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思考の蛇行

屋敷の正面扉を開け放つと、遥か前方で燃え盛る見張り台の熱気がこちらまで伸びてコルハクーの頬を舐めた。

夜空の下、赤い炎に照らされて小屋の群れも駆け回る男たちもよく見える。

押し殺した息遣いを感じる。粗末な小屋の中で、覚醒し目を光らせる女たちの気配。

前庭に足を踏み出した。

地面には誰かの血溜まりと木片が転がっている。タミーウンの杖に括りつけられていた板ではないか。敷地の周囲を見やれば、ここを閉じていた結界は消滅して暗い外へと口を開け放っている。

コルハクーの右斜め前方の、一段低くなった場所が戦闘の中心地だ。

歩み寄りながら様子を見ていると、ソエが一抱えもある岩を放り投げたので、彼は思わず吹き出してしまった。

コルハクーの生まれるより前に築かれ、数十年、風雨と人の往来に耐えた石垣の岩である。それを枕か藁束のように扱うなど……。

これ程の力を持っているのなら、やはり「中央」の精鋭だろうか?



見張り台の炎の先を眺めれば、山の麓にある街にも灯りが煌々と灯っている。

普段ならばこの時間、住人たちは眠りにつき街も暗闇に沈んでいるところだ。結界が破れたのを察して、もうすぐこの巣の悪党どもの討伐に押し寄せるのだろう。

あの街の領主は常日頃から賄賂を要求しておきながら、結局はこのザマである。

コルハクー自身、この土地の占拠の仕方は違法であると認める。しかし領主に汚い金を握らせることで、法的な結界も張ったのだ。「中央」に報告が行かぬよう。兵士が動かぬよう。

何年もの間、あの領主は大いに役に立った筈である。

だがあの領主に感じる賤しさ醜さは、腐れ爛れた肉塊にも等しい。自分を追い出した実母と伯父を人間だったと思うことにも躊躇は無いのに。



ソエがコルハクーに気付いた。次の瞬間には十数歩も向こうへと下がっていた。

なんという敏捷性か。この動きにはヤカフも追い付けまい。

巨大な炎を背にして立つソエの長い髪は明るく輝いている。後ろで一本に結った三つ編みは、激しい動きに乱され熱風に吹かれ、皮を剥かれた長虫のように蠢いて見えた。

顔も凄まじい。灼熱を浴びる歓喜の表情が不細工な顔をより強調し、伝説の黒い沼に棲むという骨喰い妖怪を思い起こさせた。

その頭部の下に巨大な―――ヤカフの好きな―――乳房がぶら下がっている。今はシャツを着て更にその上を布で縛り付けている。

下半身は腰に飾り紐を巻き、スカートを穿きズボンを穿き、特に戦闘向きには見えぬ靴を履いている。

―――――こんな格好でなぜあんな動きができる。そして職業として戦闘する者なら、こんな装いになる筈がない。

旅人だとするとやることが派手すぎる。ますます相手の正体がわからなくなる。

コルハクーが茫然と考えていると、不意にソエが妙な反応をした。まるで、たった今、炎が燃え盛っているのに気が付いたような。

僅かな違和感。だが推測してみれば、まず炎の方に意識が向く。

そもそも見張り台は、簡単には燃えぬように薬剤を塗り込めているのだ。それが短時間で全体まで燃えあがったのは、おそらく魔法の力があってのことだろう。

そして、魔法使いのタミーウンは殺される前にも何か魔法を、それも強力なものを放ったはずである。

それが功を奏していないのは、ソエには魔法が効かない、見えないのではないか?

突拍子もない考えだ。そんな人間がいると聞いたこともない。

色々訊きたいので、とりあえず生け捕りにできたら良いが。

コルハクーはソエに駆け寄り、剣を振るった。躱された。少し手を抜いたと言い訳したところで、その切先が空を切ったのは彼にとって衝撃だった。 

ああ、ヤカフならば先ほどソエが戸惑ったような動きを見せた瞬間に、その首を刎ねていた。

幼い頃から、コルハクーはヤカフに負けたことがない。

それはヤカフが完璧に主を立てていたからである。子供の試合でも、大人になってからの修練でも、ヤカフは誰にも気付かれぬ手加減によってコルハクーを勝たせていた。

周囲の者には最も優れた腕を持っているのはコルハクーである。

そんな彼が武術の修養に全力を出せば出すほど、それはただ一枚も二枚も上手のヤカフの成長へと直結していった。

コルハクーは早々に生け捕りを諦め、「奥の手」を使ってみようと決めた。大事の時に使えと、父に贈ってもらっなた邪魔な存在を。

どうせこの女を捕まえたところで、ヤカフの消息を自分から問い質すことはしない。

剣の柄に嵌め込まれている黒い石に指を添え、静かに解封の呪文を唱える。白銀の炎が立ち上り、心地好い温もりとともに剣を包んだ。

一度きりの塵滅の魔法。

この魔法が封じられた石ひとつで畑が五つ買える。

これに財を費やした父に、母親はやはり怒鳴り散らしていた。

その剣でもって斬り付ければ炎は刃を離れ、ソエの胴体を虚しくすり抜け、背後の小屋を上下2つに切り裂いて空を飛んでやがて霧散していった。コルハクーはそれを清々しい気分で見送った。

自分の予測が当たっていたことと、この石をいつ使うべきかもう迷わず済むことが嬉しい。

ソエは、背後で何事か起こったことを察したものの、コルハクーから目を逸らすことができず固まっている。



彼は三たび、ソエに向かって斬りかかる。この女は頭は悪くはないだろうが、あまりにも未熟である。

足元の石など投げて怯ませようという作戦など何の効果もない。

しかし自分の娘ほどの年齢の女とこれほど戦うことになるとは想像だにしなかった。

娘。そういえば自分の娘は今どうしているだろう?

フシエに非常事態だと叩き起こされても不満げに寝床に戻る様が目に浮かぶ。

ハンミーヤの母親は、乳母と称していた女である。いつかコルハクーが法によって裁かれるとき、この女には累が及ばぬようにと婚姻を結ばずに連れてきた。

コルハクーを愛し、信じて付いてきた女は、結局は男の蛮行と、無力な自分への罪悪感に苛まれて先にこの世から逃げていった。

その当時はさしもの彼も落ち込みはしたが、今ではだからこそ愛する価値がある女だったのだと思う。

生母は出産時に死んだと信じ込まされ、放埒に育てた娘は、父親の咎を継ぐために作られたのだと理解できるだろうか。



素手で応戦するソエは、繰り出される斬撃を躱しながら、次第に灼熱の炎の方へと追い詰められて行った。

しかし、熱いのは追い詰める側とて変わらない。

額に汗が滲み、転がり落ちて行った。

部下である男たちが、固唾を飲んで二人の応酬を見守っている。

結界が破れても、行く当てのない者ども。

「う、うおおおおおっ!!!!」

突然ソエは錯乱したように叫び、腰の飾り紐をほどいて振り回し始めた。

下手な演技は止めろ、とコルハクーは思った。ソエだけに魔法が効かないのなら、その本人が握っている物に何か仕込まないわけがあるまい。

コルハクーは紐を弾くこともせず、ただ距離を取った。

その行動によって、相手の顔にやはり僅かだが、焦りの色が見えだした。

コルハクーは自分の顔が喜んで弛んでしまっていないか気になった。

…………そのとき、コルハクーの全く予想外の方向から弓矢が飛んできた。

見張り台と道路を挟んで向かいの辺りに、樹が一本立っている。

その根元にはハンミーヤの機嫌を損ねたためもう何年も繋がれている女がいる。その風景に馴染みすぎて、石ころ同然に思っていた。

この辺りまでソエを追い込んだのは、コルハクー自身だ。そうなるともわからないのに、あの男はいつからあそこにいた?







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