ターン88 そんなに欲しいのね?
「明日行われる、パラダイスシティGPの決勝レース。そこで順位が、上の方が勝ちだ。ランディ。君が勝ったらウチの親父……アクセル・ルーレイロのサインをやろう。それも、ランディ個人への応援メッセージを添えてもらったやつを」
「ブレイズさん。ウチのお父さんも、アクセル・ルーレイロさんの大ファンなの。お父さんの分も、よろしく」
賭けの景品を、ちゃっかり上乗せするヴィオレッタ。
あんまり欲張るなよ?
俺が負けた時の要求が、まだ発表されてないんだぞ?
「いいよ、それぐらい。それで、僕が勝った時なんだけど……。その……。ヴィオレッタちゃんのトークアプリIDを、教えてくれないかな?」
なんだと!?
そんなものを教えたらパソコンや携帯情報端末を使ってメッセージを送りまくったり、ビデオ通話までできてしまうじゃないか!
「ダメ! 却下! この話は無しだ!」
俺はブレイズの台詞にやや被せるように、全力で賭けの提案を断った。
「なんだい、ランディ。怖気づいたのかい?」
賭けに乗って欲しいブレイズは、俺を挑発してなんとか勝負を受けさせようとする。
だけど、そうはいくもんか。
「パラダイスシティGPは、事故の多い市街地コースだ。もらい事故する可能性だって高い。それに、車の故障の場合はどうする? そんな巡り合わせで俺が勝っちゃった場合、お前はそれで納得できるのか?」
「レースは結果が全て」――なんていうけど、全然ドライバーの責任じゃないところで勝負がついてしまうことだってあるからな。
「それで負けたとしても、僕はかまわないよ。まあランディがどうしても、僕に勝てる自信が無いというのなら仕方ないね」
安い挑発だ。
それがわかっていても、イラっとくる。
だからといってそんな一時の感情で、妹のトークアプリIDを差し出すわけにはいかない。
アクセル・ルーレイロのサインは、また別の機会に狙うとしよう。
そんな俺の決断を無視して、賭けを受けて立った者がいた。
「上等よ、ブレイズ・ルーレイロ。あなたは私を怒らせた」
どこかで聞いたような台詞だ――
いや。
ちょっと待て、ヴィオレッタ。
なんでお前が、そんなに怒るんだよ?
「ランドール・クロウリィは……私のお兄ちゃんは、世界で1番のドライバーよ? ビビっているのは、あなたの方じゃないの? 賭けを断られて、内心ホッとしているんでしょう? いいわよ。お兄ちゃんが勝負を受けないのなら、私が代わりに受けるわ。レースが終わった後、泣いてパパのところに帰る羽目にならないといいわね」
マシンガンのように、激しくまくし立てるヴィオレッタ。
ブレイズもたじたじエルフと化し、なにも言い返せていない。
言いたいことを全弾撃ち尽くしたヴィオレッタは、俺を置いて他のテーブルへと去っていった。
野郎ども3人が、取り残された形だ。
紫と褐色の嵐が過ぎ去った後、ブレイズはしばらく何もない空中を見つめていた。
軽い放心状態みたいだな。
そして赤髪エルフは、熱に浮かされたように言い出す。
「……いいね。ヴィオレッタちゃんか……素敵だ!」
今のやり取りで、どうしてそういう言葉が湧いてくるのか俺には理解できない。
こいつ、M気質なのか?
俺の脳内にある注目ドライバーデータベースに、追記しといてやるよ。
ふわふわしているブレイズを、ヤニヤニ――じゃなかった。
ニヤニヤしながら眺めているのは、ヤニ・トルキ。
「ほぉ~、そうじゃのう。確かに、可愛い子じゃのう。ところでブレイズ。さっきお主は、なんと言っておったかのう? 『女の子にモテたくて走る奴には、死んでも負けない』とか言っておらんかったか?」
「誰だい? そんなこと言った奴は? 愛する女の子に、見てもらいたくて走る……素晴らしいことじゃないか?」
信じられない!
手首がもげるんじゃないかっていうぐらい、神速の手の平返しだ。
「この切り替えの早さ……。ブレイズ・ルーレイロというドライバーは、思っていたよりずっと強い精神の持ち主みたいじゃのう」
「同感だね」
俺とヤニはブレイズの手のひらクルーに驚き、戦慄しながら朝食の続きを食べ始めた。
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「ジョージ。最近俺の周りってさ、頭の中がピンク色の人が多いと思うんだ。すぐに惚れた腫れたの話題でさ、『この物語はラブコメではありません。ハードレーシングロマンです』って注意書きが必要だよ」
「またランディは、意味の分からないことを言っていますね。もうすぐ予選が始まりますよ? そんな調子で、大丈夫ですか?」
現在は、コースオープン3分前。
俺の位置は、マシンのシート上。
マシンはチーム「シルバードリル」の仮設ピットである、銀色テントの下。
そしてテントはどこに構えられているかというと、道路の脇にあった。
ただの道路じゃないぜ?
閉鎖され、サーキットと化した道路だ。
「あのさ、ジョージ……」
俺はブレイズを眺めながら、ジョージに話しかけた。
ブレイズの奴は、4軒隣のテントにいる。
ヘルメットを被り、エンジニアとやり取りをしている最中だ。
「やっぱりジョージはまだ、ブレイズのメカニックやエンジニアになりたいと思っているのかい?」
幼少の頃、ジョージが見ていた夢。
それはブレイズと組んで、レースをするということ。
走行直前に聞くような話題じゃないっていうのは、分かっている。
それでも俺は、確認しておきたかったんだ。
返ってきたのは、ため息。
それも「やれやれ」という空気を込めまくった長~いヤツを、ジョージはかましてきた。
「僕が『そうだ』と答えたら、君はどうするというのです?」
「別に……。でもちょっと、ブレイズに嫉妬しちゃうかな? それで集中力が下がって、コンマ1秒ぐらいタイムが落ちそうだよ」
「それは困りますね。君はブレイズと違って、本当に世話の焼けるドライバーです」
「案外ブレイズの方が、手の掛かる奴かもよ? ほらアイツって、車への要求が細かそうだと思わない?」
「……そんなに心配する必要なんて、ありません。今の相棒はランディ……君です。余計なことは考えずに、予選1番手を奪ってきなさい。ブレイズ・ルーレイロの手からね」
レーシンググローブを纏った俺の拳と、メカニックグローブを纏ったジョージの拳が空中で打ち合わされた。
軽い衝撃と共に、熱く渦巻く何かが俺の体内に流れ込んできたような気がする。
「これでコンマ1秒は、タイムが上がったかな?」
俺の軽口に、ジョージは無言で親指を立て応じる。
もう俺達に、言葉は要らない。
あとはジョージが手掛けたこのマシン越しに、対話するだけ。
それが、俺達のコミュニケーション。
俺はヘルメットのシールドを降ろし、エンジンに火を入れた。
マシンという名の猛獣は、解き放たれる。
ただし今回は、金網で囲まれた檻の中にだ。
狭苦しいコンクリートジャングルの狩場に、狂暴なエンジンの咆哮が響き渡った。
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■□3人称視点■□
20分間の予選タイムアタック。
その終了時刻まで、残り3分。
チーム「シルバードリル」のメンバー達は、ヘッドセット型の無線機を装着していた。
そこから微かなノイズと共に、落ち着いた少年の声が流れる。
『この周、行くよ』
チームの誰も、返答はしない。
ドライバーの集中力を乱すことは、避けたかったからだ。
しかし皆、心の中ではレーシングエンジンも真っ青な大音量で叫んでいた。
『行け! 誰よりも速い1周を、この街に刻み込め!』
――と。
弾けるような排気音は聞こえているのに、最終のS字コーナーを立ち上がってくるマシンの姿はなかなか見えない。
コンクリート壁の陰に、隠れてしまっているのだ。
ジョージ・ドッケンハイムとケイト・イガラシはヘッドセットをずらし、エンジン音に耳を澄ましていた。
「よく回っていますね」
「めっちゃストレートスピード伸びるで」
無機質に伸びた高層ビル群の谷間に、2ストロークエンジンの音が木霊する。
唐突に最終コーナーのS字から、1台のマシンが飛び出してきた。
熱い太陽の日差しを反射し、銀色のカウルとウイングが輝いている。
マシンに呼応するかのように、チームオーナー兼監督であるマリー・ルイス嬢の銀髪縦ロールも光った。
隣のチームの監督が、眩しそうに顔をしかめる。
サングラスを、装着中であるにもかかわらずだ。
よほど眩しかったらしい。
銀色モンスターはサインエリアにいたマリー達の前を、一瞬で横切った。
あいさつ代わりとばかりに、火花を盛大に飛ばしながら。
高速走行で生じた風圧は、道路を横断してサインボードエリアまで到達する。
スタッフ達が着ていたグレーのチームシャツがはためき、体にピタリと貼り付いた。
道路沿いに茂ったヤシの木も、風圧と爆音にザワザワと揺らめく。
「現在の予選トップは、誰ですの?」
「1分24秒396で、ハーロイーン国のヘイ・ハンセンや。だけど、ここまでやな」
ケイトがそう判断した理由はふたつ。
ひとつは自チームのドライバー、ランドール・クロウリィ。
現在カメラが彼の走りを追っているが、モニターには早くも第1区間マイナス表示が出ている。
摩天楼の合間を縫う直角ターンを、踊るように駆けるランディ。
彼はヘイ・ハンセンのタイムを、コンマ1秒刻んできた。
そして、もうひとつの理由が――
「うひゃ~! こら、あかんで。コース最速記録や。1分24秒266!」
ランディを追っていたカメラは、早々と表示を切り替えた。
緑の車体に、水色のヘルメット。
タイムアタックを終え、悠々と流す彼女はルドルフィーネ・シェンカー。
この時点で、暫定予選1番手は彼女だ。
「まだまだ来るで」
他にもケイトが警戒している2台が、アタックに入っているのだ。
ルディに遅れること数秒。
赤と青のツートンカラーに彩られたマシンが、コントロールラインを駆け抜ける。
「ヤニもレコードですか……。1分24秒195。やはり路面が綺麗になる分、後からアタックする方が有利」
ジョージはモニターを見つめながら、静かに呟く。
カメラと彼の視線が追っているのは、ファンシーなピンク色のカウルに包まれたブレイズ・ルーレイロのマシン。
ランディに言わせれば、「奴の頭の中がピンク色だからだ」とのこと。
だがもちろん、全然関係ない。
スポンサー企業のイメージカラーだ。
ブレイズのマシンは公園エリアを抜け、再び公道へ。
交差点を鋭角に曲がるターン11に向け、タイヤカスを撒き散らしながら激しいブレーキングを開始する。
その鬼気迫る走りに、ジョージは気圧された。
モニター越しであるにもかかわらずだ。
「ふふん、必死になっちゃって。そんなに私のトークアプリIDが欲しいのね?」
ヴィオレッタ・クロウリィは、面白そうにモニターを見つめていた。
今日の彼女はレースクィーン役ではないため、グレーのチームシャツにカーキのパンツスタイルだ。
『ブレイズ・ルーレイロ! 1分24秒096~! これが! これが最速の遺伝子だ! パラダイスシティGPの歴史に、また新たなる1ページが……』
やたらと興奮した実況放送が流れているが、ヴィオレッタは聞き流していた。
唇の端を吊り上げ、年不相応に妖艶な笑みを浮かべる彼女。
紫紺の瞳には、銀色のマシンしか映っていない。
「でも、無駄よ。だって、1番速いのは……」
――1分23秒997。
それがランドール・クロウリィの叩き出した、新しいコース最速記録。