ターン93 コース上では紛れもなく
■□ランドール・クロウリィ視点■□
「わっ! わっ! ランディ君、ごっつ可愛いやん! その長髪は、ウィッグなん? 似合っとるで!」
どこが可愛いんだか、まったく理解できない。
そんなメイド姿の俺に向けて、ケイト・イガラシ嬢は嵐のようにデジタルカメラのフラッシュを浴びせてきた。
「お客様、店内での写真撮影は……」
先輩メイドのザックさんが駆け寄り、カメラ小僧――いや。
カメラ小娘と化したケイトさんに、注意する。
いいぞ!
ザック先輩!
そのパパラッチなエンジェルを、止めてくれ。
「……写真撮影は、有料となっております」
ザック先輩の言葉を聞いたケイトさんは迷わず携帯情報端末を取り出し、電子マネーで撮影料金を決済した。
うん。
お金を払った以上、もうカメラから逃げちゃダメだよね?
完全に諦めた俺は、サービス精神を発揮。
ケイトさんのデジタルカメラに向かって、淑女の礼を決める。
「あ~。別に、そんな演技は求めてへんで。自然なままのランディ君がええな」
すでに、不自然極まりない恰好なんですけど?
自然なままの方がいいって、俺のメイド演技が下手だと言いたいのかい?
「ねえ……。南プリースト基礎学校卒業生の、イガラシ先輩……ですよね? 私にもその写真のデータ、送って下さらない?」
「ええで」
全然知り合いではなさそうなのに、アンジェラさんのお願いをケイトさんはあっさり聞き入れた。
やめて!
それ以上、俺の恥ずかしい写真を拡散しないで!
「お客様。写真撮影は、これでおしまいです。それではワタクシ、仕事がありますので……」
俺はそそくさと、退散しようとしたんだ。
それなのに――
「あら、ランちゃん。今日は他のお客様が少ないから、お友達のお相手をしてて大丈夫よ?」
ぐぬぬぬ。
俺の退路は、ザック先輩によって塞がれてしまった。
「ほな、ランちゃん。さっそく注文してかめへん?」
ケイトさんはそう言って、自然な動きでニーサとアンジェラさんのテーブルに座った。
「あの……。イガラシさん……でしたっけ? どうして、私達のテーブルに?」
ニーサの口調が、丁寧だ。
ケイトさんが、年上だからか?
俺相手には初対面で、いきなりケンカ腰だったのに。
「こんなところで、何をやっているのだ?」
なんて、キレ気味でさ。
いったい、何を怒っているんだよ?
「何をやっているのだ?」
なんて聞かれたら、
「メイドやってます」
としか答えようがないよ。
「ん? これは、ランディ君ファンの集いとちゃうん? 仲間やと思ったんやけど」
「確かに仲間ですね」
と言うアンジェラさんに対し、ニーサは
「一緒にしないで下さい」
と、眉をひそめた。
「おわっ! よく見たら、ニーサ・シルヴィア選手やんけ! どもども、ケイト・イガラシです。ランディ君とは、ジュニアカート時代から一緒にレースしとったねん。データエンジニアと、戦略を主に担当しとる」
「あっ、どうも初めまして。レイヴン自動車メーカーチーム『ドリームファンタジア』からスーパーカート選手権に参戦している、ニーサ・シルヴィアです」
初顔合わせは、平穏に進んでいく。
アンジェラさんは中等部時代に南プリース基礎学校へ転入してきたから、その頃にはもうケイトさんは卒業していた。
だから面識は、ないはずなんだけどなぁ。
授業を受けたことのある先生の話題とかで、盛り上がり始めている。
俺とアンジェラさんの学年でも、秀才ケイトさんは有名人だったからな。
誰かクラスメイトから、噂を聞いたことがあるんだろう。
女の子達3人は、あっという間に打ち解けていた。
本物の女の子ではない俺は、邪魔なだけだな。
そう思って、少しづつテーブルからフェードアウトを試みていたんだけど――
ニーサの奴に、呼び止められてしまった。
「待て、ランドール・クロウリィ。まだ私の質問に、答えていないぞ? こんなところで、何をしているのだ?」
「……見ての通り、バイトだよ。俺はどこぞのお嬢様と違って、貧乏なんだ」
実はさっき、ニーサとアンジェラさんの会話をこっそり聞いてたんだ。
コイツの実家、裕福なんだってな。
「まさかアルバイトで、レース資金を稼いでいるとか言うのではないだろうな?」
「その、まさかさ。誰かさんに、レイヴン自動車メーカーチームのシートを奪われたんでね。地方のツーリングカーレースにでも出ようかと、準備中なんだよ」
「ふん。奪われたのは、貴様に実力が足りなかったからだ。女々しい奴め」
クッソ!
コイツ、本当に可愛くない!
「なんとでも言えよ。今の俺には、これしかないのさ」
「本当に、そうなのか?」
ニーサの問いに、俺はティーカップをテーブルに運ぶ手を止めてしまった。
「……どういう意味だ?」
「ちゃんと、自分を売り込んだのかと聞いている。貴様は、国内スーパーカート選手権の王者なのだろう? なりふり構わず売り込めば、乗せてくれるところもあったのではないか? スーパーカートは無理でも、チューンド・プロダクション・カー耐久の下位チームぐらいならば……」
「そう、都合よくいくもんか。これだから、お嬢様は……」
前世ではボンボンと言われても仕方ない家庭環境だった自分のことは棚に上げ、俺はニーサに嫌味をかましてやった。
コイツと話していると、こっちもつられて性格が悪くなっているような気がするな。
「それで諦めて、下位のカテゴリーに自費参戦というわけか。あとどれ位の期間アルバイトをすれば、参戦費用を賄えるのだ?」
「それは……」
ああ、分かってるよ!
このアルバイトは、かなり割がいい。
だけど給料だけじゃ、参戦費用が貯まる頃にはレースシーズンが終ってしまう。
言葉を返せなかった俺を、ニーサは見下した表情であざ笑ってきた。
「ふん、悠長な奴め」
「うるさいな。親の金で走っている奴に、言われたくはないね」
見えない言葉のブーメランが、猛スピードで飛んできたような気がする。
たけど前世の話だから、どうせニーサにはわからないだろう。
ブーメランを、心の中で叩き落としてやった。
「何を言っている? 私はチームから、お金をもらって走っているのだ。ワークスドライバーなのだからな」
なんて嫌味な奴なんだ!
俺が前世から渇望してやまなかった自動車メーカーチームのシートを、コイツは――
ニーサとの間に流れる空気は、どんどん険悪になっていく。
なんでだろう?
俺はいつも、女の子相手には紳士的な態度でありたいと思っている。
だけどコイツは――ニーサ・シルヴィアだけはダメだ。
話しているだけで――いや。
見ているだけで心がざわつき、冷静でいられなくなる。
よく女子達が言ってる「生理的に無理」っていうのは、こういうのだろう。
「まあいい。目障りなドライバーが、勝手にプロのシート争いから降りてくれるんだからな」
「降りたつもりはないね。ニーサ・シルヴィア。俺は必ずお前から、レイヴンワークスのシートを奪い取ってやる。首を洗って、待っていろよ」
俺は目いっぱい殺気を撒き散らして、凄んでやった。
けれどもよく考えたら、メイド姿で凄んでも全然怖くないだろうな。
「ええな~、ええな~。激おこメイドのランディ君、最高や。ウチ、変な性癖に目覚めそうやで」
ケイトさんはニヤニヤ顔で訳の分からないことを口走りながら、再びカメラのシャッターを切りまくっていた。
お客様、追加料金をいただきますわよ?
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■□3人称視点■□
サンドマン町の中心部から、少し離れた幹線道路。
そこをレイヴン社製の2シーターオープンスポーツカーが、夕日を浴びながら走っている。
運転手は美貌の竜人族、ニーサ・シルヴィアだ。
助手席には、淫魔族のアンジェラ・アモット。
赤信号で車を停車させたニーサは、ハンドル上部に額を押し当てた。
その姿勢のまま、重く沈んだ声で呻く。
「はぁ~。やっちゃったよ、私。どうしよう? アンジェラ……」
「なんだかいつもより、症状が酷かったわよね。『貴様』はないでしょう、『貴様』は」
ニーサは男性相手だと、妙な喋り方になってしまう。
それはアンジェラにも、よく分かっていた。
しかし今日のランディに対するニーサの態度は、どこかおかしかったのだ。
あそこまでケンカ腰になったり、相手を「貴様」呼ばわりするなど、アンジェラが知る限りなかったことである。
「だってさ……。あのランドールって奴見てると、腹が立ってくるんだもん」
「なんで?」
「なんでって……その……。パラダイスシティGPで見かけた時、あいつワゴン車の中でエルフの女の子とイチャついてたんだよ? ベッタリくっついて、楽し気に笑ってさ」
ランディがこの場にいれば、弁明していたことだろう。
ニーサの見た光景が、ただのコース下見であったこと。
そのエルフ少女以外に、ファザコンエルフ野郎や女好き鬼族も同乗していたことを。
「ふ~ん」
「その、エルフの女の子だけじゃないよ? 今日会った、ケイトさんも。それにあいつのチームの監督って、縦ロールヘアがお人形さんみたいに可愛い女の子で……。そういう子達と、レースウィーク中も楽し気に喋ってて……。いったい何しに、サーキットへ来てるんだか」
「へ~え」
「アンジェラはそういうチャラチャラした男って、腹が立たないの? あなたがおいしそうとか言ってた男の子、あのランドールなんでしょう? どこがいいのか、私には全然分からないけどね」
「腹は立たないわね。私は気持ちいいことができれば、相手の気持ちが誰にあっても構わない。なんならニーサ、あなたを入れて3Pでも全然構わないわよ?」
「なんでそういう話になるのよ! 種族的価値観は尊重したいと思うけど、ランドールの奴は無理! それに3人一緒に……その……そういうことも、絶対無理!」
「あら、残念。ニーサってそういうところ、結構お堅いんだから」
「普通なの! このマリーノ国で結婚できるのは、18歳からなんだよ。アンジェラもそれまでは、もっと慎みなさい! ランドールの奴みたいに、なっちゃダメだよ!」
「ニーサってば、お母さんみたいね。もっとも私達淫魔族の母親は、『本能の赴くままに愛を貪りなさい』って教育する人がほとんどだけど。……あ、信号変わったわよ」
アンジェラに指摘されて、ニーサはオープンカーを発進させる。
この車は宣伝のために、メーカーからワークスドライバーのニーサに貸与されているものだ。
乾いた排気音を響かせながら、車は夕暮れのバイパスを滑らかに加速してゆく。
「それとね、ニーサ。ランディ君はあなたが思っているより、一途なタイプだと思うわよ?」
「なんでそう思うの?」
「『匂い』ね。ニーサと同じような匂いがする」
「え~っ! なんかヤダ~。お風呂でいつもより多めにボディソープつけて、しっかり体洗お」
「そういう、本物の匂いじゃないの。なんていうか……。魂の匂い?」
「淫魔族だけが嗅ぎ取れるっていう、アレ? う~ん。竜人族の私には、よく分かんないよ」
「いつかあなたにも、分かる時がくるかもね」
「分からなくていいよ。私に分かっているのは……」
また信号が赤になったので、ニーサは車を減速させてゆく。
右手はステアリング。
左手はシフトレバー。
右足はブレーキを踏みながらカカトでアクセルを煽り、左足はクラッチペダルを操作する。
ブレーキを踏みながらシフトダウンを行う、ヒール&トゥと呼ばれるテクニックだ。
ニーサの両手両足は、それぞれバラバラに――
そして踊るように、華麗に動く。
長い鼻先なオープンカーの先端は、1cmの誤差もなく停止線にピタリと合わさった。
しかも同乗者のアンジェラに、少しの前後揺れも感じさせることなく。
ヒール&トゥを行いながらも、ニーサは精密機械のようなブレーキ踏力コントロールを披露したのだ。
「コース上では紛れもなく、ランドール・クロウリィが私の敵だってことよ」
ルームミラーに映るニーサの眼差しは、アンジェラが息を呑むほどに鋭いものだった。