ターン87 俺達の走る理由
宴会兼打ち合わせの翌朝――
今日はレースの予選日だ。
ホテルの朝食は、食堂でのブッフェ形式。
オシャレな木目調のテーブルに置かれた、これまたオシャレな木製の皿。
その上に盛られた瑞々しいサラダに手をつけることなく、マリー・ルイス嬢はフォークを握りしめた手をプルプルと震わせていた。
「くっ! なんという体たらく! 指揮官として、情けないですわ」
「大丈夫かい、マリーさん? ふ……頭が痛かったりとかはしない?」
思わず二日酔いと言ってしまいそうになって、俺は慌てて言い直した。
いやいや。
15歳の少女が飲酒しちゃったなんて、スキャンダルでしょう。
下手したら、チームが出場停止になる。
「ま……まあ今回は、キンバリーさんが悪いからね。マリーさんに、落ち度は無いよ」
俺の励ましは、落ち込んだドリル令嬢の心に届かなかったみたいだ。
マリーさんの手に握られたフォークは震え続けるだけで、皿や口に向かっては動かない。
彼女のトレードマークである縦ロールヘアーも、今日は巻数が少なく見える。
恐らくこれは、不調の証。
ふと彼女は視線を上げ、正面の席で同じようにサラダを食べていた俺と目を合わせる。
「ワタクシ、昨夜は何か変なことを口走っておりませんでした? ところどころ、記憶が抜け落ちていますの」
変なことね。
むしろ、まともな台詞の方が少なかったよ。
でも真実はきっと、彼女のハートを無慈悲に抉るから――
当然俺は、こう答える。
「なんのことだい? マリーさんはいつだって、気品に満ち溢れた素敵な淑女さ」
これ以上ないっていうぐらい、俺は笑顔をフルブースト。
さわやかな優しい嘘で、彼女のハートを守ることにする。
「そう……。そんなに変なことを、口走ってしまいましたのね……」
嘘が即バレする俺の体質について、いちどお医者さんに診てもらった方がいいのかもしれない。
この体質、誰も幸せにならないよ。
哀愁と諦念が漂う背中を俺に向けながら、昨日の酔いどれ令嬢は食堂を後にした。
最後にポツリと――だけど、凄みの利いた声で呟きながら。
「キンバリー、後でお仕置きですわ」
怒りが元気に変換されて良かったかもなんて、ちょっと思っちゃった。
だけどお仕置きとやらがエスカレートして、チームの不祥事になるなんてのは避けて欲しい。
マリーさんの去った方角に向け、祈っていた俺。
その隣に、しれっと腰を下ろす赤銅色の巨体があった。
「なんじゃ、ランディ。お主のチームも、このホテルじゃったか」
額の1本角がトレードマークの鬼族、ナタークティカ国スーパーカート選手権のランキング1位ヤニ・トルキだ。
コイツときたら当然のように、俺の隣で朝食をパクつき始めやがった。
敵チーム同士だってことを、全然自覚していないな。
追い払うのも面倒臭いし、感じ悪いかも?
そう思って、ヤニを放置していたのは失敗だった。
もう1人、自覚していない野郎を呼び寄せてしまう。
「ランディもヤニも、よく朝食が喉を通るね。僕はちょっと、通りそうにないよ」
朝から見るには少々眩しく、暑苦しい真っ赤な長髪。
その髪と見事なコントラストになっている、青白い肌。
そう。
今朝のブレイズ・ルーレイロは白いんじゃなくて、青白い。
幽霊みたいな動きで、俺達と同じテーブルに着きやがる。
このげっそりエルフ、ライバルである俺達に弱っているところを隠そうともしていないな。
ブレイズは、なんとか野菜だけでも摂ろうと思ってるみたいだ。
フォークを動かしているけど、その動きは遅い。
モソモソと咀嚼する口の動きにも、キレがない。
「なんじゃブレイズ。昨日はしたり顔でコース解説して、いきがっておったのに。予選でこんなに、ビビっておるとはのう」
「うるさいよ、ヤニ。僕は君らと違うんだ。パパが有名人だと、周囲からのプレッシャーも半端ないんだよ」
ブレイズは苦しそうに、胃のあたりを手の平でさすった。
しかし、今の台詞は聞き捨てならないな。
まるでウチのオズワルド父さんが、無名だと言ってるように聞こえるぞ?
「俺の父さんも、有名人だよ。ケンカ無敗の剛腕メカニックだと言われてて、その名は隣町まで轟いてたんだぜ」
俺はパパ自慢カウンターを決める。
なのにブレイズは半眼で、
「そういうのじゃないんだ」
と、ガッカリ気味に言いやがった。
「ウチの親父も、なかなか有名人じゃぞ? 『7人の女との間に子供をもうけた男』ということで、国中で知らぬ者はおらぬ。昔っから女関係が発覚する度に、ワシのお袋から、正妻制裁パンチでボコボコにされるんじゃがの……」
そいつは色々と、凄い親父さんだな。
ナタークティカって、一夫多妻制の国とかじゃないんだよ?
そしてヤニが金の掛かるカートをやってこれたということは、相当な経済力がある証。
甲斐性も、大したもんだ。
そんな家庭環境なのに、ヤニの性格がねじ曲がっていないのも凄い。
きっと下半身のコントロール以外は、いい親父さんなんだろう。
その1点で、全て台無しな気がしないでもないけど――
「一緒に朝食を摂るなら、こんなウジウジエルフよりルディがいいのう。ルディのチームは、別のホテルか……。おお! そういえばランディ、お主のチームの可愛いデータエンジニアは来とらんのか? 確か、ケイトさんじゃったかのう?」
性格が、ねじ曲がってはいないけど――
ヤニの親父さん。
女好きなあなたの遺伝子は、確実に息子に受け継がれています。
モア連合統一戦の時、ヤニは強引なナンパを受けていたケイトさんを助けた。
いま思えばあれも、下心からの行動だったのかもしれないな。
「レース当日にも、君達は女の子の尻を追い回すのかい? いいね、気楽で……」
なんで俺まで、女の子のお尻を追い回しているような扱いになってるの?
心外だ。
ヤニと一緒にしないで欲しい。
俺が女の子のお尻を追いかけ回すのは、トラック上で女性ドライバーと勝負する時だけだ。
「当然じゃ。ワシは女にモテたくて、レースをやっておるのじゃからな」
ヤニの返答に、俺は一瞬あきれた。
だけど、すぐに思い直す。
俺はヤニほど明確に、走る理由を持っているんだろうか?
走ることが好きだから?
みんなが期待してくれるから?
レースはカッコイイから?
自分の力を試したいから?
どれも当てはまるような気がするけど、決定的な理由でもない気もする。
だとしたら「モテたいから」と断言できるヤニは、俺よりしっかりした信念の持ち主なんじゃなかろうか?
だけどブレイズは、ヤニの返答がお気に召さなかったようで――
「なんだい。そんな浮ついた理由で、走っているのかい? 僕はパパを追いかけるのに、忙しいんだ。そんな意識の低さで、絡んでこないでくれるかい?」
ブレイズの青白い額には、青筋が立っていた。
いやいや。
こうしてライバル達に心境をぶちまけている時点で、お前もなかなか意識が低いよ。
「ハッ! お主の走る理由は、『親父越え』か。……じゃがのう、それは『親父よりモテたい』という願望からではないのか? 偉大なオスを、乗り越えたい。その思いは周りのメスに、いいところを見せたいというオスの本能ではないのか? そうでないと、誰が言い切れる」
そうなんだよね。
男が何かを成し遂げようと頑張るのは、結局はそれなのかもしれない。
女の子ばかりにじゃないけど、俺にだって周りにいいところを見せたいという願望はある。
家族やチームのみんな、学校のクラスメイト達の期待に応えたいんだ。
「僕は違うね! 『女の子にいいところ見せたくて走る』なんて言う奴に、死んでも負けるもんか!」
「ふん! そんなんじゃから、お主は顔も走りもまあまあなのにモテんのじゃ!」
テーブルに、一触即発の緊張感が漂う。
喧嘩になったら、ヤニの圧勝だろうな。
コイツ、足技格闘技『嵐蹴道』の使い手だし。
喧嘩に巻き込まれてレース出場停止にでもなったら大ごとだから、俺はこっそりテーブルを離れようとしていた。
――と、そこへやって来たのはヴィオレッタだ。
「お兄ちゃん。その人達は、お友達? 朝からみんな、元気ねえ」
艶やかに揺れる、アメジスト色の髪と瞳。
ミルクチョコレートを連想させる、褐色の肌。
そして肌の色以上に、甘いスマイル。
異国の地でも、俺の妹は天使街道爆進中だ。
だからヤニとブレイズが喧嘩をやめて見惚れていても、当然だと思う。
「ヴィオレッタ。このテーブルは変なお兄ちゃん達が喧嘩しているから、2人で向こうのテーブルに移動しようか?」
俺達クロウリィ兄妹の移動を、全力で引き留めようとした奴がいる。
可愛い女の子に目がないヤニ――じゃなかった。
「な……なに言ってるんだい、ランディ! 僕らはいつも、仲良しだってば。……ランディの妹さん? はじめまして、僕はブレイズ・ルーレイロ。5歳の頃から、ランディとは親友なんだ。だから君達兄妹がこのテーブルを離れる必要なんて、1ピコグラムも存在しないんだよ」
俺はブレイズのことを、親友だなんて言った記憶はない。
ドッケンハイムカートウェイでのマッチレースから昨日までの10年間、パソコンでメッセージのやり取りをしていただけで全然会っていなかったし。
いつの間に、親友認定されていたんだ?
いや。
そんなことよりも俺の中にあるお兄ちゃんセンサーが、ブレイズは脅威だと警告している。
排除が必要か?
クロウリィ家の姫君に変な虫とかついたら、祖国で待つ父さんに申し訳が立たない。
「へ~。あの、アクセル・ルーレイロの息子さんっていう?」
ナイスだ、ヴィオレッタ。
それを言われると、ブレイズの奴は不機嫌になる。
これでヴィオレッタにも、興味を失くしてくれるに違いない。
こんなファザコンエルフには、多少嫌われたところで何のデメリットも無いしな。
ところが、だ――
「そうそう。その、ルーレイロの息子だよ。ヴィオレッタちゃんも、ウチのパ……親父のファンかい? サイン貰ってこようか?」
おいおい、ブレイズ。
なんだその態度は?
10年前に俺が「親父さんのサインくれ」って言った時、お前ガチでキレたよな?
「ブレイズ。俺にも、親父さんのサインくれよ。『ランドール君へ』って、宛名入りでさ」
「ランディは、僕のサインで満足しときなよ。ヴィオレッタちゃんだけ、特別さ」
この野郎!
なんで同じ世代のライバルのサインなんて、貰わないといけないんだよ!
「え~。私はお兄ちゃんのファンだから、他のレーサーのサインは要らないかな? ブレイズさんが、お兄ちゃんの為に貰ってきてくれたら嬉しいけど」
ヴィオレッタ――
俺のために言ってくれるのは嬉しいけど、ブレイズの奴になんかおねだりする必要はないんだぞ?
お前の笑顔――特に目を潤ませて見上げるおねだりスマイルは、破壊力が戦略兵器だからな。
向けられた男は、何かよからぬことを考えたり――
「ふ~ん。それならランディ宛てのサインを貰ってくる条件として、ひとつ賭けをしようか?」
――ほらみろ。
いわんこっちゃない。