名前の法則
コルハクーの正式な姓名はダケトイヨイヘ・コルハクー・テゾと言う。
濁点が入っていることからわかる通り、歴史の古い名家の出身であり、そもそも今現在戦場となっているこの屋敷と周辺の山と農園の正当な後継者であった。その事は麓の街の大人たちも誰もが知っていた。
寡黙で思慮深いコルハクーと、護衛だが陽気で呑気なヤカフ。それが街の人間達の印象である。
二人の少年は毎日勉強と武術の訓練に追われており、ごくたまに街に降りて露天を覗いたり、お茶を飲み周辺をぶらつくのが何よりの息抜きだった。
見目よい二人が現れるとその情報は瞬く間に広まり、年頃の娘たちは浮き足立って勉強も仕事も手につかなくなってしまう。素知らぬ顔で外に出る用事を捻り出す。
すれ違う少女の髪に花を挿してからかうヤカフと、それをたしなめて笑うコルハクー。
同年代の少年とも顔見知りになったが、コルハクーはあまり深く交遊を結ぼうとはしなかった。
そんな日常が崩れたのは、彼が14歳のときである。
当時の当主であるコルハクーの父親が若くして病に倒れ、間も無く息を引き取った。
そして次の当主の座を、叔父である父の弟が不法に掠め取って行ってしまったのだ。
少年が気付いたときには財産も、父親と懇意にしていた筈の街を含めた一帯を統治している領主も、そして、あろうことか母親さえも完全に叔父の手中に収まっていたのである。
餞別として渡されたのは、庶民から見ればそれなりの大金であったが、本来の遺産より遥かに少なかった。
屋敷で働いていたヤカフの父母はそこを去った。ヤカフもコルハクーに付き従う必要はもう無かったが、出立の夜明け、従者はいつも通り主の盾として馬に跨がったのだった。
そして20余年。
顔から明るさの消えた男が部下を引き連れて戻って来た。
乗っ取り事件が起きた当時、麓の街にいたヨクンはまだ幼く、大人たちの噂など知るよしもなかった。
現在コルハクーが略奪を指示し、人々を蹂躙するのを知っていても尚、昔をよく知る者が今の彼を語るときは不意に同情の念が漏れる。
いや、屋敷を取り戻したのなら穏やかに暮らせば良いではないか。何とかあんな狼藉を止めさせなければ、とは思っているのだが、領主が賄賂を受け取って不法行為を許しているので結局はどうにもならない。おまけに魔法使いが妙な術をかけている。
そして、街の人間が本気で対処しようと思えないのは、被害を受けるのは旅人や離れた場所の人間であって、この街で実害があったのはごく僅かだからだろう。
領主は長生きである。
コルハクーの父と酒を酌み交わし、叔父と食事を共にし、今も贈り物によってますます肥え太っていく。
ヨクンの父も、黙っていれば同じように醜くなれる立場だった。
怪しまれずにこの村に入り込む計画を立てたのは、ヨクンの父だった。
まず衛兵である息子を、街道辺りをうろつくコルハクーの部下たちに接近させる。本来なら敵対すべき相手に秘密の情報を流し、見返りを頂戴する。
そんなやりとりを数回繰り返した後、「父親が息子の不正を知ったので勘当し、その父親は恥によって自ら命を絶つ」
行き場のなくなった不孝者は、晴れてごろつきの仲間入りという寸法である。
何も知らされず夫と息子を失った母は、現在どうしているのだろうか。縁談の話も多数持ち上がってきていた妹は。
事実を知る仲間は、街の住人の中のほんの一握りだけである。彼らと秘密裏に情報をやり取りし、期を見てこの村を討伐するはずだった。
彼らは、今でもその意志を胸に抱いているだろうか?
父に面倒事を押し付けられたとは思わなかった、などとは間違っても言えない。
ヨクンの家に直接的な被害は何もなかった。
ただ、悪行によって父の耳目を汚した。
小屋の中からヨクンは飛び出した。壁の足場から一息に屋根の上に飛び乗る。人だかりの中心でソエらしい者が跳ねるように動いていた。
秘密の道具を取りに戻った所で、妻であるミシニから思わぬ情報を得ることができた。
やはり街の協力者が動いたのではなく、偶然に義賊が登場しただけらしい。本当に偶然か?何かの罠か?
コルハクーの敵だからと言って、無条件にヨクンの味方だとは限らない。
だが、今はこの女に賭けるしかない。片腕で大人の体を持ち上げて振り回しているソエに。
ヨクンが登っている小屋の隣の屋根では、ヤンーシという若い男が矢を放っていた。
矢は適当に向かいの小屋の壁に刺さった。標的よりも仲間に当たる確率が高いから嫌なのだ。怒られそうだから。
ヤンーシの背中には、他の人間よりも2本多く腕が生えている。本人の意思には制御されず、常に空を引っ掻いたりどこかを叩いている腕だが、両脇の腕が弓矢を構えている間だけは肘を曲げて背中におとなしく張り付くのは不思議なことである。
ヨクンも、攻撃する振りだけしようと弓を構えかけて、その手を止めた。
―――――まずい。
屋敷を背にして魔法弓を構える部隊が現れた。
射てば必ず心臓を射ぬくなど、一般人が使える魔法を施したとても高価な武器である。タミーウンではない魔法使いから購入したものだ。
この状況ならば持ち出してもおかしくはない。
一か八か。ヨクンも出し惜しみはしないと覚悟を決め、腰の守り袋から閃光弾を取り上げ、ソエの背後の地面に叩きつけた。
瞬間、世界と男たちの目が強烈な発光に衝突する。
ヨクンも瞼を通してもなお眼底が焼かれるようだ。
秘密道具その1。
「怯んでんじゃねぇ!!閃光弾だ!!」
この声はトヤハという男だろう、男たちは目の潰れたまま体勢を立て直そうと動き始める。しかしソエの速さには敵わず、魔法弓部隊は薙ぎ倒されていった。
ヨクンはといえば、屋根の上で目が眩んだ振りをしてその場に鎮座していた。降りてソエに加勢しても、ひとまとめに殺される気がする。自分が弾を投げたのだと周囲
にばれないよう、祈るばかりだ。
ソエはミシニから聞いた話と、今の閃光を結びつけるだろうか。協力できる者がいると。
―――――それにしても。
おそらく魔法で身体能力を強化しているのだろうが、凄まじい力である。
魔法使いが力試しに乱闘でもしてみようと思ったのかも知れない。この世に、善意で動く魔法使いがいるとは思えない。
「中央」に訴えが届いたか?
現在の総国主はジヨエン一族の担当だが、地方に救助を派遣するとは矢張考えにくい。
「なん………なんすかね?魔法かな?」
ヤンーシが頭を振りながらヨクンのいる屋根に移ってきた。光の直撃を受けなかったのか、回復が早い。
「ああ………魔法かもな」
「怖えぇっすね。あっちの屋根にも何かいたけど、何してくるかわかんねぇし」
「うん?何がいた?」
「間違えてあっちの屋根登ったら、なんかすげぇ長いやつが屋根の上で寝てたんすよ。そいつ動かなかったし班長に怒られると思ってすぐこっち来たっす」
その最後の言葉を聞く前に、ヨクンは小屋の壁を駆け降りヤンーシの指した方へ走った。
賭場でコヨーセトは、ソエと長身の女の二人組だと話していた。
処理に取りかかり始めていた男の怒鳴り声を背後に、通路に転がっている死体を飛び越えていった。
「『今年はたくさん投稿する!』とここに書こう」
と思いながら迎えた2022。