ターン83 女神とのドライバーズミーティング
ウチは貧乏。
だから俺がレースをやるって言い出した時、父さんは反対してもおかしくはなかった。
実際、母さんは反対したしね。
それなのに父さんは迷いなく、俺がレースすることを応援してくれた。
反対する母さんを、説き伏せようともしてくれた。
去年シートを失って不貞腐れてた俺の目を、覚まさせてくれたのも父さんだった。
色んな人の支援を受けて今まで走り続けてこられたけれど、父さんの力によるところって凄く大きい。
工場を立派に経営して、俺や母さん、ヴィオレッタを食わせているだけでも尊敬している。
感謝もしている。
だからその感謝の気持ちを、素直に伝えただけなのに――
なぜか父さんは、不機嫌そうに顔を歪めてしまった。
「バカ、言うのが早えよ。まだ、カートの世界一決定戦じゃねーか」
父さんにとっては、カートの世界一決定戦でも「まだ」なんだ。
すると、やっぱり――
「ランディ。お前、『ユグドラシル24時間耐久レース』のテレビ中継を観たことはあるだろう?」
「そりゃ、もちろん。毎年家族一緒に、観てるじゃないか」
「教材としてだとかドライバー目線でとかじゃなくて、観客目線で観たことはないだろ? ……ユグドラシル24時間は最高峰のレースであると同時に、世界最大のお祭りでもあるんだ。観客動員数が、どれぐらいか知っているか?」
「うーん。かなり、お客さん入っているみたいだったね。50万人ぐらい?」
最盛期のF1日本グランプリの観客動員数が、3日間で36万人ぐらいだと聞いたことがあった。
モータースポーツ人気が高いこの異世界では、それを軽く超えるんじゃないかと予想して答えたんだけど――
「去年が、約207万人だそうだ」
次元が違った――
何? その人数?
そりゃあ大きな島をグルッと周る、1周25kmの超ロングコースだからな。
入れようと思えば、入るんだろうけどさあ。
そんなに大勢集まるわけ?
レースウィーク中は、人口密度がとんでもないことになっていそうだ。
「そんな観客動員数だからよ、当然グランドスタンドは超満員なわけだ。そのスタンドに、俺、母さん、ヴィオレッタの3人が、並んで座っている」
――ん?
それ、父さんの妄そ――夢の話かな?
俺が出場するんなら家族用にピットへの通行証を発行してもらうから、観戦場所はスタンドじゃないよ?
「最終コーナーの『リヴァイアサンベンド』を、紅白に彩られたマシンが甲高い排気音を響かせながら立ち上がってくる。ステアリングを握るのは、白地に青いラインが入ったヘルメットのドライバー……ランドール・クロウリィだ!」
俺も父さんと一緒になって、妄想してみる。
いいね、その光景。
色々と滾るよ。
「チェッカーフラッグが振られた。優勝はランドール・クロウリィの駆るレイヴンワークス1号車、〈RRS〉GT-YD! 俺の隣で観戦していたおっさんが、ランディの走りをファンタスティックだと褒め称える。そこで俺は、言ってやるのさ。『あれは俺の息子だぜ』ってな」
「ははっ、壮大な夢だね。わかったよ。感謝の言葉を口にするなら、そこまで行ってから言えってことだね?」
ところが父さん、首を横に振りやがった。
どういうことだ?
「今のは単なる、俺の妄想だ。別に、実現しなくたって構わない。お前が自分の夢に向かい、全力で走っている姿を見られれば俺は満足なんだ。ただな……」
父さんは、一旦言葉を切った。
ひとつ咳払いを入れて、慎重に言葉を選びながら続きを話す。
「お前はまだ、若いんだ。そりゃ、魂の年齢はもうオッサンなのかもしれないけどよ……。肉体はまだ、15のガキだ。多少向こう見ずで、根拠のない自信に満ち溢れていてもいいんじゃないのか?」
あ――
父さんに言われるまで、気付かなかった。
最近の俺、小さくまとまろうとしてないか?
レイヴン自動車メーカーチーム入りのオファーをもらって、プロのドライバーになれる可能性は高まった。
だからといって、それをゴールだと考えていないか?
パラダイスシティGPだって、「ついにここまで来たぜ」みたいな気持ちになってしまっていた。
思い出せよ。
俺は挑戦者だろう?
攻める気持ちを忘れたら、あっという間にチギられて負けるぞ。
「……うりゃっ!」
俺は狭い工場内で、得意の後方宙返りをヒラリと決めた。
いまの1回転で、気分も転換だ。
「先に寝るよ、父さん。明日からまた、全力で走る。ユグドラシル24時間に向かってね。おやすみ!」
「おう、いい夢見ろよ」
俺は音もたてずに階段を駆け上がり、自分の部屋へ。
ちゃちゃっと風呂の準備をして、浴室へとコースイン。
シャーロット母さんと妹のヴィオレッタが呆れるほどの猛スピードで風呂を済ませ、ベッドに入った。
いい夢見ろ――か――
よく見る、サーキットを攻める夢だったらいいのにな。
夢の中ならタイヤ代も燃料代も、走行料金もかからないからね。
布団の中で何回か深く呼吸すると、あっという間に意識が溶けてまどろむ。
俺は睡眠も、ロケットスタートなんだよ。
――それではみなさん、おやすみなさい。
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気が付けば俺は、暗い空間にいた。
転生してくる前にいたのと同じ、深い闇の中だ。
俺の周囲1mぐらいだけ、頭上から光が降り注いでいる。
それを受け、地面が白く輝いていた。
俺の視点は地面に近い位置にあったから、よく見える。
真っ白な地面だ。
材質は、石でできているのかな?
なんで地面に視点が近いかというと、俺の姿勢に原因がある。
――正座だ。
寝間着姿の俺は、白い地面に正座したままうなだれていた。
前方からは、猛烈なプレッシャーが吹きつけてくる。
今朝、学校で感じた悪寒と同種のものだ。
突然、俺の前方にも上から光が降ってきた。
その光は1人の人物――いや、1柱の女神を照らし出す。
日曜日にその名を冠する、美しき戦女神。
俺をこの世界に転生させた、リースディース様だった。
「ランディ。君は日々、真面目に頑張っていると思ったのだがな……」
が――頑張っています。
頑張っていますとも!
「後輩に、私のことを年増扱いしたローラという奴がいてな。彼女がどうなったか、聞きたいか?」
「き……聞かなくていいです! な……何を言っているんですかね? そのローラ様は。リースディース様は、若くてお美しいのに」
必死だ。
俺はレースの時以上に、必死だった。
神様達は、心の中まで覗けるのか?
「女の子って年じゃないよな?」なんて考えたことは、絶対に知られてはならない。
白い甲冑に身を包んだ美しき金髪の女神は、その気になれば俺を消し飛ばしてしまうぐらいの力はあるはずだ。
向かい合っているだけで、それをビリビリと感じる。
額やこめかみを、冷たい汗が伝った。
膝の上に置いた手の平も、じっとりと濡れている。
「ふん、まあいいだろう。『女の子って年じゃない』は、事実だしな」
ああ~、やっぱり。
心の声が、聞こえている。
でも、リースディース様のことを若くて美しいと思っているのは本当なんです!
メッチャ好みのタイプなんです!
神様じゃなかったら、お付き合いしたいぐらい!
「……ふっ。そう言ってくれるのは嬉しいが、言う相手を間違っているぞ? それに私は、人妻だしな」
な――何ぃ!?
人妻だとぉ!?
なんてこった、それは残念――
いや、それはそれで燃えるか?
それにしても旦那さんって、どんな人――じゃなかった、神様なんだろう?
こんなに凛々しくて綺麗なリースディース様の旦那さんなのだから、きっとしっかり者なんだろうな。
一途に彼女を愛する男神に、違いない。
――あっ。
リースディース様の台詞でもうひとつ、気になる部分があったな。
「リースディース様。俺が、好意を示すべき相手を間違えていると仰ってましたね。ならば、示すべき相手は誰なんですか? クラスメイトの淫魔族からも、言われました。俺の心の中には、誰かが住んでいるって」
その質問にリースディース様は眉を寄せて、困ったような――そして少し、悲しいような表情をした。
「それは……。私が言葉で語っても、意味のないことだな。いつか、彼女を思い出す日がくるのかもしれない。……あるいは思い出せない方が、君は幸せなのかもしれないが」
「そんなことは、ないと思いますよ。どんなに辛い思い出でも、存在しないよりはずっといい」
「……フリードの使徒だったあの男も、そんなことを言っていたらしいな。君達は水と油なようで、本質はそっくりだ」
フリード?
この世界の金曜日にその名を冠する、自由神フリードのことか?
自由神の使徒と、俺が似ている?
「『フリードの使徒』とか『あの男』とか、また意味深なワードが出てきた……。謎ばっかり、増やさないで下さいよ」
「新しい人生を生きている君にとっては、彼女もあの男も通り過ぎた過去のことだ。レーサーというものは、前だけを向いて走る人種だろう?」
「いやいや。けっこうバックミラー見るのに、忙しいんですよ?」
リースディース様は何でも知っているように見えて、モータースポーツには疎いみたいだ。
この世界を管理しているという、樹神レナード様なら詳しそうだな。
「そういえば……。俺はこの世界に転生してから、いちどもレナード様にお会いしていません。俺をこの世界に転生させるよう、オファーをくれたのはレナード様なんですよね? お礼を言いたいのですが……」
「そうだ、思い出した。レナードから君に、伝言がある。『世界樹の根元で待つ』だそうだ」
ユグドラシルの根元――
そこには1本のトンネルが通っている。
トンネルを貫く道路は、片側4車線とかなり道幅が広い。
なぜかユグドラシルの根っこは、そのトンネルや道路を侵食することはないらしい。
そしてそのトンネルは、ユグドラシル24時間耐久レースでコースの一部――「サンサーラストレート」として使用されている。
『ユグドラシルの根元で待つ』という伝言は、ユグドラシル24時間に参戦できるドライバーになれという激励に他ならない。
俺はレナード神に、期待されている。
そう思うと胸に、手足に、熱が宿る。
いや。
足は正座中で痺れているから、やっぱりよくわからないや。
「レナードは転生させてきたドライバー全員に、同じことを言うんだ。クリス・マルムスティーンとかも、言われているぞ?」
凹んだりしない。
俺はその程度で、凹んだりはしないぞ!
転生レーサー全員に言っているってことは、あのアクセル・ルーレイロやデイヴ・アグレスだって言われたんだ。
彼らスーパーヒーロー達と同じ期待を掛けられていると思えば、テンション上がるじゃないか。
「なんにせよ、レナード様にお会いする為にはユグドラシル24時間に参戦するしかなさそうですね」
「そうだな。私もレナードと一緒に、君の走りを見守っているよ」
真っ暗だった地平の彼方に、朝日が差した。
闇一色だった空は、朝焼けに染まってゆく。
リースディース様の髪に陽の光が反射して、金色を際立たせた。
「さあ、行け。我が使徒セ……ランドール・クロウリィよ! 今度こそ、自他共に認める英雄となれ!」
リースディース様の言葉は正座をやめてもいいって意味だと解釈し、俺は立ち上がった。
――そして、立ち上がるのに失敗した。
足の痺れが、予想以上に酷かったんだ。
バランスを崩し、体が傾く。
その結果、凄い勢いで地面が迫ってきた。
「あの男」、「リースディース様の旦那さん」については本作で語られませんし、物語に影響することもありません。
どうしても気になる方は、下のリンクから「解放のゴーレム使い~ロボはゴーレムに入りますか?~」を読んでいただけるとスッキリします。