ターン96 虐殺エリザベス
〈レオナ〉の運転席に滑り込んだ俺は、シート位置をスライドさせて運転ポジションを合わせた。
身長140cmぐらいのヌコ・ベッテンコートさんと、最近180cmを超えた俺じゃ全然ポジションが違う。
もちろんヌコさんが敷いていたクッションは、抜いてある。
シートはセミバケット式。
籠のようにドライバーの体を包み込んで、支える形状。
カートやレーシングカーみたいなフルバケット構造と違い、背もたれを調整するリクライニング機能が付いている。
シートベルトは、リュックサックのように締める4点式。
これは前世を含めて、初めて着けるな。
乗用車のベルトは3点式だし、カートはベルト無し。
フォーミュラカーに至っては、お腹の前のバックルでカチンと留める5点式、6点式のベルトばっかりだからね。
シートベルト装着後、俺は車内を一瞥。
ハザードランプのスイッチとか、運転装置の位置を頭に叩き込む。
「他社の国産車と、特に違いは無いだニ。エンジンスタートが昔ながらの金属キー式だニが、かけ方は分かるだニか?」
助手席からヌコさんが尋ねてきたけど、問題ない。
ハンドルの右下辺りにある鍵を捻り、エンジンを始動させた。
「あれ? この車、始動する時のクランキング音がちょっと違う?」
俺は、違和感に首を傾げる。
耳を澄ましてみれば、アイドリングのエンジン音も普通の車となんだか違う。
これは、いったい――
「おみゃー、本当に〈レオナ〉のファンだニか? この車のエンジンは……」
ヌコさんの説明は、途中から頭に入らなくなった。
ある光景が、ルームミラーに写ったからだ。
自動販売機で飲み物を買い、自分の車に戻ろうとしていたメイド服姿の女性――キンバリーさんだ。
そのキンバリーさんが、後ろから忍び寄っていた怪しげな大男に組み付かれた。
手の平で、口を塞がれたのが見える。
「キンバリーさん!」
俺が〈レオナ〉の車内から叫んでも、声は届かないしもう遅い。
助けに飛び出そうとした俺を、4点式シートベルトとセミバケットシートが押さえつける。
――くそ!
早く外さないと。
だけどその時、もうひとつの問題が発生した。
キンバリーさんには悪いけど、こちらの方が俺にとって遥かに重大な問題だ。
「ヴィオレッタ!」
車の横でキンバリーさんの帰りを待っていたヴィオレッタも、ガラの悪そうな細身の男に羽交い絞めにされた。
そのまま車の後部座席に、押し込まれる。
こちらは、ドアミラーに写った光景だ。
賊どもの行動は、素早かった。
俺がヴィオレッタに気を取られている隙に、キンバリーさんを押さえた大男が彼女を助手席に押し込む。
大男は運転席に回って、エンジンを始動させた。
キンバリーさんの車を奪って、逃げる気か!?
――ダメだ!
もう、間に合わない!
クリス君は、何をやってるんだ!?
ヴィオレッタとキンバリーさんのことは、ちゃんと見ておくって言ってたじゃないか!
「あ……あいつら! 最近話題になっている、車泥棒グループに違いないだニ! 人まで攫うだニか!?」
「そんな奴らがいるってことは、もっと早く教えてくれよ!」
ヌコさんに向かって、思わず乱暴に叫んでしまった。
車泥棒ってだけでも許せないのに、俺の大事な妹に手を出すなんて万死に値する。
こうなった以上、やることはひとつだ。
パーキングエリアの路面にタイヤ痕を刻みながら、道路へと飛び出していくセダン車。
俺はそのテールランプを、睨みつける。
「追うよ! 力を貸してくれ、〈レオナ〉!」
エンジンの回転を上げ、スパっとクラッチを繋いだ。
急激にかけられたパワーを受け止められなかった後輪が、空転する。
俺はそれを利用して、スピンターンを決めた。
そのまま車の向きを、180度変える。
普段なら絶対に、こんな運転はしない。
周囲に人がいないのを確認済みとはいえ、ここは駐車場だからな。
だけど、今は非常時だ。
ヴィオレッタを助けるためだったら、なんだってやってやる!
パーキングエリアを駆け抜け、道路へ出ようとする俺。
車泥棒達に奪われたキンバリーさんの車は、峠の下り方面へと走り去った。
同じ方向へ向かうためには、ヘアピンみたいな急左折をしないといけない。
道幅も狭いし、普通に曲がったんじゃ1発でハンドルが切れるかどうか分からない。
スポーツカーって、小回りが利かないようにできてることが多いからね。
だから、俺が取った選択肢は――
ハードなブレーキングで、〈レオナ〉の後輪を持ち上げる。
そしてハンドルを切りつつ、左手でサイドブレーキを引いた。
〈レオナ〉の尻が滑り、鼻先がクルリと下り方面を向く。
「FOOOOOO!!!!! 初めて乗った車で、サイドブレーキターンだニか! 無茶するんじゃないだニ!」
「無茶じゃないよ。自動車教習所で、習ったからね」
地球で言ったら冗談だと思われるかもしれないけど、これはマジな話だ。
このマリーノ国の自動車教習所では、本当にあるんだよ。
スピンターンやサイドブレーキターン。
ドリフトのコントロール。
限界フルブレーキング。
そして、ヒール&トゥの教習が。
限界域で車が滑る感覚を体験させて、無謀な運転を抑制する狙いがあるらしい。
もちろん自在にスピンターンやサイドブレーキターンを操れる教習生なんか、そうそういるもんじゃない。
横滑りする体験をした程度で、卒業させてもらえる。
教習所での経験がなければ、俺だっていきなりサイドブレーキターンは無理だったろうな。
俺とヌコさんの乗る〈レオナ〉が、道路に飛び出す。
バックミラーで後方を見ると、同じようにパーキングエリアを飛び出してくる車がいた。
蛍光イエローの車体――クリス君の〈ヴェリーナ〉だ。
――遅いんだよ!
まったく!
――いや、それは俺も同じか。
すでにキンバリーさんの車は夜の闇に紛れて、テールランプも見えなくなっていた。
麓までは1本道だから、ぶっちぎられなければ何とかなるか?
ここで俺は、厄介なことを思い出した。
キンバリーさんの車――あれは、普通のセダン車じゃない。
ガンズ国家連邦の自動車メーカー、マーティン・フリードマン社が世界に誇るラリー兵器〈エリザベス・ジェノサイダー〉。
ラウネスラリー選手権で他社のマシンを虐殺するために作られた、エゲツない性能の車。
普通のセダン車である〈エリザベス〉を、メーカー自ら魔改造したエヴォリューションモデルだ。
ノーマルでも350馬力を誇る、2ℓ4気筒ターボエンジン。
どこをどう軽量化すれば4ドアセダンのくせにそんなに軽くなるんだという、1200kgの身軽なボディ。
そして舗装路だろうが未舗装路だろうが、強大なパワーを余すことなく路面に叩きつける四輪駆動システム。
こういう峠道では、無敵の存在。
――なんでメイドさんが、こんなバカっ速い車に乗る必要があるんだ?
キンバリーさんの趣味なのか?
夜の闇に消えた〈エリザベス・ジェノサイダー〉のテールランプを捕まえるべく、俺は右足のアクセルペダルに力を込める。
すると〈レオナ〉は、不思議な咆哮で応えた。
排気音は軽い。
妙に繋がった音がする。
6気筒エンジンか?
それにしては、鼻先が軽い。
おまけにエンジンルームから伝わってくる振動が、極端に少ない。
なんだ?
この車は?
ガソリンエンジンじゃなくって、電動モーターでも積んでいるのか?
でも内燃機関らしい、何かが爆発しているフィーリングは確かにある。
下り坂ということもあるのか、気がつけばかなり速度が乗っていた。
コーナーが迫る。
ブレーキを踏んだけど、思ったより速度が落ちない。
「気を付けるだニ! 一般的なレシプロエンジンの車と違って、エンジンブレーキが効きにくいだニよ!」
「もっと早く言ってよ!」
エンジンブレーキっていうのはアクセルペダルを戻した時に、エンジン内部の圧縮抵抗とかで自然にブレーキがかかることだ。
今回はエンジンブレーキがあまり効かず、コーナーへの進入速度が予定よりも高くなってしまった。
なのに、この車は――
〈レオナ〉はピタリと路面に吸いつき、カミソリのような切れ味でコーナーを抜ける。
シャープな操縦性のカートやフォーミュラカーに乗り慣れた俺でも、ドキリとするほどの運動性。
かなり古そうな車なのに、なぜ?
足回りがノーマルじゃないのは分かるけど、それだけじゃこの旋回性能は説明がつかない。
重心が、妙に低いのを感じる。
自動車を構成する中で、最も重い部品――エンジン。
そのエンジンが、やたらと低く搭載されているような感覚だ。
「一般的なレシプロエンジンと違うって、ヌコさん言ってましたよね? この車のエンジンは、なんなんですか?」
「やっぱりおみゃー、モグリの〈レオナ〉ファンだっただニね? この車のエンジンは……」
視界の端で、ヌコさんの唇が吊り上がったのが見えた。
「ロータリーエンジンだニ!」
「なんだって! ロータリーエンジン!?」
旋回中だからヌコさんの方は向けないけど、雰囲気からして凄く誇らしい表情をしているのが伝わってくる。
ロータリーエンジン!
ロータリーエンジン。
ロータリーエンジン?
「ねえ、ヌコさん……。ロータリーエンジンって……何?」
みゅーんという独特なエンジン音が、車内に響き渡った。
俺とヌコさんが、沈黙したからだ。
あ、これは怒られる雰囲気だな。
「みゃあああああああっ!!!! おみゃーはっ! レーシングドライバーのくせに、なんでロータリーエンジンを知らないだニか!? クリスから、聞いているだニよ!? あいつと同じ、転生者だニ? 地球にも、ロータリーエンジンはあるそうだニよ!?」
「え? そうなの? だってフォーミュラカーには、そんな変なエンジンの車なかったし」
「変じゃないだニ!」
うん?
そういえば少し、聞き覚えがあるかも?
確か北米には、そんな名前のエンジンを積んだフォーミュラカーがあったような――
地球にいた頃、俺はヨーロッパのF1を目指すことしか考えていなかったからなぁ。
北米のマイナーなフォーミュラまでは、チェックしてなかったんだよな~。
「いいだニか? ロータリーエンジンというものはだニね……」
「ゴメン、説明は後で! 今は、ヴィオレッタ達を追うよ!」
エンジン講釈なんて、後! 後!
とにかく今は、〈レオナ〉が良く曲がる車だってことが分かればいい。
再びコーナーが迫ってきたので、ブレーキング。
エンジンブレーキが効きにくいのは分かっているから、今度はフットブレーキを強めに踏む。
〈レオナ〉は車重が軽いし、前後の重量バランスもいい。
エンジンブレーキが効きにくくても、ブレーキング限界自体は高い車だ。
ヒール&トゥで、ギヤを2速へ。
空ぶかしでエンジン回転数を合わせてやると、〈レオナ〉は軽快な排気音を響かせた。
S字コーナーを、ヒラリと舞うように切り返す。
――いける!
この車なら、〈エリザベス・ジェノサイダー〉を捕まえられるぞ!
今、行くからな。
待ってろよ!
ヴィオレッタ!
本家、虐殺エリザベスこと、エリザベス・ド・マーティンが登場する作品はこちら。
「異世界金融 〜 働きたくないカス教師が異世界で金貸しを始めたら無双しそうな件」
https://ncode.syosetu.com/n5466es/