ターン82 世界一決定戦へ向けての抱負
レース翌日、月曜日。
学生の俺には、当然学業が待っている。
勝利の余韻は、まだ消えていない。
フワフワした気分のままだったけど、体は勝手に朝早く目覚め、無意識の内に早朝トレーニングを終え、何も考えないままバスに乗り登校してきた。
習慣って、恐ろしい。
何も考えないまま登校してきて、俺は今ちょっと後悔している。
「おい、ランディ! ラウネスネットのニュース観たぞ! 国内スーパーカートの年間王者になったって?」
「私なんて、動画配信サイトで生中継見てたもんね! 凄いわね! 競り合ってた相手の選手、プロドライバーの人なんでしょう? 解説の人が言ってたよ」
「パラダイスシティGPに出るんだって? スゲエな! あれに出た人って、プロドライバーになれるんだろう? ランディも、プロになるのか?」
こんなに同級生達から取り囲まれ、質問攻めにされるとはね――
もっと、始業ギリギリの時間に来ればよかった。
去年グレている間は誰も寄ってこなかったけど、レースに復帰した今年からは少しずつクラスメイト達との距離が戻っている。
「にひひひ……。なあ、ランディ。サインくれないか?」
同級生の1人。
狐の耳と尻尾を生やした小柄な獣人男子が、色紙の束と油性マーカー3本を手に近寄ってきた。
おいおい。
いったい何枚サインを書かせるつもりだよ!
「ごめん。まだサインの書き方とか、考えてないから」
俺はそう言って、サイン攻勢をかわす。
本当にまだサインなんて考えたこともなかったし、どう書けばいいのか全然わからない。
「ねぇ、ランディ君。今、付き合っている女の子とかいるの?」
そう言ってメリハリの激しいワガママボディをすり寄せてくるのは、種族が淫魔族の女の子。
同級生男子の半数を食ったと噂の妖艶美少女、アンジェラさん。
彼女はハート形の尻尾で、俺の背中をつついてくる。
これって、一種の逆セクハラじゃなかろうか?
尻尾を持つ種族にとって、尾はむやみに触れてはいけない部位のはずだ。
「付き合っているコ? いるよ」
俺の返答に、女子達がざわめいた。
キャー! と黄色い声を上げつつ、男子達を押しのけて俺の机を取り囲む。
そのまま尋問が開始された。
「ランドール選手。お相手の女性は、どのような方ですか? 一般人女性ですか?」
眼鏡をかけたおかっぱ頭のエルフ女子が、マーカーをマイクに見立て突きつけてくる。
これ、さっき狐耳獣人君が俺にサイン書かせようと持ってきたヤツだな。
やめてくれ!
マイク向けられるのは、苦手なんだ!
それに相手は「一般人女性ですか?」だなんて――
俺は、芸能人じゃないっての!
「えーっと、その……。あの……。まずは銀色で……」
俺の言葉に、女子達はさらにヒートアップ。
「ま……まさか、チームの監督にしてオーナー。ルイスグループのご令嬢、銀髪ドリルヘアのマリー・ルイスさん?」
マリーさんは、校内でも有名人だ。
成績いいし、可愛いし、お金持ちだし、やることなすこと派手だもんね。
盛り上がっているところ悪いけど、付き合っているのは彼女じゃない。
「最初はちょっと、気難しいコだなって思ったんだ。でもじっくり時間を掛けてコミュニケーションを取っていくと、すごく素直で頑張り屋さんないいコだっていうのが分かってきてね」
俺の出したヒントを受けて、周りの女子達が自分の推理を展開し始めた。
なんで女子って、こうも他人の恋愛話で熱くなれるのかな?
「6学年上のケイト・イガラシ先輩じゃない? 初等部の頃から、ずっとつるんでいたんだもの。ランディ君って、年上好きそうだし」
「それは単に、同じチームだからでしょう? ランディ君は初等部時代から、1学年下のルドルフィーネ・シェンカーと付き合っているって噂だったのよ」
「違うわ! ランディ君はジョージ・ドッケンハイム先輩と、禁断の愛に身を焦がしているのよ!」
――待て!
最後のは、聞き捨てならないぞ!
温泉で見たジョージの裸体を思い出して、気分が萎える。
チャンピオン獲得の喜びもパラダイスシティGP出場のワクワク感も、ジョージのせいで全部押し流されてしまった。
「それで? ランディ君、次のヒントは?」
「えーっとね。パワフルで、信頼できて、声が素敵で……。タイヤが4つ付いている」
俺には、聞こえたような気がした。
ピシッ! という、ガラスにヒビが入ったような音が。
俺の話に興味を失くした女子達は、無言&無表情で席に戻っていった。
「ランディ~。俺達は、けっこう好きだせ。お前のそういう、残念なところ」
男子達は女子達に代わって俺の机を囲み、やさしく励ましてくれた。
ありがとう、みんないい奴らだな。
やっぱり男同士の方が、気楽でいい。
――おっと!
男が好きって意味じゃないからな!
「ふぅん……。冗談で、煙に巻かれちゃった感じね」
あら?
まだ女子が1人残っていた。
黒髪の淫魔族、アンジェラさんだ。
彼女はふっくらした唇を俺の耳に近づけ、甘い声でそっと囁いてきた。
「私達淫魔族には、なんとなく分かっちゃうのよ? あなたの心の中に住んでいる女の子は、誰?」
誰? なんて聞かれても、返答に困る。
そんな子、俺の心に住んでいますか?
うーん。
戦女神リースディース様?
憧れはあるんだけど、女神様だしなあ――
それにリースディース様はたぶん、数千歳とか数万歳。
「女の子」って年じゃあ――
俺の背中を、言いようのない悪寒が走り抜けた。
ここは平和な教室で、身の危険を感じる要素なんてないはず。
だけどこの悪寒は、生命の危機レベルのヤツだ。
度胸が必要といわれる高速コーナー、鈴鹿サーキットの130Rに突入する時よりも恐ろしい。
「あら? どうしたのランディ君? 怯えちゃって。君の好きな子は、ちょっとおっかない子なのかしら? ……まあ、これぐらいで許してあげるわ」
尻尾をフリフリしながら、アンジェラさんは自分の席に戻ってゆく。
担任の先生が来たから、残って取り囲んでいた男子達も自分の席に戻って行った。
ふーっ、やれやれ。
これでやっと、ひと息つけるよ。
そう思って気を緩めていたところに、担任の先生から予想外の一撃がきた。
「あ~。知っている者も多いかと思いますが、我がクラスのランドール・クロウリィ君が国内スーパーカートのチャンピオンになりました。あの有名な『パラダイスシティGP』への出場も、決まったそうです。これは、大変すばらしい功績です。なのでランドール君にはパラダイスシティGPに向けて、何か挨拶とか抱負を語ってもらいましょうかね?」
せ――先生!
そういうのは、もっと早く言って下さい!
いきなり挨拶や抱負を語れだなんて、大勢の前で喋るのが苦手な俺にとっては凄まじい無茶振りですよ?
もはや拷問や、虐待と言ってもいい。
訴えてやる。
初老の人間族である先生は、穏やかにニコニコと微笑みかけてくる。
俺が訴訟も辞さない覚悟でいることに、ちっとも気がついていない様子だ。
いつの間にか、教室中からランディコールが発生していた。
こいつら――
俺がこういうの苦手だってのは、知っているはずなのに――
しどろもどろな演説が、そんなに聞きたいのか?
俺は周りのクラスメイト達と担任の先生に恨みの視線を振りまいてから、渋々と教室の前方に歩いていった。
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「……っていう出来事が、今日学校であったんだよ。父さん」
場所は実家、クロウリィモータースの工場内。
俺は今、オズワルド父さんの仕事の手伝いをしている。
「ワッハッハッハッ! そいつは災難だったな、ランディ。……ってこのやり取り、前にもやった気がするな」
会話しながらも、父さんはテキパキと手際よく作業の準備を整える。
今から行うのは、ブレーキ液から気泡を抜くエア抜きという作業だ。
工具を使えば1人でできないことも無いけど、2人1組でやった方が効率がいい。
父さんの合図に合わせてブレーキペダルを踏むために、俺はお客さんの車の運転席に座っている。
転生してからずっと、小さくなってしまった体をもどかしく思っていた。
だけど今はもう、乗用車のペダルやハンドルに余裕で手足が届くようになっている。
すでに、前世で成人だった時の身長を超えた。
現在は、178cm。
今世はかなり背が高くなりそうで、嬉しい。
でもあんまりデカくなると、レーシングカーの狭い運転席に収まりきれなくなっちゃうかもな。
「よし。それじゃ、ブレーキを何度か踏んでくれ~。そのままキープ……。リリース」
指示されたタイミングに合わせて、俺はブレーキペダルをがぶったり、踏んだままにしたり、戻したりを繰り返す。
父さんは4輪それぞれのブレーキキャリパーに付いたバルブから、確実に空気を抜いていく。
空気が噛みこんじゃうと、ちゃんとブレーキが効かなくなって大変だからね。
俺も真剣に手伝っているよ。
「よっし、完璧だ。ご苦労さん、ランディ」
「他に、手伝えそうな作業はあるかい?」
俺は手が空いている時は、なるべく父さんの仕事を手伝うようにしている。
親孝行というのもあるけれど、大半は自分のため。
車のメカニカルな部分を勉強するのは、ドライバーとして当然のことだ。
どこがどういう風に動いているかきちんと理解していないと、速く走らせることなんてできやしない。
「いや、もうこれでおしまいだ。早くストレッチして寝て、明日のトレーニングに備えろ」
シッシッと、俺を工場から追い出すように手を振る父さん。
分かっているさ。
これも俺を早く休ませようという、気遣いからの仕草だ。
俺は工場出口で立ち止まり、父さんを振り返る。
「……ねえ、父さん」
「ん? なんだ? ランディ」
「ありがとうね。父さんが俺を応援してくれていたから、ここまで来ることができたよ」