ターン9 ただいま、サーキット
振り返った先にいたのは、男の子。
歳は俺と同じ、5~6歳ぐらい。
背丈も、同じぐらいか。
風に流れる真っ赤な長髪。
まるで噴火した火山から溢れ出る、マグマの川だ。
俺と同い年ぐらいで、腰まで髪が伸びているだと?
こいつ、生まれてからいちども髪を切ってないんじゃなかろうか?
瞳の色は、キレイな緑。
幼児のクセに、なかなか眼光が鋭い。
そして白い肌と、長く尖った耳。
こいつ、エルフ族だ。
「なんだ、人間族の子供か。ヒューマンなんて、レースに向いてないよ。やめとけば?」
ずいぶんと、生意気なガキだな。
俺も今は、ガキだけどさ。
まあ、こいつが言っているのは事実でもある。
この世界において、トップドライバーに人間族という種族は少ないんだ。
俺の父方の爺さんに居たという巨人族は、強烈なGをものともしない、タフな肉体を持っている。
ドーンさんのような、ドワーフ族もだ。
エルフ族は優れた動体視力と、空間把握能力を。
人間族はというと、特にレースに向いた身体的特徴は無い。
ドライビングテクニックひとつで他種族と渡り合える人間族もいるけど、先天的なアドバンテージは何も持っていないんだ。
「君のお父さんも、地球にいた頃は人間族だったんだけどね」
俺の言葉に、ブレイズの表情が変わった。
どうやら機嫌を損ねたみたいだ。
ざまあみろ。
「君は転生者なのか……。僕はパパの話をされるのが、1番嫌いなんだ」
ああ。
これは親が偉大過ぎて、息子がグレるパターンだな。
無理もないか。
こいつの親父の名前は、アクセル・ルーレイロ。
「ユグドラシル24時間」を制したこともある、誰もが認めるトップドライバー。
レーシングドライバーの地位が高いこの世界では、最高のヒーローといっても過言ではない存在。
そしてアクセル・ルーレイロは俺と同じ、転生者。
地球でも世界王者を3回も獲得した、伝説のF1ドライバーだった。
「……それで? アクセル・ルーレイロの息子が、何でこんなところにるの? 自分のコース最速記録が破られる瞬間を、見物に来たのかい? 呑気だね」
大人げないな、俺。
幼児相手に、挑発的な物言いをしちゃったよ。
「フン。僕はパパがレイヴン社の研究所に行っている間、暇つぶしに来ていたんだ。そしたら僕のコース最速記録を破ると、大口叩いているヤツがいるそうじゃないか。そんなヤツがへロヘロな走り披露して、恥かくのを見て笑おうかと思ってね。いい暇つぶしになりそうだ」
くっそ!
なんて口の減らない幼児なんだ!
見てろ?
今からお前のコース最速記録を完膚なきまでにブチ破って、泣かしてやる。
「こらこらランディ。お友達に、そんな口の利き方しちゃダメだろう?」
オズワルド父さんに叱られて、俺はすごすごと引き下がるしかなかった。
幼児はつらいね!
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パラパラと弾ける、2ストロークエンジン独特の排気音が響き渡った。
懐かしい音だ。
俺は地球でフォーミュラカーにステップアップしてからも、トレーニングで時々カートに乗っていた。
それでも5年振り――いや。
もっと、長い時間が経ったような気がする。
ピットロードに運ばれてきた幼児用の小さなレンタルカートを前にして、俺はノスタルジックな気分に浸っていた。
マシンが纏うカウルは白。
これは俺の好きな色だから、テンションが上がる。
全長1400mm。
全幅900mmという小さな車体。
だけど走る為に必要なもの以外が、削ぎ落された構成。
空気抵抗を少しでも減らすために、滑らかな曲線を描くカウルのライン。
「小さくても、私はレーシングマシンなのよ!」と、激しく自己主張していた。
「さて、ランディ。カートの乗り方について、いまさら説明は要らないな? 何せ地球のカートを元に、転生者達が作った歴史があるからな」
「大丈夫ですよ、ドッケンハイム監督。コースサイドで見てたから、乗り方に違いがないのは分かっています」
運転装置の違いはない。
両手で回すハンドル。
右足がアクセルペダル。
左足がブレーキペダル。
エンジンのパワーを路面に伝える、駆動輪は後輪。
ブレーキが付いているのは、後輪だけ。
これは、地球のほとんどのカートも同じ。
タイヤは溝無しのスリックタイヤ。
接地面積が大きいから、乗用車の溝付きタイヤよりも遥かにガッチリ路面に食いつく。
子供向けクラスのカートは楽だ。
遠心式クラッチが着いているから、アクセルを踏んでエンジンの回転を上げれば自然とクラッチが繋がって走り出す。
これがクラッチの無い大人向けのカートだと、タイヤとエンジンが直結したダイレクトドライブ方式。
走り出す時は、押し掛けでエンジンを始動しないといけない。
車を停めると同時に、エンストしてしまう。
そうそう。
ひとつ、気になる違いがあったな。
タイヤの横幅面上部まで、樹脂製のカウルで覆われていること。
実はこの世界には、タイヤ剥き出しのカテゴリーが存在しないんだ。
地球のフォーミュラカーや、インディカーのようなヤツね。
地球のフォーミュラ乗りだった転生者達が、流行らせようとしたけど失敗したらしい。
横幅面剥き出しだとタイヤ同士が接触した時に、マシンが宙に吹っ飛ぶから危ない。
それをドライバーが嫌がって、接触すれすれのバトルが起きにくくなる。
だから面白くない。
――というのがこの世界で人気が出ず、絶滅してしまった理由だそうな。
その接触厳禁な繊細さが、フォーミュラカーの魅力だと俺は思うんだけどな~。
うーん。
地球でフォーミュラ専門だった俺は、ちょっと感覚が狂うかも?
前輪が運転席から見えないマシンでサーキットを走った経験なんて、いちどもないからな。
乗り込んでから、感覚の違いを確認しよう。
俺はマシンの左側へと、回り込んだ。
腰を曲げ、ハンドルに手を掛けた瞬間、それは聞こえた。
(お前……。本当に、それに乗る資格があると思っているのか?)
なんだ!?
この声は!?
近くにいる父さんや、ドーンさん、ブレイズの野郎の声じゃない。
全く反応が無いところを見ると、3人には聞こえていないみたいだ。
それは地の底から響いてくるような、暗くて重い――それでいて、どこかで聞いたことがあるような男の声。
(お前にステアリングを握る資格なんて、ありはしないんだよ)
謎の声にそう言い切られて、俺は地面にしゃがみこんだ。
全身に、力が入らない。
ひどい耳鳴りがする。
体中の血液が、冷え切っていく。
それでいて自分の荒い息づかいと、速く脈打つ鼓動だけはやけに鮮明に感じていた。
――誰だお前は!?
資格が無いって、どういうことだ!?
貧乏人は、レースなんてするなとでも言いたいのか!?
(違うね。お前は裏切り者で、罪人なんだ)
言われた瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは暗闇に包まれた謎の世界。
ランドール・クロウリィとしてこの世界へと転生する前に、過ごした空間だ。
そう。
あれはまるで、牢獄だった。
俺はいったい、何を裏切ったんだ!?
地球で全日本F3のシーズンが終わった後、何があった!?
俺は――何をやってしまったんだ?
(自分にとって都合の悪いことは、忘れるつもりかい? 卑怯な奴だな。思い出させてやろうか? あの晩、お前は地球で■■■■を……)
声が遠くなり、聞こえなくなってゆく――
ヤバい。
俺の意識まで、遠くなってきた。
このままでは、気絶してしまいそうだ。
意識を保て、俺!
こんなところで気絶なんてしたら、オーディションは中止になるぞ。
自分に檄を飛ばし、意識を繋ぎとめようとする。
そんな俺の頭の中に、別の声が響いた。
今度は女性の声だ。
「もう、いいのよ。許すわ」
それは優しく、温かみのある声だった。
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「おい! ランディ! 大丈夫か!? どこか、具合でも悪いのか!?」
少しずつ、父さんの声が大きく聞こえてくる。
遠のきかけていた意識が今、しっかりと俺の身体に戻ってきた。
「大丈夫さ、父さん。これはマシンに乗る前の、習慣なんだ。瞑想みたいなもんだよ」
そんなの大嘘だ。
マジで倒れるところだった。
でも、もう大丈夫だっていうのは本当だ。
今朝起きてすぐの、絶好調な身体と精神のコンディションを取り戻せたと思う。
――いや。
朝以上に、良くなったかも?
なんだったんだ?
あの不気味な男の声と、優しい女性の声は?
真っ暗空間で会った、女神様の声とも違うしなぁ。
ま、細かいことはいいかな?
俺はあの女性の声に、救われた。
それだけ分かれば、充分だ。
「ふん! 僕はてっきり、ビビって体調が悪くなっちゃったのかと思ったよ」
当たらずしも遠からず。
ブレイズの野郎は鋭いな。
いや。
俺はミスター大根だから、誤魔化される父さんとドーンさんが鈍いのか?
「心配してくれたのかい? そいつはどうも、ありがとう」
「……! 早く行けよ! 走行時間が、終わっちゃうぞ!」
顔を赤くして叫ぶブレイズ。
なんだコイツ?
照れてんのか?
ツンデレか?
生憎、そっちの気はないぜ。
俺は女神様みたいな、金髪のお姉さんが好みなんだよ。
マシンに跨り、まずは左足をブレーキペダルへ。
車が動かないようにするためだ。
続いてシートの真ん中に、腰を下ろす。
ああ。
この硬く全身を包む、バケットシートの感触。
ずっしりと重いステアリング。
地を這うように低い視点。
俺は帰ってきたんだな。
――サーキットに!
「……出るよ」
宣言してから俺は、ヘルメットのシールドを下ろした。
そしてゆっくりと、アクセルペダルを踏み込む。
よろしく頼むぜ、相棒。
正直、本当にコース最速記録を塗り替えられるかどうかは運の要素もある。
このタイムアタックは、1発勝負のギャンブルだ。
でもその1発に賭けないと、俺は走るチャンスを得られない。
大丈夫。
俺達なら、きっとやれるさ。
行こうぜ!
アクセルを深く踏み込むと、マシンは咆哮を上げ加速してゆく。
まるで俺の呼び掛けに、応えてくれているかのようだ。
50ccしか排気量のない幼児用マシンのクセに、なかなか元気な奴じゃないか。
ピットロードからコースに入る際に、片手を上げて周囲に存在をアピール。
今は俺の他に、マシンは走っていない。
だけど安全の為には、大事なルールだ。
コースインして3つ目のカーブを曲がり終えた俺は、軽い口調で呟く。
「それじゃあ、準備運動を始めますかね」
そして車体を、思いっきり左右に振った。
今回出てきた謎の声につきましては、本作中で正体が明かされることはありません。
この声とランディの記憶が途切れている部分がどうしても気になる方は、前作「【解放のゴーレム使い】~ロボはゴーレムに入りますか?~」をお読み下さい。
転生前のランディが、ラスボスを務めている作品です。




