ターン90 第27回パラダイスシティGP優勝者
ダダダッ! っと音を立てながら、雨粒がヘルメットを叩く。
けっこうな衝撃だ。
「止まれぇ~! 止まってくれぇ~!」
俺はタイヤとの対話に、必死だった。
あれだけ路面をしっかり掴んでいた感触は、今はほとんど感じ取れない。
「本当に、地面に着いてるの?」と疑いたくなるぜ。
内側からは、ブレイズ・ルーレイロが並び掛けてきている。
だけど今は、奴に構っている場合じゃないな。
ブレイズだって、今はマシンをコントロールするのに必死だろう。
順位争いは、ひとまずおあずけだ。
俺達は、滑って吹っ飛ばないようにするのが精一杯だった。
滑ったら即ガードレールに突き刺さってしまうのが、公道コースの恐ろしいところ。
俺はブレーキングしながら、ギヤをひとつ落とす。
――5速!
シフトダウン時の回転合わせは、慎重に。
なるべくエンジンブレーキを効かせたいけど、急激に効きすぎると後輪がロックする。
もうひとつシフトダウン。
――4速!
このままいくと、なんとか止まれるか?
1コーナーのポルティエベンドは、晴れてる時なら3速で進入する。
だけどこのずぶ濡れ路面コンディションに、晴れ用タイヤの組み合わせじゃ無理だ。
2速まで落とさないと、曲がれないだろう。
さらにシフトダウン。
――3速!
もう少しだ――
もう少し減速すれば、曲がれる。
そんな希望を、抱いた瞬間だった。
後方のライバル達が響かせるエンジン音に混じって、不吉な異音が俺の耳に届く。
それは、鈍い衝突音。
誰だ?
ぶつかったのは?
俺や、隣にいるブレイズじゃない。
1列後ろを走っていた、ルディやヤニか?
――いや。
もっと後方だ。
さらに異音祭りは続く。
樹脂製のパーツが割れた音。
金属がひしゃげた音。
何かが擦れる音。
後方から忍び寄るそれらは、破局の足音。
耳がいいのも、考えものだね。
そんな足音、聞こえない方が幸せだったよ。
間違いない。
後方で、大事故が巻き起こっている。
そしてその混乱は、先頭を走る俺とブレイズにも迫ってきているんだ。
冗談じゃない!
巻き込まれてたまるもんか!
絶対に、生き残ってみせる!
――でも、どうやって?
俺とブレイズは、限界ギリギリブレーキングの最中。
コントロールを失い後方から突っ込んでくる車を、避ける余力なんてありはしない。
すぐ後方で、また衝突音がした。
これは、ルディかヤニも巻き込まれたな。
そう認識した次の瞬間には、隣を走っていたブレイズのマシンが大きく姿勢を乱した。
奴も、当てられたな。
そして、俺にも衝撃が伝わる。
後方からの追突だ。
さらにはコントロールを失ったブレイズのマシンも、真横から俺に突っ込んでくる。
もう俺の力では、どうにもならない。
いや。
誰にも、どうすることもできない。
金属と樹脂、そしてドライバーという生体部品で構成されたレーシングカート達。
それらは無残に潰れ、引きちぎられながら、スクラップへと変貌していく。
自分のマシンからの悲鳴が、俺には確かに聴こえた。
車体が、大きく曲がった感触。
そして後輪が脱落し、車体底面がアスファルトを擦る振動が腰に伝わる。
――せめて、大怪我はしないように。
俺は迫りくるガードレールを睨みつける。
衝突の瞬間、全身に力を入れるために。
もうハンドルを切ろうがブレーキペダルを踏もうが、マシンは一切反応しない。
ただ吸い込まれるように、ガードレールへと突き進む。
そして――
惨めな衝撃が、俺を襲った。
終わった――
コーナー1つ曲がり終えることなく、俺の――いや。
俺達のパラダイスシティGPは、終了してしまった。
その事実に2、3秒は惚けていたけど、周囲からの怒号で我に返る。
コース上からの退避もそっちのけで、言い争っているドライバー達がいた。
予選5番手~8番手ぐらい。
スタート時のグリッドが3列目、4列目だった連中だ。
「くそがっ! テメーふざけんなよ!」
「ああ!? お前がケツから、突っ込んできたんだろうが!」
「フ●ック!」
最後、放送禁止用語を叫んだ声が女の子の声だったような――
まさかルディ?
俺の気のせいか?
俺は熱くなっている連中の言い争いに、参加する気にはなれなかった。
投げやりな気持ちでシートから立ち上がり、カウルを跨いでアスファルトの路面に立つ。
周りを見渡すと、酷い有様だった。
走行不能なまでに痛めつけられたマシンが、折り重なっている。
まるで、レーシングカートの墓場だ。
数を数えてみると、俺を含めて8台が停まっている。
損傷を負いながら走り続けている車もあるはずだから、この多重事故に巻き込まれた台数はもっと多いはずだ。
オレンジ色の耐火服に身を包んだコース係員が、コースに身を乗り出して黄色い旗を振っていた。
旗の意味は、事故などにより追い越し禁止。
事故処理が終るまで、セーフティーカーと呼ばれる先導車も出るだろう。
1コーナーの先を見つめる。
脱落したタイヤが1本、ゆっくりと転がり続けていた。
それが俺のマシンから外れたものなのか、あるいは他のマシンから外れたものなのかは分からない。
見ていられなかった。
タイヤだけはまだ諦めずに、レースを走り続けているような気がして。
もういい。
もういいんだ。
レースは終わった。
グチャグチャになったマシンを見下ろして、俺は深い溜息をひとつ。
酷いダメージだ。
もう二度と、この車は走れないかもしれない。
樹脂製のウイングと車体を覆うカウルが、いつもとはまるで違う銀色に見える。
普段はマリーさんの髪と同じく、自信ありげなシルバーの輝きを放っていたのに――
今はただただ無機質で、魂を失ったかのような色だ。
そんなマシンの亡骸を見つめていたら、コース係員から早くコース外に退避するよう促された。
言い争っていた数人のドライバー達も、一緒にコース外へと追いやられる。
ガードレールを乗り越え、金網フェンスの隙間を抜け、危険極まりないコンクリートジャングルから脱出した俺達。
もちろん、解放感なんて欠片も湧いてこない。
怒り。
悲しみ。
諦めに絶望感。
リタイヤに追い込まれたドライバー達からは、ありとあらゆるマイナス感情が吹き荒れる。
そんな中で俺と目の前にいる赤髪のエルフの胸中を支配していたのは、諦めの感情だった。
「賭けは、無効だね」
ヘルメットのシールドを押し上げながら、残念そうに告げるブレイズ。
あのままレースが続けば、俺に勝つ自信があったっていうのか?
なんにせよ、賭けが無効ということに異議は無い。
ヴィオレッタのトークアプリIDは守られたけど、ちっとも嬉しくなんかなかった。
俺はヘルメットとフェイスマスクを脱ぐ。
腹立たしいことに、あれだけ降った雨はもう止んでいた。
「ああ~」
「ふぅ~」
出だしは違ったけど、その後に続く台詞は、完璧にブレイズとシンクロしてしまった。
「「ピットに帰りたくない」」
そして互いに顔を見合わせ、力なく笑う。
そのまま俺達2人は、コースで行われている事故処理作業をぼんやりと眺めていた。
「信じられないな。あれだけ降っていたのに、もう日が差しているよ! なんだったんだ? あの土砂降りは? ランディ。君の日頃の行いが、よっぽど悪いんじゃないのかい?」
「くだらない賭けを持ち出してくる変態エルフに、樹神レナード様もお怒りになったんだろ? ……にしても、この天候変化は酷いな。生き残った連中も、雨用タイヤに替えず晴れ用タイヤで粘るんじゃないのか? この日差しなら、あっという間に路面が乾くぞ」
セーフティーカーに先導されて、生き残った24台のマシンが俺達の眼前を駆けて行く。
タイヤが冷えないよう蛇行運転を繰り返すその姿は、俺らと違って元気いっぱい。
再スタートの瞬間を、今か今かと待ちわびているように見える。
――正直いって羨ましいし、妬ましい。
俺らと違って、彼らのレースはまだ終わってはいないんだ。
「ランディ……。僕達予選トップグループが全滅した今、誰が優勝すると思う?」
「あんまり興味は無いんだけど」といった雰囲気で、ブレイズは俺に訊ねてきた。
まあ俺も、自分がリタイヤしてしまったレースで誰が優勝するかなんてどうでもいい。
「うーん。そうだな……」
予選では中団に沈んでしまった、ベテラン達の誰かだろうか?
国内で競い合ったレイヴン企業チームのダレル・パンテーラや、カーク・ヘッドフィールド、タカサキワークスのニーラ・ヒグッツァンも参戦している。
そこら辺の名を挙げようと思った時、俺は1人のドライバーの姿が目に付いた。
マシンもヘルメットも、鮮やかな緋色。
まだ完全には乾いていない路面で、水しぶきを上げながら蛇行運転を繰り返す姿。
それを見ただけでも分かる。
――アイツは速い。
それも、メチャクチャに。
誰なんだ、アイツは?
順位は、最後尾から3番目。
こんなに存在感のあるドライバーが、下位に沈んでいたっていうのか?
「彼女が気になるみたいだね」
俺の視線に気づいたブレイズが、問いかけてきた。
「彼女って……女性ドライバーか?」
「ああ、そうだよ。ハトブレイク国で、ランキング4位だったシルヴィアだ。僕は今年の最終戦で、彼女に負けちゃってね。予選は最下位だって聞いていたけど、スタート直後の混乱で2台抜いたみたいだ。油断ならないドライバーだよ」
予選最下位――ああ、そうか。
今回参戦しているもう1人の同学年ドライバーって、シルヴィアさんだったんだ。
「ブレイズ、さっきの質問だけどさ……。俺は、シルヴィアさんが勝つと思うよ」
俺の発言に、ブレイズは少し驚いたようだ。
「ええっ? そりゃあ車のセッティングさえ決まっているなら、シルヴィアは速いドライバーだけど……。いま、最後尾近くにいるんだよ?」
確かに、優勝の可能性は低いポジションだ。
俺がその順位から再スタートしたとしても、逆転優勝できるかと聞かれれば自信はない。
でも――
「勝つさ、彼女ならな」
俺には、よく分からない確信があった。
その確信を裏付ける光景が、目の前で繰り広げられる。
再スタートした一団が、俺達の眼前にある1コーナーに雪崩れ込んできた。
シルヴィアさんはブレーキングで1台、立ち上がり加速でもう1台を鮮やかにパスしていく。
俺とブレイズの視界から消える前に、さらにもう1台の横に並びかけた。
跳ね上げる水しぶきで、コースに虹を掛けるシルヴィアさんのマシン。
彼女に背を向け、俺は仲間達の待つピットへと歩き出した。
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翌朝、新聞のスポーツ欄をとある記事が飾った。
『第27回パラダイスシティGP。優勝者はニーサ・シルヴィア』