暗闇にてフシエの思うこと・1
屋敷の端にフシエの部屋はある。
村に並ぶ小屋よりは、屋敷そのものの作りの為はるかにマシな部屋である。服を入れる箱とベッドがある。
部屋には扉が二つあり、片方は屋敷の裏に出る。もう片方は廊下に出て、ハンミーヤの居室へと繋がっている。
フシエはいつものように寝床に就いたが、目は眠らず冴えていた。
今頃、あの2人は村の男たちによってたかって凌辱されているのだろう。ハンミーヤはそれも、村に入った者の当然の務めだと信じている。
2人は救出に来てくれた兵士か何かではないか、とどうしても期待してしまう。
縄張りである街道周辺において、無防備な女の往来が絶えて久しい。盗賊の悪評が知れ渡ったので、それぞれの街の人間が危なそうな者を通さないでいるのだろう。そこに、外見に問題があるとは言え、2人の若い女が突然現れたのだ。
ただ、ミンフがいることを思うとその期待に翳りが生じる。
ソエの一貫して間抜けな言動は、どうも演技のような気がする。しかしミンフは、おそらくそうではない。諜報もしくは戦闘、彼女の役割は何か。
旅人に見せるための目眩ましか、本当に旅人か。生まれつき魔力を持っている可能性は誰にでもある。知能に問題があっても、それを制御する方法を学べていれば…………魔法の習得には、膨大な知識と学識と判断力が必要な筈だが。
逃げろと言ったときソエが見せた、狂気じみた笑みはどういう意味だったのか。
仮定から仮定を導き、頭の中はすでに明日以降の失望に備える準備を始めていた。
ソエの裸体は、すごかった。その顔面からは想像できない素晴らしさだった。
布を一枚取るたびに広間に甘くぬるい体臭が広がっていき、肌着も取り払った体には誰もが息を飲んだ。
隣のミンフの背中をさするとき、その腕の動きだけで乳房が敏感に震えるのをソエは意識していたのだろうか?
豊かな胸、柔らかそうでくびれたしなやかな腰、美しい曲線を作る尻と脚…………。この村で暮らしている女たちも、かつては持っていたであろう健康な体。
フシエは、6年ほど前に拐われてここへと連れてこられた。
その前は陶器の工房で絵付けの仕事をしていた。左足で物を支えて右足指で筆を持って、図案の輪郭を描き、彩飾の職人にまわす。幾何学模様や入り組んだ植物の絵が得意だった。
あれは、離れた街の夏の祭りが近い頃だった。
工房の親方が納品のついでに祭りを見に行こうと、馬車に商品と親方の娘のネヒミと、工房の男2人とフシエを乗せて楽しく旅立ったのだ。親方はこの旅で、夫婦が2組できあがることも目論んでいたのだろう。
途中で一晩宿に泊まれば、次の日の昼には目的地に着く筈だった。
日が落ちて、そろそろ宿のある集落というところで、「やつら」は現れた。
リーダーであろう威圧感のある大男。顔の右半分は絵付け前の壺のようにつるりとして何もなく、左半分は冷たい笑顔の男。馬車に向かって武器を突き付ける者が数人。少し離れて長い杖を持っている男は魔法使いだろう。
盗賊は親方に通行料を要求したが、望む額を出せないと知ると馬車の積み荷を荒らし始めた。
そして乱闘が―――いや、こちらも護身用の武器があったとは言え、あれは一方的な殺戮だった。気がつけば親方と男2人は体を切り刻まれ山の中に捨てられていた。そしてネヒミとフシエと馬車が奪われたのだった。
この時の商品は、今もこの村で食事のときなどに使われている。
あの頃、この山にあるのは屋敷と二つほどの小屋だけだった。コルハクーが屋敷を建てたのか、何らかの方法で乗っ取ったのかは定かではない。次第に人を増やし、少しずつ屋敷の前の森の斜面を切り開き、小屋を建てていった。
屋敷で父の帰りを待っていたハンミーヤは、新しい住人というものを何の疑問もなく受け入れた。
フシエの肩に気付いた少女は、少し怯えながら父親に尋ねた。
「腕がないわ。どんなに悪い人なの?」
殆ど外の世界に触れることなく8歳まで育ったので、腕がない人間は悪い人間、父に逆らったので切られた人間だと思っていた。
「お嬢さん、俺と同じだよ。これで産まれたんだ」
ヤカフが自分の頭部を指しながら説明した。
それがきっかけで、ハンミーヤはフシエに興味を持ったようだった。自分の側に置きたいと言い出した。
選択の余地などあろう筈もない。
フシエはハンミーヤの召し使いになることが決定し、そして、ネヒミは別の場所へと連れていかれ、2度と顔を見ることはなかった。
数日後、ここでの暮らしに慣れを感じ始めたフシエは、ヤカフにネヒミの居所を尋ねた。自分の仲間を惨殺した相手に抱く思いとしては不適切ではあるが、ヤカフが一番気さくに話せる、という印象があった。
「あの女?おととい結界に焼かれて死んだぞ」
事も無げに言うのを見て、さては冗談かと思わず顔に愛想笑いが浮かんだ。
「敷地を囲んでる結界に触ったら死ぬって、最初に言ったよなぁ?なのに逃げっからよ」
「逃げる……どうして……?」
「お前がお嬢さん付きになったから、そのぶん1人で皆の相手をするのがしんどかったんだろ」
「相手?」
ヤカフは大声をあげて笑った。右側の多少短い唇も裂けるような、叩きつけるような笑い声。