15.私を長沙へ連れてって
中平5年(188年)4月 揚州 廬江郡 舒
廬江太守の陸康に会いにきた俺は、さらに別の名家も紹介してもらうことになった。
そして彼の紹介状を持って、俺はとある屋敷を訪問したのだ。
「はじめまして。長沙で太守をやっております、孫堅 文台と申します」
「ほう、貴殿があの。私は周尚と申します」
俺を歓待してくれた男が、周尚と名乗る。
彼こそは廬江周家の1人で、あの有名な周瑜の叔父に当たる男だ。
周尚は俺と同年輩で、穏やかそうな人物である。
彼自身も史実で孫策の江東制圧に協力しており、わりと孫家に縁があったりする。
そして彼が属す周家とは、揚州でも最大級の名家だ。
なんてったって、周家からは大臣級の官職を務める人物が何人も出ている。
現に周尚の従兄弟に当たる周忠は、現役の9卿(大司農)だし、じきに3公(太尉)になるはずだ。
さすがに4世代に渡って3公を輩出した、汝南袁家や弘農楊家には見劣りするが、それに準ずる家柄なのは間違いない。
それに比べれば、我が孫家などは吹けば飛ぶような存在で、陸康の紹介状と、俺の長沙太守という身分がなければ、相手にもしてもらえなかっただろう。
そして俺はこの機会に、孫家の売りこみを考えていた。
「孫堅どののお噂は、かねがね伺っております。長沙周辺の賊徒を討伐し、さらに政治の安定化を図っているとか。お見事なものです」
「いえ、私は少々、戦が強い程度で、政治については四苦八苦しております。そのためにこうして、陸家や周家の方とお会いして、勉強させてもらっているのです」
「そうですか。従兄弟の周忠がいれば、ちょうど良かったのでしょうが、彼は都ですからね」
「いえいえ、私のような下賤な者が、そこまでは望んでおりません。こうして周尚どのと会えただけで、十分に光栄です」
「ハハハ、そう言ってもらえると、私も嬉しいですね。ちなみに長沙ではどのようなことをなさっているので?」
「そうですねぇ――」
その後、長沙で取り組んでいる改革について話すと、周尚はしきりに感心していた。
代わりに彼が知る名家や豪族のめんどくさい話などを教えてもらい、俺にとっても勉強になった。
ひとしきり話をすると、俺はもうひとつの目的を切り出す。
「ところで今日は、息子の孫策も連れてきているのですが、聞けば周家にも同年代の子供がいるご様子。できれば紹介してやりたいのですが?」
「ほう、ご子息はおいくつですか?」
「今年、14歳になります」
「ああ、それならば周瑜と同い年ですね。彼にとっても良い刺激になるでしょうから、引き合わせてみましょう」
「お願いします」
その後、護衛と一緒に待たせてあった孫策を呼ぶと、周尚も周瑜を呼んでくれた。
やがて鼻筋のとおった、いかにも才気煥発そうな美少年が入ってくる。
「叔父上、お呼びと聞きましたが」
「ああ、こちらは長沙太守の孫堅どのと、ご子息の孫策くんだ。お前に会いたいと言われたので、来てもらった」
すると周瑜は興味深そうな目をこちらへ向け、あいさつをする。
「貴方が孫堅さまですね? 長沙の噂は、私も聞いております。周瑜 公瑾と申します。以後、お見知りおきを」
「孫堅 文台だ。よろしく。こちらは息子の孫策だが、貴殿と同い年らしい。仲良くしてやってもらえると嬉しい」
「孫策 伯符だ。よろしくな」
「こちらこそ」
彼らは何か通じるものがあったのか、まるで数年来の友達のように、握手を交わしていた。
その後も興味のあることなどを語り合い、そこそこ仲良くなれたようだ。
そこでお暇しようとしたのだが、周瑜が意外なことを言いだした。
「孫堅さま。もしよろしければ、私を長沙へ連れていっていただけませんか? 長沙で進んでいる改革というものを、この目で見てみたいのです」
「む……私は構わないが、ご家族はよいのだろうか? それに準備もあるだろうし……」
突然の申し出に戸惑っていると、周尚も乗り気な姿勢を見せた。
「ふむ、それはいいかもしれないな。長沙の動向には興味があるし、周瑜の修行にもなる。孫堅どの、もしよろしければ今日はここに泊まって、明日、周瑜を連れていってはもらえませんか? こちらから生活費は送りますし、彼をいかように使ってもらっても構いません」
「い、いや、さすがにそれは――」
「父上、私からもお願いします。周瑜となら、楽しいことができそうです」
「お前まで……」
なぜか孫策まで乗り気である。
たしかにこの時代、15歳ぐらいになると、余裕のある家の子弟は遊学に出たりする。
これもその一環なのだろうが、今日会ったばかりの者に預けるのは、ちょっと違う気がする。
しかし俺以外は全て乗り気ときては、断るのも難しい。
俺は覚悟を決めて、受け入れることにした。
「分かりました。ただし客人としてではなく、それなりに働いてもらいますよ」
「もちろんです。よろしくお願いします」
こうしてその日は周家に宿泊し、翌日、周瑜を連れて長沙へ帰ることになったのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中平5年(188年)5月 荊州 長沙郡 臨湘
「ほら、あれが臨湘だ」
「へ~、なんかワクワクするなぁ」
船が臨湘に迫ると、孫策がそれを周瑜に告げている。
すると周瑜は見るもの全てがおもしろいといった感じで、目をキラキラ輝かせながら応じていた。
ひょんなことから周瑜を預かることになったが、結果的に悪くなかったと思っている。
そもそも今回、周家を訪問したのは、いずれ彼を巻きこむことも考えていたからだ。
そして好都合なことに、周瑜もこちらに注目していた。
どうやら周家自体が、この混乱する時代において、適当な軍閥を探していた節がある。
史実でも周瑜は孫策の噂を聞きつけ、寿春を訪ねて意気投合したとあるのだ。
それは孫堅が董卓討伐の兵を挙げた190年で、ごていねいに家族まるごと廬江郡の舒へ招き、近所に住まわせたらしい。
当然、それは周瑜単独で判断できることではなく、周家の大人が関知していたはずだ。
それは周尚かもしれないし、ひょっとしたら洛陽にいる周忠かもしれない。
いずれにしろこの世界でも適当な軍閥候補を探していたら、そこにホイホイと俺があいさつに行った形になるんじゃなかろうか。
そうでもなければ、ああも簡単に子供を預けるなんて話に、なるはずがない。
同じ揚州の出身で、めっぽう戦に強い俺を取りこめば、周家の影響力を増せると考えたのかもしれない。
そんな流れが見えていたので、俺も気楽に周瑜を利用することに決めた。
そして臨湘に到着すると、さっそく周瑜と孫策を官吏に任じる。
「孫策、周瑜。貴殿らを今日から掾史に任命する。張紘について、仕事を学べ」
「「はいっ」」
掾史とは地方官吏の下っ端である。
もっと上の役職につけることも可能だが、俺はあえて一番下からやらせることにした。
なにしろ彼らはまだ14歳だし、これも社会勉強ってやつだ。
そして俺は張紘や劉先に、孫策たちにいろいろな経験をさせるよう命じた。
ただの使い走りから書類仕事、はては苦情処理などと、いろいろだ。
孫策は早々に音を上げていたが、周瑜は嬉々として仕事に取り組んでいるとか。
さすが後世に残るほどの切れ者だけあって、飲みこみが早いらしい。
彼はその仕事を通じて、社会への理解を急速に深めているようだ。
う~む、実に末恐ろしい子供である。
幸いにも孫策も、周瑜につられて知識を深めている。
てっきりブチ切れて、仕事を投げ出すと思ったのだが、そうはならなかった。
さすがは俺の息子である。
「やあっ!」
「まだまだ甘いぞ」
その一方で、2人には武術の稽古もつけていた。
こっちの方は孫策が大得意で、いつも仕事の後に、はりきってやっていた。
しかし周瑜も苦手ということもなく、むしろその美麗な剣技は孫策を上回る。
さすがは未来の大将軍ってとこだな。
もちろん実技だけでなく、2人には兵法も学ばせた。
もっとも周瑜は、すでに目ぼしい兵法書には目を通していて、俺たちを驚かせたものだ。
そのうえで程普や韓当なども交えて、兵法について議論を重ねたりもした。
豊富な実戦経験を持つ俺たちの話を聞くことで、彼らの理解も深まっただろう。
それからこの頃、黄蓋と朱治、祖茂という男たちが、仕官してきた。
史実で孫堅軍団を支えたことで知られる猛者たちが、俺の噂を聞いて集まってきたわけだ。
それぞれ年齢は
黄蓋:35歳
祖茂:34歳
朱治:33歳(孫堅と同い年)
といったとこだ。
これで我が陣営は、さらに強力になるだろう。
そんな、忙しくも充実した日々を過ごしている陰で、洛陽で異変が起ころうとしていた。




