ターン94 頭文字C
■□ランドール・クロウリィ視点■□
「ああ、もう! 腹が立つ!」
男の娘メイドカフェ「リンの森」でのアルバイトを終えた俺は、自転車に飛び乗り帰宅の路についた。
風を切って夜のバイパスを疾走していると、だんだんと頭が冷えて冷静さを取り戻してゆく。
「ニーサが指摘してきた通りでは、あるんだよな……。時間が足りない」
人間族離れした肉体スペックを持つ俺だけど、いつまでも若いわけじゃない。
ドライバーとして高い能力を発揮できる期間というのは、限られている。
だからなるべく早いタイミングで、より速いカテゴリーのマシンに乗って活躍しないと――
プロへの――そして夢である「ユグドラシル24時間」への道は、遠のいてしまうだろう。
このままバイトでレース資金を貯めるのは、現実的じゃないんだ。
興奮から覚めると、今度は陰鬱な気分が襲ってくる。
それを払いのけるべく、俺はオートバイ並みの速度で車道脇を疾走していた。
そんな俺の自転車に、派手な蛍光イエローのスポーツカーが並走してくる。
横に長い長方形のヘッドライトや、角ばったデザインは少々古臭さを感じるな。
だけど、エッジの利いたシャープなシルエットはカッコいい。
走り屋の若者に絶大な人気を誇るヤマモト社のFRクーペ、〈ヴェリーナ〉だ。
〈ヴェリーナ〉は俺の自転車と並走しながら、純正とは違う音色のクラクションを短く鳴らした。
そりゃあ警音器の乱用で、違反だぜ。
なんだろう?
どうやら〈ヴェリーナ〉のドライバーは、俺に用があるみたいだけど。
〈ヴェリーナ〉は野太いサウンドを響かせながら俺の自転車を追い越し、ハザードランプを点けて前方に停車した。
運転席のドアが開き、人間族の男が降りてくる。
「よう、ランディ! 久しぶりだな。ずいぶんと、シケた面してるじゃねえか」
誰だコイツ?
知り合いっぽいけど、記憶にない。
赤と黄色に塗りわけられた、ド派手なトラ刈りの若者。
こんな変な髪型の知り合いがいれば、記憶に残っているはず――
――ん?
待てよ?
変な髪型?
そういえば、この軽薄な笑みには覚えがあるぞ。
「クリス……君?」
「疑問形っぽく聞こえるのが、気になるけどよ……。そうだよ、俺だよ」
思い出したよ。
基礎学校初等部時代、レーシングカートのK2-100クラスとNSD-125ジュニアクラスで鎬を削ったライバル。
しかも、俺と同じ地球からの転生者。
奇抜ヘアー男の正体は、クリス・マルムスティーン君だった。
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クリス君に「ちょっと付き合えよ」と言われた俺は、自転車を置きに一旦家へ帰った。
シャーロット母さんに、
「帰りは遅くなりそうだから、先に寝ていて欲しい」
と告げると、
「夜遊びは、ほどほどにね」
って釘を刺された。
迎えに来てくれたクリス君の愛車〈ヴェリーナ〉の助手席に乗って、俺は夜の街へと出かける。
明日は休日。
だけど午後からはアルバイトが入っているし、アスリートとしては健康的な生活リズムを維持したい。
それでも人脈って大事だと思うから、クリス君の誘いを断ったりしなかった。
どこからどんな有益な情報が入るか、分からないことだしね。
クリス君はオーディオから流れるダンスミュージックに合わせて、上機嫌に鼻歌を口ずさみながら運転していた。
俺は気になっていたことを、彼に質問してみる。
「クリス君は最近、名前を聞かないね。どこのカテゴリーで走っているの?」
クリス君は鼻歌をやめ、事も無げに答えた。
「ああ。レース競技は、もうやめた」
「やめた?」
「同じところをグルグルと回ってるばかりで、アホみてえだ。それに正式な競技だと、競技規則だなんだと煩わしいからよ」
「そりゃあ競技の公平性を保つためには、やむを得ないことじゃない?」
「俺はもっと、自由でいてーんだよ。車は好きなように改造してーし、走りだってドリフトで思いっきり振り回してえ。だからレーサーはやめて、走り屋になったんだ」
「ふ~ん、そうか……。少し寂しい気もするけど、仕方ないね」
他人のレース人生まで、口出しするもんじゃない。
みんなそれぞれ、事情ってもんがあるんだから。
それにクリス君はレース競技をやめただけで、走ることをやめたわけじゃないし。
モータースポーツ人口が多いこの世界では、走り屋の数もめちゃくちゃ多い。
レースに出ていなくても、自分の車を改造してサーキットとかを走る人達だ。
そういったスタイルで車にかかわっていく生き方も、なかなか楽しいもんだろうな。
この〈ヴェリーナ〉だって、サスペンションの動きは明らかにノーマルのものじゃない。
車体後部には、タワーバーが入っているのが見えた。
アッパーマウント同士を繋いで、剛性を上げる部品だ。
ボディの剛性感から察するに、フロント側も強化してあるみたいだな。
この世界ではスポーツカー人気がものすごく高く、生産台数も多い。
その上、過激なモデルもたくさんある。
全く改造せずにそのままサーキット走行に耐えられる、スパルタンな車種もけっこう存在する。
この〈ヴェリーナ〉も、そういったサーキット向きの車。
それをさらにいじるのは、クリス君のこだわりだろう。
「……で? 今日はなんの目的で、俺を誘ったの? 愛車を自慢するためってわけでもないんだろう?」
「いや、自慢するためだぞ?」
「帰っていいかな?」
「冗談だよ! 冗談! ……会わせてえ人がいるんだよ」
クリス君はアクセルを踏み込み、〈ヴェリーナ〉を加速させた。
エンジンの回転音が高まると共に、微かな高周波音も混じる。
これは、タービンによる過給音だな。
2ℓ直列4気筒ターボエンジンは、1150kgの車体を軽々と加速させる。
確かこの車は、無改造でも280馬力は出ていたはずだ。
「ん~! ブーストアップされた2ℓターボは、やっぱり最高だぜ!」
「あんまり飛ばさないでくれよ」
愛車のパワフルな走りに上機嫌なクリス君と、スピード違反で捕まらないか不安な俺。
〈ヴェリーナ〉は2人を乗せて、街灯煌めく夜の幹線道路を駆けていった。
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夜の道路を走り続け、俺達を乗せた〈ヴェリーナ〉が辿り着いた場所。
そこは山間を走る、峠道だった。
マリーノ国のワインディングロードは、日本の峠道にそっくりだ。
気候が似ているもんだから、道路沿いに生えている植物も日本の植物によく似た進化を遂げている。
その辺りが、そっくりに見える原因かもな。
虫の鳴く声をかき消して、蛍光イエローの〈ヴェリーナ〉は上り坂を駆け上がってゆく。
「ねえ、クリス君。なんだか道路脇に、人が多くないかい?」
夜の峠なのに、ガードレールの向こう側には人がいっぱい立っている。
みんな、俺達の車を見つめていた。
「ああ。この『スターダストウェイ』は、有名な走りのスポットだからな」
なるほど。
この峠を、走り屋の皆さんが走るのか。
周りの人達は、観客ってわけね。
ならば、俺のすることはひとつだ。
「……帰る」
高速道路は速度無制限なマリーノ国だけど、それ以外の道路では速度制限がある。
峠道を全開で走ったら、当然違法行為だ。
前世で住んでた日本と同じく、この世界でも運転免許が停止になるとレーシングドライバーとしての競技者ライセンスも停止になる。
公道での暴走行為なんて、もってのほかだ。
「まあ待てよ、ランディ。この世界の峠事情は、地球とはだいぶ違う。どれだけ飛ばしたり、派手にドリフトかまそうが違法じゃないんだぜ。この時間、この場所でならな」
「どういうこと?」
「警察に、申請してあんだよ。今この峠は、ラリーのSSみてーなもんだ」
「え~? 本当なの? それ?」
俺は疑惑の眼差しを、クリス君に向ける。
コイツは前世でも、ドリフト競技者であると同時に峠の走り屋だったらしい。
だから自分に都合のいいことを言って、峠を攻める行為を正当化してないかと疑っている。
「マジだって。おめーも運転免許を取る時、学科で習っただろうが?」
確かに申請された区間なら、どれだけ飛ばしても違法じゃないって習ったけど――
あれは公道を閉鎖して行うラリー競技や、ヒルクライム競技の話だと思っていた。
「見ろ。先の見えないコーナーの手前には、コース係員役が立ってんだろ?」
そう言われてガードレールの外側を見ると、たしかに無線機を構えた若者達が待機していた。
「そんな簡単に、公道の使用許可って下りるもんなのかい?」
「ああ。ここの峠は、複数の改造車ショップが合同で申請して許可を取ってんだ。だから警察からの信頼もあるし、一般車に迷惑をかけたりしないよう自治もしっかりしている。だからおめーも、難しく考えんなよ。楽しく走ろうぜ!」
そう言いながら、クリス君はヘッドライトの向きを上下に切り替えてパッシング。
どうやらそれは、コース係員役への合図だったみたいだ。
緑色に光るLED誘導灯が、俺達の車に向かって振られる。
「コースクリア~だ。いっくぜぇ~」
クリス君は心底楽しそうに唇を歪めると、アクセルを大きく踏み込んで〈ヴェリーナ〉を加速させた。
これから何をやるつもりか察した俺は、天井に設置されていたアシストグリップを掴む。
体を安定させとかないとね。
「違法じゃないのは分かったけど、事故らないでくれよ?」
「へっ! 誰に向かって言ってんだ」
クリス君は、言うと同時にハードブレーキング。
荷重が抜けた後輪を滑らせつつ、〈ヴェリーナ〉は進行方向に対して横向きにコーナーへと突入した。
俺が普段聞いてるレーシング溝無しタイヤの滑る音は、ザーッとかゴーッって感じ。
だけど溝が切ってある市販車のタイヤは、ブロックが振動してギャーという悲鳴みたいな音を立てる。
ド派手な白煙を上げながら、ドリフト状態でコーナーを抜けて行く〈ヴェリーナ〉。
ドリフト競技のことはよく分からないけど、クリス君はかなり上手いと思う。
走行ラインが綺麗で、逆ハンドルの戻しもスムーズだ。
次のコーナーでは、フェイントモーションが炸裂した。
曲がる方向とは、一旦逆に車を振ってから進入する技だ。
かなり派手に車を振り回しているのに、破綻する気配は全くない。
助手席の俺にも、クリス君が自信を持ってコントロールしているのが伝わってくる。
だから、全然怖くはない。
怖くはないんだけど――
ううっ、これは――
「どうしたランディ? 気分でも悪いのか? おめーレーシングドライバーのくせに、俺のドライビングにビビッちまってるんじゃねえだろうな?」
ニヤニヤしているクリス君を睨みながら、俺は叫んだ。
「臭いんだよ! タイヤの焼ける臭いが!」