2、6月6日
6月6日。
この日が悪魔の日と定義されるようになったのは、おそらく『オーメン』が登場してからだろう。
そして、私たち二年二組にとっても――この日は、悪魔というより悪夢の日になる予定だった。
朝8時。
教室の中は喧騒に満ちていたものの、どこか空々しい。まるで演出しているかのようだ。何を演出しているんだと聞かれると分からないけれど――きっとそうだ。
私は自分の席で、おとなしく本を読んでいた。
「千佳ー」
と、急に名前を呼ばれ、その方向を見た。
――あずみ。
あずみとそのグループが、ドアの前で何かをしていた。
「どうしたの?」
そこまで行って、聞いてみる。
「ちょっと意地悪してあげようかと」
教室の引き戸は、開かないようにつっかい棒が既にあった。
「……鴨野先生も入れないよ」
「鴨野はこの際いいの。重要なのは転校生の方。……このくらいの意地悪も大目に見られないようじゃ、このクラス、やっていけないってこと。分かる?」
あずみは意地の悪い笑みが何故かとても似合う。そう思ってみれば、艶やかな長い黒髪や、切れ長の目はどことなく魔女っぽい気がする。
絶対言わないが。
「ねえ、開かないようにしたんでしょ? その子がそれで怒ったら……まさか、いじめるってこと?」
それを聞くと、あずみは「それこそまさかよ」と笑った。
「何もしない。その子に対しては何もしない。それだけ」
――無視ってことね。
それに対し私は何も言えない。
池田や渡部には反論できたのに、彼女たちには何も言えない。
訳も分からず――怖いのだ。
「で? 何で私を呼んだの?」
「話し相手にちょうど良かったから。ショーコは絶対こういうのは駄目って言う」
私は彰子の代わりらしい。
真崎彰子はこのクラスで一番の人気者だ。容姿端麗、成績優秀、体育苦手しかし温厚篤実――運動神経以外は非の打ち所のない少女。人気があるのは当然だ。
あずみは彰子の幼馴染だそうだから、彰子の性格をちゃんと理解しているのだろう。
「転校生、どう思う?」
唐突に、あずみが聞いた。
「え?」
「転校生について、どう思う?」
「……多大なる不安とほんの少しの期待、かな」
「千佳らしい」
あずみはまた笑った。
そこでチャイムが鳴ったので、私たちはとりあえず別れた。
つっかい棒の存在に気づいていない人はいないだろう。
遅まきながら気づいたらしい彰子は、前から後ろから取り押さえられている。
……あんな反抗しているのに誰からも嫌われていないって、凄いな。
「どうなることやら」
右隣の席の池田が、何だか楽しそうだった。
そして、引き戸がガタッ、と音を立てた。
全員に、緊張が走ったように見える。
しかし、音は続くが、一向に入ってこれる気配はない。当たり前といえば当たり前といえた。
一人、あずみがにやにやと笑っていた。人が悪い、と素直に思う。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。
と、急に、音が止んだ。
鍵を取ってこようとか、そういう気なんだろうか。
そしたら逆に閉めてしまうことになるのだけれど。
そう思ったのもつかの間。
戸が、吹っ飛んだ。
「え?」
戸は、教壇に当たるとそのままずるずると倒れ、支えを失ったつっかい棒と共に大きな音を立てた。
そして、その板を踏みつけ、二人の人間が入ってきた。
一人は、われらが担任、鴨野恭介。
もう一人は――私たちと同じ女子の制服を着た、少女だった。
ショートヘアで、猫のような顔立ちをしている。
すらりとした手足もあいまって、ますます貴族猫のような感じだ。
……戸を吹っ飛ばしたのは、どっち?
「おいおい……ダイナミックだな。後で直しておけよ」
と、鴨野先生が女の子に向かって言った。いや、ダイナミックとかそういう問題じゃないと思う。
しかし、つまりは。
この子が――戸を?
「まずは、お聞きしようじゃないか」
と、いきなり女の子が口を開く。
それは、相手を威圧する声だった。
かろやかなのに、荘厳な、声。
「誰がこんな真似をしたんだい?」
男のような喋り方のその子は、にこりと笑って聞いた。
全員の目が、あずみに向けられた。あずみは、それでもそっぽを向く。
皆の視線の先に気づいたらしい女の子はあずみの席の前に行くと、「君なの?」と聞いた。
「あ、あたしはやってない」
「嘘をついている」
即座に彼女はそれを見抜き、
「よろしい。私は今から君が嫌いだ」
とそっけなく言った。
あずみは驚いたような顔で一回女の子を見て、意味が分からないと言いたげに眉をひそめた。
「おい、喧嘩は後にしろ。自己紹介やれ」
たまりかねたのか、鴨野先生が言う。
意外にも、女の子は「了解した」と素直に従い、教壇の横に立つと深々と一礼した。
「私は葦村ミオという。今後この高校にお世話になる。ぜひとも、よろしくさせて頂く」
女の子――葦村ミオはそう言って、
「特技は、嘘を見抜くことと運動関係全て。たとえば」
いきなり教壇の上に飛び乗ると、そのままジャンプした。
「っ!」
上を見た時にはもう遅く。
後ろを見れば、彼女は彼女の為に用意された空席の机の上に着地していた。
「おい、上履き履いたまま机の上に乗るな」
何故うちの先生は平然としていられるのだろうか?
着席した葦村ミオは、そのまま一礼し、「よろしく」と隣に挨拶した。
隣は、渡部だった。
二つ、予想と違ったことがある。
一つは、彼女は決して変人ではなかったこと。
もう一つは、彼女はむしろ超人と呼ぶべきだったこと。