ターン80 デッドヒートの結末
「ダレルさんのマシン……。いったい何km/h出てるんだよ……」
地球でレースやってた頃から変わらない、白地に青いラインが入ったデザインのヘルメット。
その中で俺は舌打ちし、ぼやいていた。
前を行くダレル・パンテーラさんとの差は、もうほとんどない。
ピッタリと後ろに張り付いた、テール・トゥ・ノーズの状態だ。
レースは残り3周。
ダレルさんは、レースが半分を過ぎた辺りから少しづつペースを落としていた。
タイヤを途中で使い切ってしまわないよう、コントロールしているんだと思う。
おかげで割とあっさり、追いつくことができた。
俺の方は、タイヤがまだまだ元気だからな。
だけど直線に入るたびに、引き離される。
俺の最高速は、手元のデータロガーによると244km/h。
ウイングを目いっぱい寝かせて、最高速重視のセッティングにしているのにな。
ダレルさんには、届かない。
たぶん向こうは、250km/hぐらい出ている。
直線スピードが速い車を追い越すのは、至難の業だ。
仕掛けるなら曲がりが連続する、第2区間しかないだろう。
幸い旋回スピードは、俺の方が速い。
タイヤが元気だという理由の他に、燃料タンクが軽いという理由もある。
そう。
今回はケイトさんが計算して、燃料搭載量をガス欠ギリギリまで攻めているんだ。
わずかな重量差だけど、車重の軽いカートだから影響も大きくなる。
そうして授かった軽さのおかげで、タイヤに掛かる負担も少なかった。
おかげでこうして、ダレルさんに追いつくこともできた。
その代わり俺は、燃料の一滴も無駄に出来ない繊細なアクセルワークを要求されたけどね。
ただ、直線スピードの差だけは埋めようがない。
最終コーナーでダレルさんの背後にベッタリくっついて立ち上がっても、直線後半では引き剥がされてしまう。
相手を風よけに――スリップストリームを、使っているのにもかかわらずだよ。
車を押し戻そうとしてくる硬くて重い大気の壁から、俺は必死で逃げ隠れしているっていうのにさ。
ダレルさんのマシンは、そんなもん知るかとばかりに大気の壁をグイグイ押し戻す。
同じ排気量のマシンなのに、この差は理不尽だ。
「理不尽だけど……。やるっきゃないね」
俺にはふたつの選択肢があった。
ひとつは何度も追い越しを仕掛け、ダレルさんのミラーに俺の車を大きく映してプレッシャーを掛けまくる。
そうすることによって、ダレルさんのミスを誘う作戦。
もうひとつは――
『ランディ君。最後の1周で、1発勝負や。最後が1番、マシンの旋回スピード差が開くで』
いまケイトさんが、無線で言ってきた方法。
無駄なアタックをせず、ここぞという瞬間に備えてタイヤを温存するってプランだ。
確かにダレルさんのタイヤは消耗する一方だし、俺は燃料タンクが軽くなる。
最後の1周の第2区間が、仕掛ける最大のチャンスだろう。
1発勝負か――
失敗したら、第3区間は高速区間。
エンジンパワーにものをいわせたダレルさんに、置いていかれてしまうだろうな。
そうなったらもう、抜き返すポイントは無い。
それでも――
「マリーさん。ケイトさんの言う通り、1発勝負で行くよ。ダレル・パンテーラほどのドライバーに、ミスを期待するのは失礼ってもんだろう?」
『いいでしょう。ワタクシも、あなたとケイト様を信じます』
「マシンを仕上げたジョージの奴も、信じてやってくれよ」
ここで俺は、無線の交信を切る。
プランは決まったし、腹も括った。
あのオッサン顔のムキムキドワーフを、料理してやる。
ラスト3周のうち2周、俺はダレルさんに食らいつきながらも大人しく走った。
少しでもタイヤをいたわり、余力を残すんだ。
――そして最後の1周。
勝負の時がやってきた。
ダレルさんに続いて、俺はテクニカルな第2区間に突入する。
まずは右に大きく回り込んだコーナー、100R。
100Rっていうのは、半径100mの円と同じ曲率で曲がっているコーナーって意味だ。
俺はアクセルを全開。
ダレルさんは――全開では行けない。
もうタイヤが、限界なんだ。
そのわずかなアクセルオフを、見逃すはずがないだろう?
俺は外側から、ダレルさんのマシンに車体を被せる。
――と、そこで100Rは、急激に曲率を60Rへと変化させた。
ここは奥で急激に曲がり込む、複合コーナーなんだ。
曲がりながらのブレーキングを要求される。
なるべく外側まで道幅を使って、ハンドルを真っすぐにした状態でブレーキングしたいところ。
だけどダレルさんの外側には、俺がいる。
へへへ。
窮屈な走行ラインになっただろう?
その結果、ダレルさんのブレーキングは甘くせざるを得なかった。
銀色に塗られた俺のマシン先端が、ダレルさんの紅白ノーズより少し前に出る。
次のコーナーは、左の20R。
ヘアピンカーブだ。
今度は俺が内側になり、有利。
ところがダレルさんも、ワークスドライバーの意地を見せてきた。
ヘアピンであえて内側につかず、旋回半径を大きく取って速度を上げる走り方をしてきたんだ。
俺の外側を塞ぎ、アクセルを踏ませてくれない。
もちろん俺も、黙って見ているわけじゃない。
幅寄せして、自分のスペースをこじ開ける。
相手がコースアウトしない程度にだ。
昔ゲームでエリックさん相手に、エゲツない幅寄せをしたオズワルド父さんとは違うんだよ。
ヘアピンを立ち上がった時、ダレルさんは俺より少し遅れていた。
大回りして、長い距離を走ったせいだな。
だけど、ここからが怖い。
次のS字コーナーまでの短い直線。
わずか150mしかないここでも、ダレルさんの背中にあるスペシャルエンジンは猛威を振るった。
グイグイと車速を伸ばし、再び俺の真横へと躍り出る。
俺達2人の眼前に迫るのは、7%の下り勾配がついたS字コーナー。
ダレルさんは、短いけどハードにブレーキング。
一方の俺はというと――
軽いブレーキングで、S字に突っ込んだ。
度胸任せのバンザイアタックじゃない。
行けるという確信があった。
「マシンのことも、信じているからね」
遠心力に耐えきれず、後輪が少しスライドする。
だけど滑る量は、本当に少しだけだ。
タイヤはすぐに食い付きを取り戻し、大地を蹴って加速を始める。
これで完全に、俺はダレルさんの前に出た。
けれど、まだ安心はできない。
コース後半にはクランク状に曲がったシケインがあるし、その後は最終コーナーからホームストレートまで長いアクセル全開区間が続く。
シケインをリズム良く、しっかりスピードを乗せてクリアしなければ、最終コーナーからホームストレートのスピードが伸びなくなってしまう。
そうなればコントロールラインを越える前に、抜き返されてしまうだろう。
もちろんシケイン手前のブレーキング競争で、刺されてしまうのは論外だ。
さあ来い!
ダレル・パンテーラ!
俺とマシンの力。
全てを出しつくして、あんたのアタックをしのぎ切ってやる!
重力を味方につけ、速度をたっぷり乗せながらS字を駆け下り、俺はシケインを目指す。
――ここだ!
ここが今のマシンとタイヤにとって、最高のブレーキングポイント。
4輪が路面を引っ掴んだ。
非現実的な速度の世界を走っていたマシンと俺を、シケインを曲がり切れる現実的な速度の世界へと連れ戻す。
駆動輪である後輪がロックしないように――だけどなるべく強くエンジンブレーキが効くように、素早く、滑らかにシフトダウン。
俺のレースキャリアでも1、2を争う、最高のブレーキングだ。
これについて来れるか?
ダレルさん?
俺がブレーキングを終え、シケインへ進入しようとした時だ。
ダレルさんのマシンが、突然バックミラーから消えた。
「どこだ!?」
シケインを右から左に切り返しても、まだミラーに映らない。
どういうことだ?
動体視力チートな俺が、すぐ後ろのマシンを見失うなんて。
くそっ!
見えないのなら、気配を探れ。
あのけたたましいレイヴンエンジンのサウンドが、聴こえなくなるなんてあり得ない。
耳を澄ませろ。
ミラーの死角に潜んで、俺の背後から抜き返すチャンスを伺っているはずなんだ。
――おかしい。
俺のエンジン音しか、聴こえない。
耳がおかしくなっちまったのか?
でも、自分のエンジン音は聞こえるし。
そこで、ふと思いついた。
俺とダレルさんは、死闘を繰り広げていた。
コースサイドのカメラが、その争いを追っていないはずがない。
当然チームの皆はモニターにかじりついて、バトルの経過を見ていたはずだ。
俺はハンドルに備え付けられた無線の交信ボタンを押し、チームに助けを求めた。
「マリーさん、教えてくれ! ダレルさんはどこだ!?」
交信している間にも、俺は最終コーナーを走り続けている。
ホームストレートに入ったら、ダレルさんがもういちど仕掛けてくるのは間違いない。
想像したら背中とこめかみを、嫌な汗が伝っていった。
元々長く曲がり込んでいる最終コーナーだけど、この周はやたらと長く感じる。
マリーさん、早く――
早く無線を返して、ダレルさんの居場所を教えてくれ――
俺はひたすら祈りながら、ホームストレートへと飛び込んだ。
『ランディ様、落ち着いて下さい。あなたの勝ちですわ』
鈴の音――
いや。
マリーさんの声が、無線から届く。
背中のエンジンが放つ毎分16000回転オーバーの狂おしい叫び声が、一瞬だけ止まったような気がした。
『エンジン大破です。ダレル・パンテーラは、シケインで止まっています。もう誰も、あなたを止める者はいない』
それを聞いた俺は、走行ラインを右端――コンクリート壁ギリギリに寄せる。
ウォールの上からは、みんなの顔が覗いていた。
ジョージ。
ケイトさん。
マリーさん。
ヴィオレッタ。
ベッテルさんにキンバリーさん。
他のスタッフ達も――
みんな思い思いに拳を振り上げたり、人差し指を空へと突き上げたり、サムズアップしたり――
そんなみんなの下を、俺は走り抜ける。
「ヒャーッハァー!! ◎■×♪@△……」
もう自分でも、何を叫んでいるのかよく分からない。
嬉しくって、思考回路がめちゃくちゃだ。
俺は何度も左拳を天に突き上げながら、チェッカーフラッグを受けた。