ターン84 スタッフの頭数
いつの間にか俺は、フローリング張りの床に倒れていた。
ここは――クロウリィ家の寝室だな。
ベッドから、落下したらしい。
寝相は、いい方なはずなんだけどな。
床にうつ伏せたまま目覚まし時計を見上げると、時刻は5時27分。
アラームが鳴るより、早く目覚めてしまったみたいだ。
「今のは……夢?」
父さんに「いい夢見ろよ」と言われたその晩に、女神様から正座させられる夢を見るとはね。
しかし、妙にリアルな夢だったな。
鳴ってしまう前にアラームを止めたくて、俺は目覚まし時計に近づこうとしたんだけど――
「え? ウソ? 足が、痺れている?」
だから、あんな夢を見たのか――
あるいは夢の中の影響が、体に出たのか――
真相は、分からない。
足の痺れが引くのを待ったから、いつもより早朝トレーニングに行くのが遅れた。
それだけは、ハッキリした現実だった。
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水曜日。
俺達は、チーム「シルバードリル」の工場内に集合していた。
几帳面なジョージがいつも片付けているから、工場内の空間は余裕がある。
だけど今日は輪をかけて、ガランとしていた。
すでにマシンも工具も、パラダイスシティGPの舞台であるディシエイシ国に向けて出発している。
俺達学生組が学校に行っている間も、大人のスタッフ達が荷物をまとめてくれていたからね。
さらに放課後からは、こういう作業が鬼のように速いジョージも参加していたし。
遠征準備完了は、どこのチームより早かったんじゃなかろうか?
――というわけで、もうこの工場で俺達がやる作業は残っていない。
「俺、女神様の使徒なんだってさ」
ヴィオレッタが淹れてくれたコーヒーをすすりながら、俺は一昨日見た夢について話し出した。
「ははぁ。ランディさんの女神様好きは、もはやビョーキっスね」
失礼な感想をぬかすポール・トゥーヴィーに、俺はジロリと非難の視線を向ける。
だけどジョージ・ドッケンハイムとケイト・イガラシさんも、ポールと同意見みたいだ。
皆の白い視線が、俺に集まる。
そんな中、妹のヴィオレッタだけは反応が違った。
「お兄ちゃんがそう言うなら、きっとそうなんでしょうね。神でも魔王でも、驚かないわ」
ああ。
うちの妹は、なんて物分かりがいいんだ。
「戦女神リースディースの? 転生者は皆、レナード神の使徒ではありませんの?
怪訝そうな顔をするマリーさん。
地球からこの世界に来た転生者達は、皆そんな風に言われる。
レナード神の使徒といっても、何か特別な使命や力を授かるわけじゃないんだけど。
ただレース関係者は、この世界でもモータースポーツにかかわるのをオススメされるらしい。
「俺、まだレナード神に会ったことがないんだよ」
俺の告白に、全員が驚いた。
ジョージですら、顔がピクリと動く。
「ラ……ランディ君、本当に転生者なん? レナード神に会ったことない転生者とかリースディース神の使徒とか、前例が無いで」
そう言われて俺は、ハッと気づく。
地球からの転生者のつもりでいたけど、俺が地球で過ごした記憶は本物なんだろうか?
地球の父さんが、母さんが、兄さんが――
そしてカートやフォーミュラカーでサーキットを駆け抜けた日々が、全て偽りのものだったとしたら?
俺には、地球の記憶で欠けている部分がある。
死んだ瞬間と、その直前の記憶。
女神様が言っていた、「彼女」のこと。
それをリースディース様やレナード神が隠すために、偽の記憶を植え付けているとしたら?
俺は――
本当は、地球からの転生者ではないのかもしれない。
「ランディ君、顔色が悪いで?」
ケイトさんの金色の瞳が、心配そうに俺の表情を伺っていた。
「大丈夫、大丈夫さ」
ちっとも大丈夫じゃなかったけど、皆を不安にするわけにはいかない。
俺は作り笑いを浮かべながら、拳を握って気合を入れた。
「まあランディが女神の使徒だろうと、普通の転生者でなかろうと、どうでもいいことです」
「せやな。あんまり重要やあらへん」
「速ければ、なんでもいいんスよ」
「ランディ様は、ランディ様ですわ」
チームの皆にとって、俺が本当に転生者かどうかなんて重要じゃないみたいだ。
それぞれの言葉が、俺をホッとさせる。
「お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんよ。私がこの世界に生まれた日から、それだけは確かな事実。この世界で生きてきた自分の人生を、もっと信じて」
ヤバいな――
妹の優しい言葉に、涙腺が決壊しそうだ。
俺は涙が零れないよう、天井の照明を見上げた。
そうだ。
俺は今この世界で、こんなに素晴らしい仲間達に囲まれているじゃないか。
地球の家族達のことは、偽りの記憶だとは思えない。
それはそのまま、胸の奥にしまっておく。
その他の余計な葛藤や不安、思い出せないことは、全部ぶっちぎってみせようじゃないか。
「みんな……ありがとう。もう、大丈夫だ」
「元気出たみたいっスね。まずは景気づけに、カート世界一になるっスよ。俺達みんなの力を合わせて、てっぺんを獲るっス!」
椅子から立ち上がり、人差し指を天に突き立て世界一宣言をするポール。
俺達のチームにはその力があると、自信満々な表情だ。
まったく、コイツときたら――
年間ランキング6位だったのに、その自信はいったいどこから――
ん? 6位?
パラダイスシティGPの出場条件は、各国のランキング4位以内だ。
「ポールは出場できないのに、わざわざ応援に来てくれるのかい? ……自腹で?」
今回の海外遠征にかかる費用。
俺の宿泊費や滞在費、渡航費はチームが負担してくれる。
ジョージやケイトさんの分もだ。
だけど、ポールは?
「そりゃ俺っちもスタッフとして、当然頭数に入って……」
ポールが着ているシャツの裾を、クイクイと引っ張る白くて可愛らしい手。
手の主は、申し訳なさそうな表情のマリーさんだ。
「ポール……。今回あなたは、チームスタッフの頭数に入っておりませんわ」
「ファっ!?」
元から目が大きめなポールなんだけど、今回はさらに目を見開いて驚く。
まるでギャグ漫画みたいな、過剰リアクションだ。
「そそそそそんな! せっかく俺っちはランディさんをサポートしつつ、ついでにディシエイシ国の美味いもんを食ったり海岸でサーフィンして遊ぼうと思ってたのに!」
おいコラ!
ポールお前、遊ぶ気満々じゃないか!
「だって……。サポートなんて言っていますけど、出場できないドライバーに仕事なんて無いでしょう?」
「ゴブゥ!」
ポール即死。
マリーさん、それはオーバーキルだよ。
それにしても、なんとも小鬼族らしい断末魔だな。
「なんてことっスか……。俺っちはヴィオレッタちゃんと同じで、お留守番なんスね」
緑のペンキで塗られた、コンクリート製の床。
そこに膝を突き、ガックリとうなだれるポール。
そんな小鬼族に追い打ちをかける、無慈悲な事実が発覚してしまった。
「ポール君。私は今回、スタッフとしてチームに帯同するわよ?」
自分と同じく留守番だと思っていたヴィオレッタの言葉に、ポールの中で悲しみが臨界点を超えた。
「マリーさんのバカ~! 変な髪型~!」
滂沱の涙を流しながら、ポールは工場から走り去った。
だけど追う者は、誰もいない。
――ま、いっか。
俺も含めて、全員がそういう気持ちになっていた。
「そんなに来たかったのなら、最初から言えばピットへの通行証を発行しましたのに……。旅費は、自腹ですが」
変な髪型と言われたのを気にしているのか、マリーさんは人差し指で銀髪ドリルをいじりながら憮然としていた。
「マリーさん。それはちょっと、ポールのお財布には厳しいんじゃない?」
実はこの世界では、航空運賃が安い。
地球よりだいぶ、ジェット燃料のコストが低いからだそうだ。
だからといって、ポールのお小遣いから出せる額じゃないよなぁ。
あいつは、今年でやっと13歳。
基礎学校7年生に、自腹でディシエイシ国まで来いというのは酷だろう。
地球に例えるなら、日本とオーストラリアぐらいの距離がある。
宿泊費は、地球と似たような価格設定だしね。
「あら? ランディ様は、ご存じなかったですの? ポールの家は、それなりの資産家ですわ。旅費ぐらい親に頼めば、すんなり出してくれるでしょう。もっとも今からでは、ホテルの予約が取れないでしょうけど」
ポールは、いいとこのお坊ちゃんだったのか。
子供がカートをやっている家って、それなりに裕福な場合が多いもんね。
それは地球でも、この世界でも変わらない。
実家は貧乏なのに、ずっとスポンサーがついていた俺が特殊なんだ。
「ポールも来年は出場できるかもしれませんから、予習のために連れて行ってもよかったのですが……。遊ぶ気満々だったので、突き放したのです」
うん。
マリーさんの判断は、妥当だね。
でも、ポールの気持ちは少し分かる。
パラダイスシティは、海岸沿いに位置するリゾート地。
オシャレな高層ビルを背後に、足元には真珠をすり潰したように白く輝く砂浜。
そして眼前に広がるのは、エメラルドグリーンの美しい海。
遊びたくなるのも、当然か。
俺達も、市内をちょっと観光したりはする予定だった。
市街地コースである、道路の下見も兼ねてね。
レース前に怪我でもしたら大事だから、海で泳ぎはしないけど。
「仕方ありませんわ。ポールには、多めにお土産を買って帰りましょう」
マリーさんが立てたポールのご機嫌取り計画に、俺達一同は大きく頷いた。
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■□3人称視点■□
翌週、火曜日
メターリカ国際空港
クロウリィ夫妻は展望デッキから、戦場に旅立つ子供達を見送っていた。
ランディ達を乗せた旅客機が、轟音を上げながら滑走路を加速してゆく。
この世界の旅客機は、地球のジャンボジェット等とは翼の形状がかなり異なる。
大きな三角形の主翼と小さな前翼を持つ、クロースカップルドデルタ構造をしていた。
この機体は、航空会社のコーポレートカラーである鮮やかな紫色。
クロウリィ夫妻の愛娘、ヴィオレッタの髪を連想させる機体色だ。
旅客機は滑走路を離れると、みるみる高度を上げた。
あっという間に、豆粒のようなサイズになる。
この世界の旅客機は、ほとんどが超音速機。
洋上に出るとアフターバーナーを点火し、マッハで目的地へと向かう。
音を超える速度で、自分達から子供達が遠ざかる。
その寂しさを胸に押し込め、オズワルドは不安げな妻を気遣った。
「そんなにランディが、心配か?」
「ええ……。パラダイスシティGPは、今までのレースとは違うわ。けが人が続出する、危険極まりない公道コース。死亡事故が起こった年だってあるわ。心配に決まっているじゃない」
オズワルドはそっとシャーロットの肩を抱き、息子達が飛び去った方角を見つめた。
「今は信じよう、俺とお前の息子を。そして、それを支える娘を」
青い空の彼方に向けて、オズワルドは祈る。
「無事に帰って来い」と。