扉、扉、扉
ヨクンが屋敷に足を踏み入れるのは、これが初めてだ。
信用されていないのではなく、地位の低い男には許されていないことである。外観から内部構造を探ることも、見咎められればその場で処刑されるような状況であった。
最初に裸を「検査」するために広間に通される分だけ、女たちのほうが屋敷に詳しいとさえ言える。
「……さて、どこから探るか」
ソエとヨクンは、まずその広間に入ってみた。誰もいない。
夕方、コルハクーの背後に飾られていた様々な武器は取り外されて消えている。
武器のあった壁の左右に赤い垂れ幕が掛かっており、出入口があるのを示している。ソエは右側を指した。
「あっちから夕飯が運ばれてきた」
「火や水は右か……だったら記録類は」
「シッ!」
首がもげる勢いでヨクンの口が塞がれる。
ソエの耳が、屋敷の中で言い争う声を捉えた。
俊敏に左の幕をくぐると左に折れる通路があり、その先を進み幾つかの扉の前を通りすぎる。やがてヨクンの耳にも男の大声が届いてきた。
目的地であろう扉の前に立って、中の様子を伺ってみる。怒り、脅迫しているような男と、拒絶するような女がいる。二人だけだろうか。
何か打ち合わせしようとしたヨクンを余所に、ソエは頑丈そうな木の扉に手をかけた。
開かなかったので、躊躇なく蹴り壊して侵入する。これでも中の物音から対象の範囲を把握し、考えて破壊しているのだと言っても脇で見ていた者は信じまい。
誰かの居室らしいその部屋では、コルハクーの側近の一人であるシセウテが、側女の喉元に刃物を当てていた。足元にも女が倒れているが、床に黒い血溜まりを拡げて、既にこと切れているのが見てとれた。
シセウテは闖入者がヨクンと、今日外からやってきた女であるのを見て、口元を歪めた。
「俺は邸内の監視をしてて報告を受けたんだが、やっぱりな……お前を仲間に入れるのはずっと反対してたんだよ」
「背の高い女を見なかったか?ここのフシエと一緒かも知れないんだ」
「気持ち悪ぃ顔してるとずっと思ってたぜ。臆病者のくせに何もかも見下しやがって」
「何の話だよ」
「何様だ?てめぇの実家の状況をてめぇだけ知らずにいて笑われててもこれで満足かよ」
ヨクンが初めて口を開いた。
「あんたが誰をオカズに抜いてるかは皆と同じように知ってるけどな。でももう丸焼きになっちまったから、今度からケツに消し炭でも突っ込んでくれ」
言い終わらないうちに、側女を投げ捨てるようにしてシセウテがヨクンに飛びかかった。ヨクン自身もそうなるだろうとは思っていた。
握った手の刃物を叩き落とし、男二人は床でもつれあう。
ソエは側女を助け起こした。やはり右腕の肩から下が切断されている、夕食を運んでいた女たちの中の一人。上唇が無いのは生まれつきだ。
「大丈夫か?」
「ええ……ありが」
「ミンフを見なかったか?俺と一緒に来た背の高いやつ。今はフシエといるかも知れないんだ」
「ううん、私はずっとここにいたから外のことは……」
「なんか心当たりないか?」
ソエは食い下がる。
「……ここは何の部屋なんだ?」
ヨクンが肩で息をしながら剣を鞘に収め、声をかけてきた。額の左側から流血し、顔半分が黒く染まっている。
シセウテは壁際で絶命していた。彼の命を奪ったのは彼の剣であり、それは今、憎き敵の腰へと奪われた。
人の腰からベルトを外す恥ずかしさと、先ほどの自分の発言の低俗さに、ヨクンがどれほど打ちひしがれているか。ソエには知るよしもない。
「ここは、私たちの控えの間よ。そっちにお頭の部屋があるの」
女はそう言って、部屋にある壊された扉とは別の扉を指した。
「そうか……まだ壊すな!ソエ!俺はヨクンだ。君は?」
「リーホ」
「リーホ、フシエの部屋は知っているか?案内して欲しい」
控えの間から出て、廊下を数度折れる。
途中、またコルハクーの側近であった男に出くわした。この男は、明らかに逃亡の準備を終えた様子だった。
にこやかな顔で話しかけてきた相手に、見逃す条件として武器を全て手放すようヨクンは要求した。麓の街から来る仲間たちの為である。
結局、交渉は決裂し、また一つ死体が増えた。
「ところで、シセウテは何故リーホを襲ったんだ?」
歩きながらヨクンが訊いた。
「宝物庫の開け方を教えろって」
ソエの耳が反応した。どうでもいいことだが、ソエは耳を自分の意思で動かせる。
「宝を盗もうとしたのか……?あの男が」
「本人は遺志を引き継ぐとかほざいてたけど。どうせシコるんだからお頭の服とか靴にしとけばいいのに」
若い娘の口から出た言葉に、ヨクンは悲しくなった。彼がこの土地で得たものと言えば、下品な俗語と博打の知識だ。
リーホは口数が多いが、冷淡な印象を受ける。
先程の部屋で亡くなっていた、同僚であったはずの女を一顧だにせず歩を進めた。
「あそこ。一番奥がフシエの部屋で、ここはお嬢さんの部屋」
他と同じような扉の前で、リーホは廊下の突き当たりを指した。そこだけは他よりも粗末な作りになっている。
ソエは中での話し声に気付き、ハンミーヤの部屋だと言われた扉もまた迷わずぶち破った。
それと同時に心から叫んだ。
「ミンフ!!」
ああ、無事だ。
執拗に絡んでくる少女に困らされてはいたが、怪我も何も無いようである。
「あぁ~~!!」
ミンフもそれまでの鈍さはどこへやら。顔を輝かせてソエの元へ駆け寄り、相方の右後ろに収まった。定位置なのだろう。それは遠距離飛行から戻った鳥が、止まりに翼を休ませる様を思わせた。
フシエも状況を察したようである。
ただ一人、ハンミーヤは何もわかっていない。ヨクンに向かって指を突き立てた。
「お前はヨクンだったわね?どういうつもり?ここに入ってきたことをお父様に言うわよ」
この少女に何を話すべきか。言葉に窮した大人たちの、同情の気配が部屋に漂う。
「それより宝物庫に行こうぜ。その為に来たんだから」
無神経にもソエが言った。
ここで初めてソエたちの目的を知ったヨクンは、半ば呆気にとられ、しかし納得もできた。「中央」の派兵など、やはり期待していてはいけなかった。
ソエが善人ではなくとも感謝すべき対象であることには違いないし、ヨクン自身が行ってきたことに、言い訳のきかない悪行も数多くある。そして、今は世の中の筋と言うものを通すべきだろう。
「いや、ここのものは検察が調査して、本来の持ち主に返す」
「冗談でしょ。今まで何にもしてこなかった役所に任せてどうするの?」
叫ぶように頓狂な声でリーホが否定し、ついて来い、と部屋を出ていこうとする。
「待ちなさいよ!何の話してるのよ!?」
ハンミーヤが床を踏み鳴らして遮った。
フシエがリーホに何かを囁き、ハンミーヤに向き直った。
「歩きながら話しましょう。少し急ぐから」
部屋を出て、また廊下を数度折れる。
何度も通ったような同じ景色だが、やがて閂のある扉の前に来た。
先導したリーホが、両腕のある者に扉を開けるよう促した。
ヨクンがその重い閂を取り外し、内開きの扉の中を覗くとそこは何らかの修行場のように見えた。
ヨクンの掲げるランプでは端まで照らせぬ広さで、見える範囲には何もない。
「ハンミーヤ、あの奥のもの、見えるかしら」
フシエに言われて、興味を持った少女は室内に足を踏み入れた。
「どこ?何も無いわよ?」
体が扉に引っ掛からない位置に進んだのを確認して、ヨクンは部屋を閉じて再び閂を下ろした。フシエの合図も無かったが、考えていることは判った。悪行がまたひとつ。
すぐに暴れる音が向こう側から響きだした。
「ここは何に使われるんだ?」
「妊娠した女が入るの。じゃあ宝の所行くわよ」
リーホは前を向いて答えた。
そこは、今までで一番大きな扉だった。
両開きだが付き合わせの中央に、鍵穴も取手も無い。それぞれの両端、腰の高さに黒く穴が開いている。
「誰か、そこに右手入れてみる?」
リーホが右側の扉の穴を指して言った。ソエが訊いた。
「入れたらここが開くのか?」
「どうだか?仕掛けが飛び出して手がぐちゃぐちゃに潰れるかもね」
「怖ぇな」
ヨクンの腰から剣を抜き取り、穴の中を探ってみる。危険はなさそうだ。剣を戻して、まだ胡散臭げな顔をしながら―――もともとそんな顔だが――右手を穴に差し込んだ。
反対側の穴に、リーホの左手が入った。
「五本指の先に板があるでしょ?まず、親指の所にある板を下に押し込んで。引っ掛かるまで。それが一段ね。いい?次は中指を二段…………薬指を一段………」
指示と交互に本人の指先も複雑に動かしていく。
独りでは開かない仕組みの扉は、おそらくとても古いのだろう。コルハクーの先祖は何を思ってこのようにしたのだろうか。
この場にいるミンフほどの腕の長さがあれば、両端まで手が届くので、先祖もそうだったのかも知れない。
いや、それよりも人と協力することの美徳を説いているのだと考えたい。
「………で、最後。引っ張って。開くよ」
ソエとリーホが穴を掴んで手前に引くと、静かに扉が開いていった。
中に入って、まずソエは思った。しょぼくれてんなぁ、と。
フシエとヨクンが感じたのは、趣味の良さだった。
部屋の幅は扉と同一であり、空間としてはそれほど広いわけではない。
壁に作り付けの棚に様々な工芸品や宝飾品が陳列してあり、それらは値段ではなく、芸術性によって選ばれたのだろうと思わせる。部屋の中央の机には地政学や交易に関する文献が置かれている。
机にある大きなランプに火を移すと、部屋全体が見渡せるようになった。
部屋の右手は、巨大なタペストリーが壁を覆っている。宇宙の天文官たちが星の配置を話し合い、月に被せる薄布の色を夜毎に替える。その周りでは様々な植物が芽吹き、動物たちの肥える季節が描かれている。
その織り糸の鮮やかさ、図柄の複雑さはどんな宝石にも勝るだろう。
「すごいわね……ハンミーヤだってここの開け方は知らないわよ」
フシエが棚の陶器の精緻な模様を見つめながら言った。
「そうみたいね。あたしたちも、全員が教えてもらってるわけじゃないから」
そう言ったリーホの声は誇らしげであった。
ヨクンも口を開いた。
「記録の類いはないか?麓の領主と交わした密約や、賄賂の記録なんか残っていないだろうか」
三人が会話する中、ソエは部屋を物色していた。
棚の下の扉を気兼ねなく開閉して、持っていけそうなものを探し回る。ミンフにも、気に入ったものがあったら持っていけと命じた。当のミンフは神妙な顔で部屋を一周した後、何も興味がなかったのでまたソエに寄り添って、この盗っ人の行為を微笑んで見ていた。
棚の前を移動したときだった。
棚の奥から突然、異様な肉の塊が気配なく突進してきたので、ソエはぎょっとして身を引いた。
「どうした?」
話し込んでいたヨクンがその異変に気付いた。手は既に剣にかかっている。
「いや、なんでもない」
心底驚いたが、体勢を立て直し冷静になれば、すぐにその正体は察しがついた。
鏡である。金属板を磨いたのでも、水面でもない。硝子板の裏に銀を流したものだ。
銀の草模様に縁取られている楕円形。
初めて見たそれは、小さい枠なのに部屋の全てが映っている。まるで透明なのに色んなものが映り、ソエが動けば向こうもすぐに動く。何とも不思議な景色だ。
そして、ソエが自分の姿を、これ程鮮明に見るのも初めてのことだ。
――――酷ぇ顔。
笑ったのかどうか、自分でも判らぬまま目を反らす。
リーホとフシエは、ヨクンからコルハクーらの来歴を聞き終えたところだった。二人が今まで全く知らなかった事実。
「ところで、ねぇ?誰がお頭を殺したの?」
出し抜けにリーホが尋ねた。その声には、暗い凄みがあった。
まだ終わらないワロタ




