ターン8 振り向けば●●●●
ゆっくりと、瞼を開く。
俺が目覚めた場所は、クロウリィ家の自室だ。
今日は、俺の運命を決める日。
ドーン・ドッケンハイム監督率いるRTヘリオン、オーディションの日。
寝覚めはいい。
頭がやけにすっきりして、視界がクリアに感じる。
窓の外から聞こえる小鳥の囀りも、やけに鮮明だ。
ベッドから降りた俺は、体操で体をほぐしてみた。
屈伸や背伸び、肩を伸ばしたり。
絶好調だ。
関節の可動域は広く、スムーズに動く。
体全体が軽い。
こういう日は、良いタイムが出るんだ。
今日の俺は、速い。
カーテンと窓を開けて、外の天気を見た。
雲ひとつない青空が俺を見下ろし、冷たい外気が纏わりつく。
いい天候だ。
雨など降れば、当然周回タイムはガックリと落ちる。
そうなったらオーディションの日取りは変更ということで、俺もドッケンハイム監督も納得していた。
心配は、無用だったようだけど。
そして気温も、いい感じに低い。
低い方が、エンジンのパワーは上がる。
空気が縮んで、同じ体積中にある酸素の量が増えるからだ。
車のエンジンは、吸い込んだ酸素の量でパワーが決まってしまうからね。
地球でも冬場は夏場より、2秒近くタイムが速くなるなんてこともザラだ。
良い条件が、揃っている。
さあ、やるぞ。
ドッケンハイムカートウェイにおけるキッズ用レンタルカートのコース最速記録を、更新するんだ。
俺が提示し、ドッケンハイム監督が呑んだオーディションの合格条件がそれだった。
窓から差し込んでくる朝日に向かい、俺は宣言する。
「行ってくるよ、地球の父さん、母さん、兄さん。俺はこの世界でも、シートを手に入れてみせる」
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今日はイフリートの日。
地球では火曜日に当たる曜日で、我が家の整備工場「クロウリィ・モータース」は定休日だ。
「それじゃあ、シャーロット。行ってくる」
「あなた、気を付けて」
母さんに見送られて、俺とオズワルド父さんは車に乗り込む。
国産自動車メーカー、シャーラ社製のバンだ。
今日は父さんの友人に、会いに行く。
友人が転生者である俺に興味を持ち、ぜひ会ってみたいと言っている――
――という話になっていた。
もちろん、でっち上げ話だ。
本当の目的地は、友人宅なんかじゃない。
ドッケンハイムカートウェイだ。
下手に父さんに話を合わせたり演技をしようものなら、1発で母さんに嘘を見抜かれてしまう可能性があった。
なんせ俺は、大根役者オブ大根役者だからな。
なので母さんに目線を合わせたり、喋らないようにしている。
本を読むことに、熱中しているフリだ。
これならば、さすがにバレないだろう。
「ランディ。車の中で本なんて読んでたら、酔っちゃうわよ」
「……うん」
危ない、危ない。
そもそも、本を読むのが不自然だったか。
俺は現在の愛読書、「稼げるラウネスネットビジネス」を閉じた。
見送る母さんとは反対方向の窓から、外の景色を見て誤魔化す。
「おにーちゃん、いってらっしゃい」
誤魔化し中止!
母さんの隣で手を振り、俺を見送ってくれる天使がいた。
溢れる妹愛を笑顔に込めて、俺はヴィオレッタに手を振りまくる。
うん。
これは演技じゃないから、不自然さは無いだろう。
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「やっぱりランドールは、お前の息子だったか。……オズワルド。クロウリィってファミリーネームを聞いた時、ひょっとしたらと思ったんだ」
「ドーンさん、ご無沙汰しています」
あれ?
「父さんは、ドーンさんと知り合いだったの?」
ドッケンハイムカートウェイに到着した俺は、お互いを紹介しなければと意気込んでいた。
なのに2人は知り合いだったようで、拍子抜けだ。
「ああ。昔、俺と友人が世話になってな」
「懐かしいな……。シャーロットは元気か?」
「ええ。おかげ様で、2人目も無事産まれまして」
「そうか、おめでとう。なあ、オズワルド。ちょっと気になったんだが……。ランディがカートをやることに、シャーロットは賛成しているのか?」
「それは……」
「やっぱり……か……」
ああ。
なんか不味い流れだ。
ドーンさんは父さんだけでなく、母さんとも知り合いらしい。
母さんが反対していると知ったら、オーディションもチーム入りの話も白紙に戻るかもしれない。
「ドーンさん。母はモータースポーツに、お金がかかることを気にしているんですよ。俺が結果を出して、資金の心配をしなくて済むようになれば、応援してくれると思います」
嘘は言っていない。
母さんは、お金のことを気にしていた。
嘘じゃないから、うまくドーンさんを言いくるめられるだろう。
アカデミー賞大根役者部門ノミネートの俺でもな。
「うむ……。シャーロットの気持ちも分かるが、そろそろアイツも過去を振り切っていい頃だ。本来は、レース大好きな奴なんだからな」
よっし!
俺が思う方向に、誘導できた。
ドーンさんが語る、母さんの過去とやらがちょっと気になるけど。
「だからランディ、今日の走りで結果を出せ。いつだって周りの者は、ドライバーが出す結果についてくるもんだ。ワシのチームに入り、お前の父さんや母さんとも一緒にレースをやろう」
「また、あの頃みたいになれますかね? 俺とシャーロットは……」
父さんの目は、カートコースのピットを見ていた。
ピットっていうのは、マシンの整備をしたりするためのスペースだ。
このドッケンハイムカートウェイのピットは、観客席の下に作られている。
観客席が屋根になり、雨をしっかり凌げる構造になっていた。
父さん、何を見ているんだ?
そこのピットは空いていて、誰もいないよ?
それともそこに、ドーンさんの言う母さんの過去があるの?
空のピットを見つめる、父さんの瞳は優しい。
何か、ひどく懐かしいものを見ているみたいだ。
振り返ればドーンさんも、父さんと同じ目でピットを見つめていた。
そんな目で、見つめているんだもんな。
きっと2人が見ているものは、素敵な過去――というより、思い出なんだろう。
OK。
わかったぜ、父さん。
その思い出、俺が取り戻す!
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俺はレンタル用の青いカート用グローブと、レーシングスーツを借りて着替えた。
靴は残念ながらレンタルしていないそうなので、普段の子供用運動靴だ。
本当は靴底が細くて薄い、レーシングシューズを使いたかった。
幅が広い普通の靴だと、ミスに繋がるからだ。
カートは足のすぐ横にアクセルワイヤーやブレーキワイヤーがあるから、それに靴が当たってしまうと意図しない加減速を行ってしまう。
それにソールが薄い方が、ペダルの感覚も伝わりやすい。
ま、仕方ないね。
スーツやヘルメット、そして今回のマシンのレンタル代までタダでいいってドーンさんが言ってくれたんだ。
贅沢言っちゃ、罰が当たるってもんさ。
ホント、父さんがドーンさんと知り合いで良かった。
「ランドール。オーディションの合格条件を、確認しておくぞ」
ドーンさんの言葉に、俺は頷く。
「レンタルカートの占有走行時間、15分間。その間にお前は、幼児向けレンタルカートのコースレコードを破らなければならない」
コースレコードっていうのは、そのサーキットの最速記録。
マシンのクラスごとに記録され、そのタイムを打ち立てた者は伝説として語り継がれる。
そのタイムが、打ち破られるまではの話だけど。
レーシングマシンというものは年々速くなっていくから、次の年にはあっさり更新されちゃったりするんだよね。
「コースレコードは、48秒247でしたよね?」
最初にこのレコードタイムを知った時、俺は驚いた。
レンタルカートっていうのは、乗ったことのない素人さんにカートを体験してもらうためのマシン。
当然、事故らないようにパワーは抑えてある。
ぶつかっても平気なように、頑丈なガードが付いていて重い。
そんな遅いマシンにしては――そして素人さんが乗ったにしては、速過ぎるタイムなんだ。
かといって、幼児用マシンだからなあ。
プロのドライバーが乗って、出したタイムってこともないだろう。
コースレコードは、ラウネスネットでこのコースのウェブサイトを見て確認していた。
その時に、気になったんだ。
レコード保持者の名前。
その姓が。
「ねえ、ドッケンハイム監督。レコードホルダーのブレイズ・ルーレイロって、ひょっとして……」
「僕に何か用か?」
突然背後から言葉を投げかけられて、俺は驚いて振り返った。