ターン95 FOOOOOO!!!!! これでも●●歳なんだニ!
「うっぷ……。気持ち悪い……」
タイヤの焼ける臭いに、俺は吐き気を覚えてしまった。
車を降り、〈ヴェリーナ〉の車体に背中を預けつつしゃがみ込む。
駐車している場所は、かなり広いパーキングエリアだ。
「スターダストウェイ」の峠道を、登り切った地点にあった。
以前スーパーカートで優勝した時に、ドーナツターンをやったことはある。
でもあの時はタイヤの焼ける臭い、あんまり気にならなかったんだけどな~。
スーパーカートマシンは屋根がないから、車内に臭いがこもらなかったおかげか?
グッタリしている俺に、クリス君がからかうような口調で話しかけてきた。
「だらしねえなあ、ランディ。タイヤが焼ける匂いで、参っちまうなんて……。いい匂いだろうが?」
「どこがだよ? 臭いったら、ありゃしない!」
「ならよ、レーシングカートの2ストオイルが焼ける匂いはどうよ?」
「あれは正真正銘、いい匂いだろう?」
そこまで言って、俺は気づいた。
モータースポーツに興味がない人からすれば、どちらも大差ないのかもしれない。
だとしたらドリフトが好きな人達に、臭い臭いというのも失礼だろう。
クリス君は自動販売機で買ってきたらしきスポーツドリンクを、俺に差し出してくれた。
「サンキュー、いただくよ」
「160モジャな」
やっぱり、クリス君はクリス君だった。
「いつも年上風を吹かせてるんだから、奢ってくれてもいいんじゃない?」
「おめーガキの頃、『前世とのトータルでは同い年』って言ってたじゃねーか。俺は〈ヴェリーナ〉買って、維持費と改造費用で金がねーんだよ」
仕方がないので財布から硬貨を取り出し、クリス君にドリンク代を払う。
お金が無い辛さは、俺にも分かっているからな。
「……で、クリス君。俺に会わせたい人っていうのは、この中にいるのかい?」
夜中だというのに、パーキングエリアは多くのスポーツカーと人々で賑わっていた。
走り屋というと不良っぽいイメージがあったけど、実際には皆大人しそうだ。
どちらかというと、オタクっぽい。
中にはヤンチャなファッションの人達もいたけど、かなり少数だ。
ツートントラ刈りヘアーのクリス君が、このパーキングエリア内では1番の危険人物に見える。
「いや、まだ来てねえな。このまま待つのも、暇だろ? ランディ、俺の〈ヴェリーナ〉を運転させてやろうか?」
「えっ? いいのかい?」
実は、ものすごく運転してみたい。
運転免許は取得したけど、この世界ではまだスポーツカーを運転したことがないんだ。
ウチの整備工場にあるバンとかなら、かなり運転してるんだけどな――
「ガソリン代、4500モジャな」
「高いよ! フルタンクにした時の燃料費じゃないか! そんなにいっぱい、使わないよ!」
この世界の燃料費は、地球よりずっと安い。
それでもガソリン満タンは、俺達学生のお財布には厳しいぜ。
「相変わらず、金が無えみてーだな。マリーお嬢様に、資金援助してもらってたんじゃねえのか?」
「今年は、支援できないんだってさ。『シルバードリル』の活動もあるしね。それに最近マリーさんは、なんだかものすごく忙しそうにしているんだ」
「ふーん、大変だな。……おっ! 来た来た! あの車に乗っている人が、おめーに会わせたかった人だぜ」
クリス君が指差す先には、パーキングエリアへと入ってくる1台のスポーツカー。
ボディは赤い。
鼻先が長く、後部が短めのデザイン。
これだけ鼻先が長いのなら、当然前置きエンジンの車だと思うんだけど――
それにしては、不自然にボンネットが低かった。
地球では絶滅してしまった、リトラクタブル式――電動でパカパカと開閉する、ヘッドライトが印象的。
クリス君の〈ヴェリーナ〉より、かなり古そうな車だ。
「へえ……。初めて見るスポーツカーだな。あれ、なんていう車種?」
「バッカおめー! ありゃシャーラ社が誇る地上の戦闘機、〈レオナ〉だろうが! 30年前、ユグドラシル24時間でも優勝してんだぞ?」
あれが〈レオナ〉か――
一応、名前は聞いたことがある。
シャーラって今はスポーツカーを生産していないし、モータースポーツにも参戦していないからな。
あんまりチェックしてなかったんだよね。
〈レオナ〉は、クリス君の〈ヴェリーナ〉の隣に駐車する。
運転席のドアを開けて降りてくる人物を見て、俺は驚きの声を上げてしまった。
「こ……子供!?」
分厚いクッションを敷き、目いっぱい前方にスライドさせたセミバケットシート。
そこから身をよじって降りてきたのは、どう見ても10~12歳ぐらいにしか見えない獣人。
癖っ毛気味な茶髪の間から、可愛らしいキジトラ模様の猫耳が生えていた。
腰の辺りからは、同じ模様の猫尻尾がにょろにょろ。
身長は、140cmぐらいしかない。
本当に、運転免許持ってるの?
持っていたとしても、その身長でよく運転できたもんだ。
服装は、青いツナギの作業着。
ちっちゃな猫獣人君は、少し吊り上がった黄色い瞳で俺を見てきた。
そして口角を、少し吊り上げたかと思ったら――
「みゃあああああああっ!!!!」
レーシングカーの排気音も真っ青な音量で、意味の分からない叫び声を上げた。
俺とクリス君は、思わず手で耳を押さえる。
「わわっ! なんだい? どうして叫んでいるの?」
「ランディ。そりゃあおめーが『子供』だなんて、失礼なこと言うからだろ?」
失礼が服着て歩いているようなクリス君に、失礼を指摘される日がくるとは思わなかったよ。
そうだよな。
この国で運転免許を取れるのは、16歳になる年から。
それ以上の歳だっていうのは、確かだろう。
クリス君の態度からして、少なくとも彼より年上――20歳ぐらいかな?
「おいちゃんはこれでも、38歳なんだニ!」
猫耳氏は胸を張りつつ、独特の口調で答えた。
おいちゃん――
「そ……それは、失礼しました」
「まあ、いいだニ。初対面の人には、よく子供と間違われるだニ。おみゃーは、ランドール・クロウリィだニね? 去年の国内スーパーカート王者の」
「……一応、そうですよ。今年は、シート喪失中ですけどね」
「FOOOOOO!!!!! 本物だニ! クリスの奴が『俺はスーパーカート王者と知り合いだ』なんて言ってたのは、ホラ話じゃなかっただニ!」
まさかと思うけど――
俺は振り返って、クリス君を不満のこもった目で睨みつけてやる。
「ひょっとしてさ……。今日はそれを証明するためだけに、俺をこの峠に連れてきたのかい?」
「まあそれが、1番の目的だな」
クリス君は悪びれもせず、ニヤニヤしながら答えた。
「帰る」
「まあ待てよ、ランディ」
クリス君は俺と肩を組むと、猫獣人のおいちゃんに背を向けた。
そしてひそひそと、囁いてくる。
(あの猫獣人のおいちゃん……ヌコ・ベッテンコートさんは、改造ショップ「デルタエクストリーム」の社長さんなんだぜ)
――チューニングショップ。
走り屋さん向けに、車を改造するお店だ。
(俺は、レーシングドライバーだよ。走り屋になるつもりはないんだけど?)
(バッカおめー。ヌコさんのショップはな、チューンド・プロダクション・カー耐久選手権に出てたこともあるんだぞ? お近づきになっておいて、損はねーだろうが?)
マジか?
あ~。
そういえば日本のGT選手権でも、昔は改造ショップが参戦していたらしいな。
公式なレースと走り屋向け改造ショップが縁遠い存在だと思うのは、俺がフォーミュラカー出身だからだろう。
実際には、関係が深いのかもしれない。
「なにをコソコソと、話しているだニか?」
俺はヌコさんの方を振り返ると、スマイルを浮かべた。
夜の峠を真昼のように照らすつもりで、キラッキラのやつをな。
「いえいえ、なんでもありませんよ。うわ~! 〈レオナ〉って、ものすごくカッコいいスポーツカーですね!」
車好きなら、愛車を褒められて喜ばない奴はいないだろう。
「なんか、胡散臭いだニね……」
ふむふむ。
ヌコ・ベッテンコートさんの観察力は、人並以上――と。
〈レオナ〉って車、形はそう嫌いじゃない。
だけどこういうロングノーズ&ショートデッキな前置きエンジンのスポーツカーより、エンジンを後部座席あたりに積んだミッドシップレイアウトの車が俺の好みだ。
レイヴン〈RRS〉や、地球のホンダNSXみたいなヤツね。
その辺の本音を、見抜かれたか――
まあ俺が本音を見抜かれるのは、いつものことだ。
「俺、〈レオナ〉の大ファンなんです! いいな~! カッコいいな~! 助手席に、乗せて下さいよ!」
横からクリス君が、「どんな車か、知らなかったくせに」と言いたげな視線を向けてくる。
いいじゃないか。
今夜から、ファンになったんだよ。
「仕方ないだニね~。まあスーパーカートの王者なら、壊すことはなかろうニ。運転させてやるだニよ」
おっ!
運転までさせてくれるのか?
こいつはラッキー。
クリス君みたいにドリフトとかはしなくても、峠道で普通にスポーツカーを走らせるだけで楽しいもんだ。
「お兄ちゃん。違法じゃないからって、無茶な運転しちゃダメよ?」
「ああ、もちろん。飛ばさずに、安全運転で行くさ……って、えっ!?」
この場にいるはずがない人物の声に驚いて、俺は背後を振り返る。
そこにいたのは、最愛の妹。
パーキングエリアの照明に照らされた紫色の髪と、褐色肌が美しいヴィオレッタだった。
「ヴィオレッタ……どうしてここに?」
「キンバリーさんに、連れてきてもらったのよ。お兄ちゃんの監視任務中なんだって」
何!? その任務!?
俺はもう、「シルバードリル」所属のドライバーじゃないんだけど?
ヴィオレッタのさらに後方を見やると、ダークブルーのセダンが駐車されていた。
セダン車なのに、ウイングとかフロントスポイラーとかごっつい空力部品が装着されている。
その車のドアから身を乗り出す、美しくも怪しい黒髪のメイドさんがいた。
俺達を撮影しつつ、ヒラヒラと手を振っている。
最近のビデオカメラは、夜間撮影モードも高性能だからな。
綺麗に撮れるんだろう。
「ヴィオレッタ。夜に、こんな場所にきちゃダメだ。お前はまだ、中等部だろ? ここには、こ~んな危ない奴もいるんだぞ?」
「おいコラ! ランディ! なんで、俺を指差すんだよ!?」
クリス君が不服そうな表情をするけど、1番危なそうに見えるんだから仕方ない。
「え~。お兄ちゃんだって、肉体年齢は私と2歳しか違わないじゃない」
「む……。確かにそうだ。とにかく、危ないからお兄ちゃんの傍を離れるんじゃないぞ」
そうヴィオレッタに言い聞かせたところで、ヌコさんが困ったように口を挟んできた。
「ランドール。それだと〈レオナ〉を、運転させてあげられないだニ。この車は、2人乗りだニ」
仕方ないな。
さすがにヌコさんも、自分の同乗なしで初対面の俺に愛車を貸してはくれないだろう。
〈レオナ〉を運転できないのは残念だけど、ヴィオレッタの安全には代えられない。
今回は、諦めよう。
「お兄ちゃん……。いいよ、運転してきても。私が勝手に、ついてきちゃったんだし。私はキンバリーさんの近くにいるから、そしたら安全でしょ?」
そう言ってヴィオレッタは、キンバリーさんの車が停めてある方へとスタスタ歩いていく。
確かにキンバリーさんは、何か武術とかやってそうだからな。
ルイス家メイド諜報部隊のエースらしいし。
変態だけど。
「まあ心配すんなよ、ランディ。キンバリーとヴィオレッタは、俺がちゃんと見とくからよ。おめーは安心して、ヌコさんとドライブしてきな」
「いや。クリス君が近くにいると、余計に心配だ」
「おめー、峠に置いて帰るぞ?」
クリス君が脅してくるけど、無視だ。
そんな髪型している奴が悪い。
ついでに目つきも、顔つきも、性格も悪い。
「早く、運転席に乗るだニよ~」
ヌコさんに急かされて、俺は〈レオナ〉の運転席へと身を滑り込ませた。