8.ちょっと調子に乗りすぎた
中平元年(184年)5月中旬 豫州 潁川郡 長社
黄巾討伐に参加するため、潁川に駆けつけた俺たちは、いきなり夜襲の大役をこなすことになった。
幸いにも皇甫嵩の指揮よろしきを得て、作戦は大成功。
そして官軍は黄巾賊をおおいに打ち破り、大打撃を与えて追い払ったのだ。
「作戦の成功に、乾杯!」
「「「かんぱ~い!」」」
その後に宴を開いて、大勝を祝っていると、皇甫嵩が近寄ってきた。
「今回は見事にやってくれたな、孫堅」
「はい、皇甫嵩さま。でも最終的には皇甫嵩さまの作戦と指揮が、ものを言ったんですよ。俺はちょっと、火を着けただけです」
「そんなことはない。火つけまでは成功しても、そこから生き残るのが難しいのだ。君はそれを両方ともやり遂げた。大したものだよ」
「ありがとうございます……それでも、けっこう味方は死なせちゃいましたけどね」
「それを言ったら、私の方がはるかに多く死なせている。もちろん死者に対する敬意は必要だが、より多くを生き残らせたことは、誇ってもいいだろう」
「……そうですね。ご教示、感謝します」
「ああ、とにかくよくやった」
そう言って皇甫嵩は俺の肩を叩くと、上機嫌で去っていった。
すると今度は朱儁に話しかけられる。
「皇甫嵩さまにも、気に入られたみたいだね」
「あ、朱儁さん。おかげさまで」
「おかげで君を推した私も、鼻が高いというものだ」
「そう言ってもらえると、嬉しいですね。あの時は本当に、ありがとうございました」
「何、その方が私にとっても、得だと思ったからね。そして私は賭けに勝った。今後もよろしく頼むよ」
「こちらこそ」
朱儁ともいい感じで別れると、次は仲間たちだ。
「すごいじゃない、兄さん。皇甫嵩さまや朱儁さまに褒められるなんて」
「本当ですよ、孫堅さん。うまくやりましたね」
「フハハッ、ほんとほんと。大将についていきゃあ、俺たちもおこぼれにあずかれるってもんだ」
「だな。命を張った甲斐があったってもんですよ」
それぞれ孫静、呉景、程普、韓当である。
彼らも作戦成功に貢献したとして、美味い酒を振る舞われて上機嫌だ。
今後の孫堅軍団は、こいつらを中核にして作り上げていくのだから、彼らにも良い目を見せてやらねばならない。
「ああ、お前らの貢献はおろそかにしないから、今後も頼むぜ」
「「「おう!」」」
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中平元年(184年)6月 豫州 汝南郡 西華
長社で敗退した黄巾賊が潁川の陽翟へ逃げこんだため、討伐軍はそれを追い、敵将の波才を討ち取った。
さらにその勢いのまま官軍は汝南郡へ向かい、今度は彭脱が率いる黄巾賊と対峙する。
「掛かれ!」
「「「おお~~~~っ!」」」
皇甫嵩の号令で、官軍が一斉に攻めかかった。
今回は兵力差も少なく、最初から皇甫嵩の指揮で優位に立てたため、戦況は終始、味方の優勢で進む。
そんな中、俺も馬を与えられて、敵軍をさんざん追い回していたのだが、ちょっと調子に乗りすぎたらしい。
いつの間にかソンケンの人格に引きずられて、敵中に深入りしていたのだ。
「ぐあっ!」
おかげで思わぬところから矢を射たれ、それが左足に命中した。
予想外の攻撃と激痛により、俺は馬から落ちてしまった。
地面に叩きつけられた俺は、そのまま気を失ってしまう。
「ブルルッ、ヒヒン」
「おい、本当に大将がこっちにいるのかよ?」
「分かんねえよ……あっ、孫堅さま! 大丈夫ですか?」
馬のいななきと、男たちの声に目覚めると、そこには程普と韓当がいた。
どうやら助けに来てくれたらしい。
「ぐっ、ゲホッ……な、なんとか、だいじょうぶ、だ」
「ケガしてるじゃねえか、大将。おい、すぐに連れて帰るぞ」
「おお」
その後、幸いにも敵に見つかることなく、味方の陣営に戻ることができた。
その間に話を聞くと、俺を落とした馬が陣営に戻り、何やら訴えてきたそうだ。
それが俺の馬だと気づいた程普たちが、こうして探しに来てくれたという顛末だ。
実はこの話、後世にも伝わっているんだが、やっぱりやってしまった。
歴史の修正力ってやつかねえ。
そしてやはり史実のとおり、この葦毛の馬に命を救われたってわけだ。
「ありがとうな」
「ヒヒンッ」
感謝をこめて馬の首をなでれば、彼は誇らしそうにいななくのだった。
ちなみに帰ったら、朱儁にメッチャ怒られた。
うかつに1人で飛び出すなって。
でもあれは、ソンケンが悪いんや~。
グスン。
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中平元年(184年)7月 荊州 南陽郡 宛
俺の負傷騒ぎもあったが、官軍は西華の黄巾賊を打ち破り、豫州の方はあらかた片づいた。
ここで皇甫嵩の軍は朱儁と別れ、北へ向かった。
そして朱儁の軍は荊州へ向かったのだが、その裏で厄介なことが起こっていた。
「盧植さまに続いて、董卓さまも罷免されたのですか?」
「うむ、盧植どのは宦官の讒言によって捕縛され、董卓どのは黄巾賊に敗れて更迭されたそうだ」
「なんとまあ……」
冀州の黄巾賊を討伐に向かった盧植は、当初、破竹の勢いで勝ち進んだそうだ。
そして敵の首魁である張角を追い詰め、黄巾の乱は収束へ向かうと思われた。
しかしここで軍監として派遣されてきた左豊という宦官に、盧植は賄賂を要求される。
これをキッパリ断った盧植は、左豊に讒言されて、哀れ囚人となってしまうのだ。
これって一見、ただの汚職絡みの不祥事だが、実はもっと根が深いらしい。
この当時、後漢では宦官の力が強まっていて、国中に汚職が蔓延していた。
そんな状況を憂いた一部の名士たちが、自らを清流派と称し、宦官やそれに結びつく勢力を濁流派と呼びはじめた。
そして濁流派といろいろやり合ってたんだが、宦官の逆襲にあって、多くの名士が逮捕されてしまう。
これが166年と169年に起こった、”党錮の禁”だ。
さらに176年には弾圧の対象がその一族にまで拡大されていたのだが、”黄巾の乱”の発生にともなって禁は解かれる。
追放された清流派の名士が、黄巾賊に参加したりすると困るからだ。
この”党錮の禁”解除に動いたのが皇甫嵩たちであり、おかげで彼らは清流派と目された。
そして宦官にとっては、そんな奴らに手柄を立てられては困るので、左豊が背中から刺したって寸法だ。
まったく、度しがたい連中である。
一方、盧植の後任となった董卓は、実力はあってもやる気がなかったらしい。
他にも問題があったのかもしれないが、大して戦いもせずに敗退し、あっさりと更迭された。
おかげで冀州の黄巾賊は息を吹き返し、始めからやり直しとなってしまったのだ。
「そうなると、皇甫嵩さまの応援は望めませんね」
「ああ、彼が冀州方面を引き継ぐのは、間違いないだろうからね。しかしこちらには、南陽の太守どのもいる。なんとかなるだろう」
「はあ、そうですね……」
朱儁はそう言うものの、俺たちは敵を攻めあぐねていた。
南陽の黄巾賊は最初、張曼成という男を旗頭に蜂起した。
そして南陽の太守を殺して、宛城に立てこもったのだ。
後任の太守が張曼成を倒したものの、賊軍は別の大将を立てて抵抗を続ける。
その勢力は十万以上に膨れ上がっているのに対し、味方はたったの2万弱。
おかげで一向に討伐は進んでいなかった。
しかし頼りの皇甫嵩が冀州に回るとあっては、援軍も望めない。
それどころか討伐が進まないことにいら立って、朱儁が更迭されることすらあり得るのだ。
そんな不安を抱えた状態で、俺たちは宛城攻略に取り組まねばならなかった。




