ターン97 ロンダリングエンジン
■□ヴィオレッタ・クロウリィ視点■□
私はキンバリーさんの愛車〈エリザベス・ジェノサイダー〉の後部座席で、シートベルトを着けて大人しくしていた。
しくじったわね――
お兄ちゃんやキンバリーさんが近くにいるからって、油断していたわ。
クリスさん?
最初から、アテにしていないわよ?
悔しい――
いつもだったらあんな奴ら、股間を蹴り潰してやるのに。
キンバリーさんの口元を押さえた、大男――奴がナイフを持っているのが見えたから、本気で抵抗するのをためらってしまった。
それと、もうひとつ。
ナイフを持った大男ぐらい、キンバリーさんなら片付けられるんじゃないかと思ったの。
普段の隠密じみた行動から、彼女は荒事でも相当腕が立つと感じていた。
さすがにウチのお兄ちゃんやお父さん、眼鏡を外したジョージさんほどじゃないだろうけど。
だけど、あの時――
キンバリーさんは、別の何かに気を取られていた。
何を見ていたんだろう?
彼女が向いてた方角にはクリスさんもいたけど、まさかね。
キンバリーさんは今、助手席に押し込まれていた。
私と同じように、大人しくしている。
後部座席から痩せた男がナイフを突きつけ、脅しているっていうのもあるんだろうけど――
元から彼女は、抵抗する気がないみたい。
このまま黙って、攫われるつもりなの?
それにしてもコイツら、なんで私とキンバリーさんを攫ったのかしら?
そりゃあ私は超絶美少女だし、キンバリーさんも美人だから攫いたくなる気持ちは分かる。
だけど、あんなに人気のある場所で実行するなんて――
キンバリーさんのメイド服に興奮して、我慢できなかったメイド服マニアかしら?
私もミニスカート履いてきたの、失敗だったかな?
「くっくっくっ……。スゲー速さだな。さすがは〈エリザベス・ジェノサイダー〉だ。こりゃあ、高く売れるぜ」
乗員がシートにめり込むような〈エリザベス・ジェノサイダー〉の加速に、運転席の大男はご満悦みたい。
「あなた達、車がお目当てだったの?」
「ああ、そうさ。なーに、安心しろよ。この車を売り飛ばしたら、お前らもちゃーんと可愛がってやるぜ。たっぷりとな。……くくく」
何が楽しいんだか。
痩せた男は私を見ながら気持ち悪く笑い、ベロリと舌なめずりしてみせた。
車を盗むついでに攫うなんて、私達も軽く見られたものね。
欲張りすぎると、失敗するわよ?
こいつら、頭悪いのかしら。
――いえ。
頭が悪いというよりも、正常な判断を失っている?
車泥棒達を注意深く観察してみると、色々と奇妙な点に気づく。
開いた瞳孔。
キョロキョロと動き、落ち着かない眼球。
荒くて浅い呼吸。
犯罪の興奮で――というわけじゃなさそうね。
私には、思い当たる節があった。
最近マリーノ国内で密かに流通し、警察も手を焼いていると新聞に載っていた違法薬物――「クロノス」。
錠剤なんだけど飲み物とかにすぐ溶けて、口から簡単に摂取できるらしいの。
こいつらはその、「クロノス」の常習者じゃないのかしら?
服用すると妙に自信が湧いてくる薬物らしいから、それで無茶な犯罪に走ったのかも――
怖いよ――
お兄ちゃん、早く助けにきて――
――あ。
誤解しないでね。
別にこいつらみたいな、チンピラが怖いわけじゃないわ。
運転席の大男。
こいつの運転が、下手クソ過ぎて怖いの。
普段はお兄ちゃんやお父さん、お母さんみたいに運転上手な人の車にばかり乗っているからね。余計に怖く感じちゃう。
ここまで乗せてきてくれたキンバリーさんも、運転上手だし。
大男は、速くコーナーに飛び込むのが上手な運転だと勘違いしているみたい。
完全なオーバースピードで、タイヤをキュルキュル鳴かせながらターンインする大馬鹿。
それでも〈エリザベス・ジェノサイダー〉は旋回限界の高い車だから、なんとか曲がってくれている。
フラフラして、危なっかしいったらありゃしない。
そんな走りだと、全然タイム出ないよ?
この車はパワーがあって、しかも四輪駆動なのよ?
もっと立ち上がりで、駆動力を活かさないと。
その方が安全に、楽に、速く走れるに決まっているでしょ?
運転免許を持っていない私でも、それぐらい分かるっていうのに。
私は長年お兄ちゃんのレースを見てきたし、自分でもレンタルカートに乗ったことあるからね。
こいつらは、ド素人。
〈エリザベス・ジェノサイダー〉みたいな高性能車は、勿体なさ過ぎる。
これで事故ったら、車の持ち主――キンバリーさんが、気の毒だ。
お願い、お兄ちゃん。
事故る前にきて――
そんなことを祈っていたら、バックミラーにキラリとヘッドライトが写ったの。
ダークエルフのクォーターである私の視力なら、車種まですぐに分かる。
リトラクタブル式の丸目ヘッドライト。
山頂のパーキングエリアで、お兄ちゃんが運転しようとしていた〈レオナ〉ね。
「な……なんだあの車は? この〈エリザベス・ジェノサイダー〉は、峠道では最強の車だろう? なんで、追いついてこられる!?」
なんでって、決まっているじゃない。
ドライバーの腕が、ヘボだからよ。
それに向こうの車には、最高のドライバーが乗っているんだから。
車泥棒コンビは、うろたえていた。
分かるわ。
これからどうなるのか予想がつかなくなると、人は不安になるものよね。
だから親切な私は、未来の自分達がどうなるか車泥棒達に教えてやったの。
「あなた達、死んだわよ」
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
「ヌコさん。この車のロンダリングエンジン……だっけ? 回転力が細くない? コーナーからの立ち上がり加速が、イマイチなんだけど?」
「ロータリーエンジンだニ! 贅沢言わないだニ! 1300ccでターボ無しだから、当たり前だニ!」
1300cc!?
コンパクトカー並みの小排気量エンジンじゃないか。
それでこの馬力なら、確かに贅沢を言っちゃいけないな。
エンジンの瞬発力であるトルクは、やや細め。
だけど高回転までブン回した時の馬力は、2ℓ並みなんだから。
ドライバーの俺が、高回転をキープできるような変速操作をしてやればいいだけの話だ。
ただ、相手がなぁ――
トルクもパワーも図抜けたターボエンジンと、4輪駆動システムを持つ〈エリザベス・ジェノサイダー〉だからなぁ。
峠道の荒れた路面は、サーキットに比べると滑りやすい。
なのに〈エリザベス・ジェノサイダー〉のタイヤは、ハイパワーを掛けても空転しない。
4つのタイヤ全てで地面を蹴飛ばし、グイグイと加速してゆく。
ピッタリと後ろに付くテール・トゥ・ノーズの位置関係までは追い込めるんだけど、コーナーを立ち上がる度に〈レオナ〉は引き離されていた。
「車の性能差は、圧倒的だニ。どうやって、前に出るつもりだニか?」
ヌコ・ベッテンコートさんの声は、不安げだ。
だけど前に出るだけなら、そう難しくはないと俺は考えている。
「全部が全部、〈レオナ〉は〈エリザベス・ジェノサイダー〉に劣っているわけじゃないよ。この車、車両重量は何kg?」
「930kgだニ」
ハイパワーな車ほど、エンジンは重く、大きくなる。
それに力を受け止められるよう、車体は堅牢に作らないといけない。
だから、全体の重量は重くなる。
ましてや〈エリザベス・ジェノサイダー〉は、構造が複雑になる4WDだ。
「軽い軽い」といわれるけど、それはハイパワー4駆のマシンにしてはの話。
一方の〈レオナ〉は、軽くなる要素が盛りだくさんだ。
小排気量。
2輪駆動。
2人乗りクーペ。
おまけに古い車だから、ボディ剛性を重視した設計になっていない。
そんなわけで〈レオナ〉は、〈エリザベス・ジェノサイダー〉より約300kgも軽い。
さらに挙げるなら、向こうは4人も乗っている。
それを口にすると、暗にヴィオレッタやキンバリーさんが重いと言っているように聞こえるからな。
黙っておこう。
ぜったい怒られる。
「確かこの先の右コーナーを曲がり終えた先に、ちょっと長めの直線があったよね? その先は、きつい左ヘアピンカーブ。合ってる?」
「よく、憶えているだニね? この峠は、初めてだニ?」
「1回上ってくれば、憶えるさ。……直線終わりで、前に出るよ」
「無茶だニ! パワー差があるから、ストレートで引っぺがされるだニ!」
「まあ、見てて」
直線に入る手前の右コーナー。
そのガードレール外側にいるコース係員役の青年へと、俺は視線を向けた。
誘拐犯とカーチェイス中だとは夢にも思っていないらしく、係員青年は笑顔で俺達に向かいLED誘導灯を振る。
光の色は緑。
――対向車無しだ。
俺は余裕を持った進入速度で、コーナーに入ってゆく。
ギヤは3速。
まあまあのスピードで旋回する、中速コーナーだ。
2台の間隔が、少し開く。
前を走る〈エリザベス・ジェノサイダー〉は、明らかなオーバースピードでコーナーに突っ込んでしまっていた。
曲がりながら、フラフラしている。
――こりゃ、予想以上に素人だな。
早く止めないと、事故りそうだ。
コーナー進入速度を抑えた俺は、早いタイミングで加速体勢に移れた。
再び〈エリザベス・ジェノサイダー〉との差が詰まる。
奴はヨタヨタと外側に膨らんで、アクセルを踏めていない。
なので俺は、空いた内側に〈レオナ〉の長い鼻先をねじ込んでおく。
これで奴は理想的な走行ラインが取れず、立ち上がり加速はますます鈍くなる。
どんなにパワーがある車でも、それを活かせるドライバーじゃないと宝の持ち腐れだ。
「こんなに接近して……! おみゃーの腕は分かるだニが、相手がぶつけてきたらどうするつもりだニか!?」
「奴らが車泥棒なら、自分から商品をぶつけてくることはないと思うよ」
――とはいっても、こいつ下手クソだからなぁ。
ぶつけるつもりは無くても、うっかりぶつかっちゃったりってのは充分考えられる。
その前に、終わらせなきゃ。
〈エリザベス・ジェノサイダー〉と〈レオナ〉は、横並びでストレートへと飛び出した。
パワー差を考えるとあり得ない話だけど、〈エリザベス・ジェノサイダー〉は満足な体勢で加速できなかったからな。
横に並んだついでに、俺は相手の車内を覗き込む。
運転手の大男は、焦った目でこちらをチラチラと見ていた。
ヴィオレッタは――いた!
右後部座席に、座らされている。
ヴィオレッタは俺と目が合うと、ニッコリ微笑んで手を振ってきた。
さすがだな。
肝っ玉が、据わっている。
そんなヴィオレッタの笑顔が、徐々に離れ始めた。
直線では、やはりパワーがものをいう。
〈エリザベス・ジェノサイダー〉は完全に、〈レオナ〉の前に出た。
「予想通り、引っぺがされただニよ。これからどうするつもりだニ?」
「引っぺがされた? まだ、射程圏内だよ」
〈レオナ〉と〈エリザベス・ジェノサイダー〉。
その差はだいたい、半車身。
俺は笑みを浮かべながら、助手席のヌコさんに問いかける。
「ねえ、ヌコさん。レーシングドライバーと素人で、運転技術に1番差が出るのはどこだと思う?」