大体、真崎、私とこいつが仲悪いことは初めから分かっていただろ? 朝のこと、見てたのだから。何で、連れてきた」
ついに怒りの矛先を彰子に向けた。
「あーあ……転校生、明日から肩身狭いぜ」
彰子はこのクラスの人気者だ。好く人は数多けれど、嫌う人など全くいない。皆無だ。
そんな彼女を、責めるということは――明日……いや、この昼休み終了後から皆に無視されるな。仕方ないだろう。
「あずみは、いい子なの……私は二人に、仲良くして欲しい」
「うっ…………」
一瞬、そう、ほんの一瞬、葦村ミオの顔が歪んだ。
「――真崎。できない。あんたもそう思うだろう?」
あずみは自分に突然振られたその質問に、「ショーコを苛めた人となんか、願い下げ」と言い、そっぽを向いた。
「私のことなんか、どうでもいいじゃない!」
その言葉の途中で葦村ミオはすでに、彰子に背を向けていた。
あずみは弁当のご飯を食べようと箸を動かしていた。
この件は、彰子の空回りということで落ち着きそう、と思った。
彰子は、落ち込みながらも、あずみに声をかけられたら、席に着き、黙々と食べ始めた。
「おい、あんた」
渡部がいきなり、自分の席に戻ってきた葦村ミオに向かって、声をかけた。
「一人で食べんの、つまらんだろ。俺らとなら、班になれるか?」
彼女は――自分が声を掛けられたことに少しの間気付かなかった。
「え? 私?」
「うん、葦村」
「渡部? 何言ってんだ?」
そう言っている池田が、実は彰子に惚れていることを私は知っている。
気に入らないのだろう。
「いいのか?」
そんな池田の思いとは裏腹に、葦村ミオは目を丸くして聞いた。
「うん。前の高校の話とか、聞かせて欲しい。そうそう、俺は渡部、こいつ安藤、こっち池田」
渡部は、スマイルで、私たちに指を指しながら、言う。
……私も、彼の思惑が皆目見当がつかない。
葦村ミオは自分の机を寄せ、
「よろしく、渡部、池田、安藤」
と、お辞儀した。
あずみグループ――特に彰子が、驚いたように見ている。
……優越感を感じるのは、何故だろう?
「二週間後は体育祭だと聞いた。全身全霊で身体を張らせていただく」
いきなり葦村ミオ――ミオはそう言って、にやりと笑った。
多分、今まではただの準備だったと、そう思う。
ここからが、スタートだったのだ。
面白友達――コミカルフレンド達との、物語が。