獅子身中の死にかけの虫
「それがもうすげぇオッパイでよぉ!」
コヨーセトの声が賭場に響く。その足元で取り巻きの男達が、賭け事に使う木札をいじくりながら歓声を上げる。
その室内にいる他の者たちも、博打を続けながら耳をそれとなくそちらに向けた。
久しぶりに新しい女がこの村にやってきた。
その女が今頃どんな目に遭わされているかと思うと、ヨクンは腹に石を詰めたような感覚に陥る。
自分がこの村に潜り込んではや二年。目的を達成する見込みは未だになく、焦燥にかられて精神は少しずつ擦り減って行く。
仲間との連絡も、村の人員の配置換えによって取ることができなくなり不安を掻き立てる。
相互監視の目が予想より遥かに厳しかったのは誤算、いや、当然予想すべきだった。ならず者の集まりならば、適当な人間やどこかに綻びがあるだろうと考えるのは楽観が過ぎた。
コルハクーとその腹心の部下たちは上手く飴と鞭によって男たちを統率している。
飴とは、女と、今ヨクンもやっている博打である。村の男たちは貰う給料は殆ど博打ですってしまう。そして結局は、胴元のコルハクーの懐に戻っていくのだ。だが、勝てることもある…………
博打は体面上は「娯楽」だが、ここでは半ば義務となっている。遊びに金を突っ込む阿呆、自制心のない頓馬ならば御しやすい。賭場に顔を出さない者は叛心を疑われ、やがて処分される運命となる。
隣の男が手持ちの木札の中から一枚抜き取り、場に出す。
場の四人の札が出揃ったので、現在親であるヨクンがサイコロを振る。
出た絵柄は、ヨクンの負けを示していた。
「よおおっし!」
「俺が一番勝ってるな!だははは!」
喉を裂いて飛び出しそうな叫びを飲み込み、敗者は勝者に木札を差し出す。
大した負けではないが、ここのところそれが蓄積している。今度街へ出られたら、共に暮らす女に旨い食物を買ってくる予定なのにそれも厳しいかもしれない。
本来ならばヨクンもこのような場所には目もくれない人間である。少しでも情報収集をしようと、人の多い場所に入っていったのが正解だった。コルハクーの目的を察してからは、許可された日にはケチな賭け方で律儀に参加する役人上がりの小心者という設定を貫いている。
本当は本を読みたい。
マニトイヨラの小説を、クヘスの地理誌を、注文したきり届くのを見られなかった註釈付き新版デケシローの古典詩集を。
魔法使いのタミーウンは研究室にどれ程の蔵書があるのだろう。
だが自分が今演じている男は主人に忠実で、そんなものにはもう興味を示さない男である。「狩り」に出て命令通りに罪なき人をすでに数人殺している。
自分には使命が在ることを決して忘れてはいない。
しかし恐ろしいことに、それは記憶として、という前置きが付き始めているのではないか。
己の脳内は全て、目の前のくだらない木札の行き来に支配されつつあるのではないか?
もうひとつ悩みの種として、自分に妻として与えられた女、ミシニがいる。せめてこの女だけでも不本意な涙を流させまいと体に触れずにいたが、信頼によってミシニがやがて見せるようになったあどけない表情を見るにつけ、腹の底に煮えたぎった物がとぐろを巻いては溜まって行くのを感じる。
それだけではない、絶望的な事実もある。
コルハクーと部下たちがこの村を作り始めて8年。その当時の部下7人以外に、今まで側近にまで昇格した男がいないということだ。
賭場の監視であるコヨーセトと最側近のヤカフは誰とでも気さくに喋る人間ではあるが、それでも誰かを贔屓する様子は無い。
自分は一生ここで、逃げ出すこともできず過ごして行くのだろうか?それを明確な未来として受け入れつつはないか?
隣の男がヨクンをせっつく。木札を早く選べと。
上の空で手を伸ばした所で、小屋の立ち並ぶ方向から鐘を叩く音が聞こえてきた。
窓の真横にいた男が気付き、引き開けると気持ちのいい夜風と共に警鐘が入ってくる。
「賊だ!!中央道にいるぞ!!」
その声に反射的にヨクンは立ち上がった。まるで自分の頭が吹っ飛んだような感覚。
どれ程の時間無心でいたのか。
実際は数秒も経ってはいないだろう。
コヨーセトの怒声に蹴られて、男たちは一斉に部屋から飛び出して武器庫へ走り出した。聾者がその後を追った。
武器庫まで走って二十数歩の間、ヨクンは周囲を確認した。
敷地の周囲に張られた結界の壁が、青白く光っているのが見える。
タミーウンが死ねば魔法は解けるのかどうかも未だに判らない。だが、どちらにしろ魔法使いは優先して討伐すべき対象である。
村の状況に違和感を覚えた。
戦闘しているらしい物音は聞こえるのだが、相手の規模が小さいようである。
もしや、賊というのは一人なのだろうか?
そういえば、今日コヨーセトが入ってきた女の話をしていたが、これも無関係ではないだろうが…………
武器庫の前に来た。
「ホスモ班のヨクンです!」
「遅せぇんだよ!三番列七の屋根に登れ!」
班長のホスモが、弓矢を受け取ったヨクンに、小屋の屋根に登るよう指示を出した。
三番列七。ヨクンの小屋のすぐ近くだ。
ここで妙な動きをすれば何もかも水の泡かも知れない。
だが迷うべきではない。
秘密の道具を取りに、男は小屋へと走った。