ターン85 コースを下見しよう
■□ランドール・クロウリィ視点■□
ディシエイシ国は、この世界の南半球に位置する。
俺の祖国マリーノだと、12月は真冬。
日本と同じだね。
だけどディシエイシでは、夏真っ盛りだ。
そんなディシエイシ国のパラダイスシティが暑いのは、おそらく季節のせいばかりじゃない。
街の至るところに設置された、ガードレール。
ぐるりと道路を取り囲む、金網フェンス。
レーシングカーの溝無しタイヤが蹴っても弾き飛ばされないよう、今週だけは溶接されたマンホール。
そしてパラダイスシティGPを観戦するために、様々な国から集まってきた多くの人々。
街中がレースの熱気に浮かされて、燃えていた。
俺とジョージ・ドッケンハイムは、そんなパラダイスシティの市街地を歩いている最中だ。
2人とも恰好は、アロハシャツ。
黙っていれば、レーシングドライバーとメカニックのコンビだとは思われないだろう。
高層ビルの谷間を突き進み、めざす目的地はレンタカー屋さん。
車でコースを下見するんだ。
運転手はジョージ。
コイツはもう18歳だから、車の運転免許を持っている。
渡航前にマリーノで国際免許を発行してもらっていたから、準備は万端だ。
レンタカー屋さんを見つけ敷地に入ると、20台以上の車がズラリと並んでいた。
大型のワゴン車や、20人は乗れそうなマイクロバスまであったりする。
その光景を横目に見ながら、俺達はレンタカー屋さんの待合室へと入っていった。
まずは受付で、借りる手続きをしないとね。
玄関のドアをくぐったところで、俺達は意外な人物と再会する。
「やあ、久しぶりだな。直接会うのは、10年ぶりじゃないか?」
「まったく。君がマリーノ国内で、モタモタしているからだよ。本当は去年、ここで再会しているはずだったんだよ?」
真っ赤に燃える赤髪。
今は邪魔にならないように、後頭部の高い位置で束ねられていた。
その隙間から覗くのは、長くて尖った耳。
身長はかなり伸びて、俺に近い。
175cmぐらいかな?
相変わらず痩せているけど、シャツから覗く腕は筋張っていた。
かなりハードなトレーニングをこなしているな。
10年前より鋭くなった緑色の眼光を俺に向けながら、この男は相変わらずの生意気な台詞を吐いてきた。
「久しぶりですね、ブレイズ」
「ジョージも、元気そうでなによりだよ。ちゃんとランディを、立派なドライバーに育ててくれたかい?」
ジョージとブレイズ・ルーレイロは、ガッチリと握手をかわす。
「まだまだ、ブレイズほどじゃありません」
コラ、ちょっと待てジョージ。
俺は10年前、ブレイズに勝っているんだからな。
「ブレイズもレンタカーを借りて、コースの下見かい?」
俺が尋ねると、ブレイズは隣にいたエルフ族の青年と顔を見合わせた。
このエルフ青年、たぶんブレイズんとこのチームスタッフだな。
お互い、困った表情をしている。
「そのつもりだったんだけど……。ちょっと、困ったことになって。この店にはもう、大きな車しか残っていないんだ」
ありゃりゃ、それは困った。
俺達もコンパクトカーを借りて、コースを回ろうと思っていたからな。
でっかい車は、当然レンタル料も高い。
他のレンタカー屋さんを探すのも、手間がかかるしなぁ。
――そうだ。
それならば。
「ならさ……。半分ずつお金を出し合って、合同でワゴン車を1台借りないか?」
レース前に敵チーム同士が仲良しこよしというのも、あんまり良くはないだろう。
だけどこのくらいなら、問題ないはず。
俺の提案にブレイズが口を開こうとした瞬間、別々の方向から返事が飛んできた。
「はーい。その提案、ボクも乗ります」
「そいつは助かるのう。ワシらもぜひ、御一緒させてくれい」
女の子の声なのに、1人称が「ボク」。
そしてもうひとりは若い男の声なのに、爺さんのような喋り方。
こんな個性的な連中は、他に思い浮かばない。
エルフ少女のルドルフィーネ・シェンカーと、鬼族のヤニ・トルキ。
俺にとって懐かしい2人の顔が、そこにあった。
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結局俺達は4チーム合同でレンタカー代を出し合い、8人乗りのワゴン車を借りた。
レースに出場するドライバー達4人は、全員が運転免許を取れる年じゃない。
だからみんな運転手を連れてきていたんだけど、運転席はひとつだけ。
ウチのジョージが、運転担当だ。
ヤニは相変わらずルディが気になるらしく、しれっと隣に座ろうとしていた。
だけどルディはそうなる前に、俺の隣の席へと座ってしまう。
渋々といった様子で、自チームのスタッフの横に腰を下ろすヤニ。
本当は俺、コースがよく見える助手席に座りたかったんだけど――
ジョージの奴が、さっさとブレイズを乗っけてしまったからなぁ――
あいつ、相変わらずのブレイズ大好きっ子だな。
ちなみにこの国の道路は右側通行だから、車は左ハンドルだ。
ジョージ。
左ハンドル車の運転は、大丈夫だよね?
「えへへ……。先輩とこうして隣同士で座るの、NSD-125ジュニアで遠征してた頃以来ですね」
「そうだね。なんだかすごく、懐かしいよ」
はち切れんばかりの笑顔を見せるルディに対して、俺も嬉しくなり笑顔を返す。
「ランディ。ルディ。思い出話もいいけど、ちゃんとコースを見るんだよ? そのためのレンタカーなんだからね」
ブレイズは、相変わらず口うるさい。
でも、言っていることは正論だ。
俺達は全員、レースをしにこの街へやってきているのだから。
「ブレイズせんぱーい、コース解説してよ」
俺は「せんぱーい」の部分を棒読みしつつ、ブレイズにお願いした。
奴は去年もこのコースを走っているから、先輩というのは間違いじゃない。
「仕方ないな~。いっぺんしか言わないから、よ~く聞きなよ。僕が編み出した、コース攻略法も伝授してやるよ」
俺とルディは顔を見合わせて、ニッコリと微笑む。
ルディが何を言いたいのか、分かるよ。
「チョロイな、こいつ」だろう?
ブレイズチームのスタッフさんが、渋い表情をしていた。
「敵チームの連中に、教えるなよ」と言いたげだな。
だけどブレイズは得意気に、コース解説を始めてしまった。
「よし。まずは今走っている、海沿いの幹線道路がメイン直線。短いけど、意外にスピードが乗るよ。最終コーナーが、4速で立ち上がる緩いS字だからね」
俺達が乗るワゴンはヤシの並木を左手に、4車線の沿岸道路を走ってゆく。
木々の間から覗く、白いビーチと美しい海が眩しい。
「そして、1コーナー。直角右ターンのポルティエベンド。角にある、ホテル・ポルティエの名前から命名されているそうだよ」
ジョージが右折に備え、ワゴン車のアクセルを抜く。
その時、俺は気付いた。
表情からして、ルディとヤニも気づいたみたいだな。
「ほう……。内側は荒れとると聞いとったが、実際に走ってみると、噂以上じゃのう」
俺達の乗っているワゴンは、けっこう揺れていた。
ジョージの運転が、下手なわけじゃない。
見た目以上に、路面が荒れているんだ。
さすがは公道。
サーキットのように、綺麗な路面ばかりじゃないね。
「緩衝装置の無いカートだと、跳ねて暴れて大変さ。君達のへっぽこブレーキングじゃ止まれないだろうから、迂闊に内側には飛び込まない方がいいよ」
遅いブレーキングが自慢のブレイズは、俺らに向けて挑発的に言い放った。
それに反応したのが、ヤニとルディ。
ドライバーとしての矜恃を傷つけられて、黙っていられなかったみたいだな。
「ほう? ひょろひょろエルフのくせに、言ってくれおる。そんな体格で暴れるマシンをコントロールできるのか、見ものじゃわい」
「ブレーキングが得意なエルフドライバーは、ブレイズさんだけじゃないんですよ? それに奥までブレーキを我慢できるドライバーが凄いだなんて、素人みたいに単純な考えですね」
車内で危険な視線が絡み合い、火花が飛び散ったような気がした。
元々そうだったヤニはともかく、ルディはここ2年間で好戦的な性格になっちゃったみたいだ。
激戦区である、ハーロイーン国のレースでもまれたせいだろうな。
彼女は俺に、視線を向けてくる。
たぶん「先輩も何か言ってやってください」とか、そんなところだろう。
でも、何も言ってやらない。
ブレイズと喧嘩しても面倒臭いだけで、得るものは無いと思ったから。
それにブレイズの言うことも、もっともだ。
わざわざ荒れた1コーナーの内側に飛び込まなくても、他に抜きどころはあるさ。
反論しなかった俺を見て、ブレイズは面白くなさそうだった。
相変わらずの構ってちゃんめ。
だから、言い返してやらなかったんだよ。
その後もジョージが運転するワゴン車は交通の流れに乗りつつ、ゆっくりとパラダイスシティ・ストリートを流していった。
ビルの群れが立ち並ぶ第1区間を抜け、緑豊かな芝生が広がる公園の敷地内へと進入する。
公園の湖をぐるりと取り囲む、大きく回り込んだ園内道路。
ここもレース本番では、コースの一部だ。
今日は水鳥が優雅に泳いでいるけど、レースが開始されればマシンの爆音に逃げ出すだろうな。
湖の畔を通過後、車は公園から出て再び市街地へ。
斜めにクロスした交差点を、鋭角に右折。
そして海岸沿いの道路に戻り、コース1周が完了する。
その間にも時々ブレイズ、ヤニ、ルディの3人は、ああでもないこうでもないとドライビング理論を戦わせていた。
だけど俺はあまり自己主張せず、皆の意見を聞くことに重きを置いている。
「ランディよ。お主ならこのコース、どう攻略する?」
薄く口元に笑みを浮かべながら、ヤニは俺に問いかけてくる。
「そうだ。ランディも、何か言いなよ。僕達だけ手の内を晒して、馬鹿みたいじゃないか」
ブレイズの奴、手の内を晒すのが馬鹿だという自覚はあったのか。
でも、何か言えっていわれてもなぁ――
「うーん。結局はマシンでコースを走ってみないと、分からないことが多いんじゃないかなぁ?」
俺の発言に他の3人は、ガクッと脱力する。
あれだけ仲が悪そうに見えたのに、完璧なタイミングで声をハモらせながら俺に抗議してきた。
『下見する意味が無い!』
――ごもっともで。