作戦開始
足元に転がる死体を見下ろし、ソエは考えた。さてどうしようか。
フシエが目を覚ます騒ぎにまで発展するのは、もう少し先になる。
これで調査してから行動を起こすことは無理になった。
悠長にしている暇はない。この夜のうちにこの村を壊滅させるか、それは無理でも戦力をできる限り削いでおきたい。館の中にいるであろうコルハクーの首は取ってやりたい。
「悪人が棲む館」についてソエは詳しい。劇団で働いていたとき、仲がよかった脚本家に色々な冒険小説を借りて読んでいたからだ。
そこで蓄えた知識によると、まず魔法のかかった像は間違いなく置いてある。何の変哲もなさそうな像だが、侵入者(主人公である)がやってくると豹変し、襲いかかってくる。
ソエ自身の乏しい経験上、「魔法で操られる物体」はソエの目に映らなくなる。おそらく殴りかかるなどの攻撃も受け付けないだろう。
次、館の廊下にはスイッチが仕込んである。それを侵入者が踏むと、矢が八方から降り注ぐ。もしくは床全体が下向きの扉になって開き、深い穴へ真っ逆さまだ。これには様々な対処がそれぞれの小説の中で成されたが、今の自分には難しそうな気がする。
その他、巨大な人喰いの獣だの、地下の二度と出られない迷路だの、館には仕掛けが沢山ある。
「は?面白かったってどこがだ?……主人公が知恵を使って脱出できたところが?……あんなご都合主義を知恵使ったなんて言わねぇんだよ……どの話も真実味が無いんだよ……現実というものを書いて無ぇんだよ……ノリで敵の部屋に飛び込んだら姫の指輪が偶然壺の模様と共鳴して敵を封印した部分とか笑いすぎて頭が痛ぇわ……………」
あの脚本家は、しょっちゅう他人の小説についてぼやいていた。
あの頃はうるせぇ黙って書けと叫んで応えるだけだったたが、今はその言葉も最もだと思う。つまり準備せずに敵の部屋に飛び込むのは危険だ。
時間はかかるが、相手の情報をもっと得ることが先だ、と思った。
小屋の床板を剥がすと、すぐ真下は固い土だった。最近、ソエは床板剥がしを覚えた。
床下が無理なら、ミンフはどこに避難させておこう?
行動するのは一人がいいだろう。率直に言って、ミンフは動きが遅い。
逡巡すら手早く切り上げ計画を立て、両の乳房を剥き出しにして1人で小屋の外に出た。
濃紺の夜空に無数の星が煌めき、一番明るい白色の満月が静かに浮かんでいる。
良い夢を見るのは黄色い月。魔法が強くなるのは紫の月。犯罪者が動くのは新月。夜鳥を産むのは緑の月。そして何とでも言える、白い月。
村は屋敷の中から漏れる僅かな灯火と見張り台のランプの一部分だけが照らされ、道の両側に建つ小屋の集団は辛うじて月の光によって存在を認められる。
木に繋がれた人間がこっちを凝視しているのに気付き、心臓が止まりそうになった。
ソエは見張り台を見上げた。
見張り番の男と目が合った。
この男はヤカフたち3人が家に入るのも、その目で確認していた。この村に来た女はまずヤカフがゆっくり事を済ませたら、後は誰でも好きにしていいのが決まりとなっている。見張り番に当たっていなければ。
「やねて…………かすけてください…………」
小屋の中からはもう1人の女が抵抗しているらしい声と暴れる音が漏れてくる。
家から出て見張り台の足元まで近寄ってきた女の顔をランプで照らしよく見てみれば、相手にされないのも納得だと思えた。しかしなんで胸を丸出しに?
「ヤカフ様に言われたんで…………」
女は何事か弁明しながら梯子の下に立ち、やがて決心したように一段一段登り始めた。
見張りの男は武器に手を掛け、反対の手に警鐘を鳴らす槌を握りながら、梯子を登ってくる乳房を見つめていた。
そして、爪先に頭が浮かび上がり、肩が、2つの肉の塊が、腰が迫り来て、男はわけもわからぬまま絶命した。槌が手から滑り落ちたのを、ソエは空中で掴み取る。
2人立てば一杯になる見張り台の上から、改めて周囲を見渡した。
眼科には小屋の粗末な板屋根が並んでいる。その先の屋敷の前に1人、番人がいる。表情まではわからないが、おそらくこちらを見ている。現在、建物の外にいるのは自分と見張りだけだろう。
ふと山の麓の方に目をやれば、ソエ達の出てきた街の灯りが橙色の星のように散らばっていた。
片手で首筋を掴み、死んだ男の身体を持ち上げて、ヤカフ達から剥ぎ取った腰紐で見張り台の4本の柱の一本にくくりつけた。
頭は力なく垂れ下がるが、首と腰の辺りを縛ったので遠目には見張りの男が直立しているように見えると思う。
ソエはもう脇目もふらず見張り台を滑り降り、未だに小屋の中で一人格闘していたミンフに片付いたと告げ、屋敷の見張りの元へ向かった。
ここ数年、この村の中で目立った騒動らしい騒動は起きていなかった。
女が反抗すれば容赦なく痛め付けて意欲を奪い、男で不審な動きをしたものは即座に殺しただけである。
昔は、あてがった女に情が移り2人で逃げ出そうとする者もいたことがある。そうした者たちは上手くいったと思った次の瞬間には捕まり、山の獣の餌となった。
その獣もまた村の男たちの血肉を成すために狩られたのだろう。
コルハクーの周囲数人にとって、村に生活しているものは所詮家畜にすぎない。
騒動もなければ喜ばしいこともなかった。
男たちが村で楽しいことと言ったら、博打と酒くらいのものである。
そして女には何もなかった。
妊娠した女は食事や労働で多少なりとも優遇されることはあったが、魔法使いの当然の習いとして医学知識のある筈のタミーウンは女体に触れるのを嫌がるので、安心して出産できるわけではなかった。
そもそも望んだ妊娠ではないし、産まれたら父性や愛に目覚めるような男も皆無だった。
ただ食って寝て暴力を働く毎日で、感覚は次第に鈍麻していったのだろう。
ソエは、屋敷の見張りの男も簡単に殺せた。