ターン79 指令「ラップタイムを揃えろ」
「ふうむ……。ランディ。君は相変わらず、大した自信家ですね」
無線機に向かって話しかけるジョージ・ドッケンハイムの声に、呆れたりランディを非難する色は無い。
ただ淡々と、事実を語るような口調だ。
『そうかい? じゃあ、言い方を変えようか? タイヤが温まったら、ウチの車が1番速いよ』
ランディのマシンはすでに、このスモー・クオンザサーキットの終盤である第3区間に入っていた。
クランク状に曲がったコーナーを抜け、大きく回り込んだ最終コーナーをアクセル全開で駆け抜けている最中だ。
アクセル全開という単純作業中ゆえに、無線でジョージと会話する余裕が生まれていた。
「分かっているじゃないですか」
ランディから返された無線に、ジョージは満足そうに頷いた。
「やれやれですわ。ウチのチームは、ドライバーもメカニックも揃って自信家ですこと」
マリー・ルイス監督は、やや呆れ気味だ。
だがその表情に先ほどまでの焦りはなく、微かな笑みが浮かんでいた。
『マリーちゃん。ランディ君とジョージ君の言う通りや。このパターンは、プランA1。そうなる可能性が、1番高いと踏んでいた展開やで』
ヘッドセット無線機越しに、ケイト・イガラシの声も届く。
マリーはサインエリアから背後を振り返り、ピット内の戦略担当を見た。
ケイトはレースがスタートしてからも、椅子に座ったまま動いてはいない。
ノートパソコンの画面。
順位や周回タイムが表示されるタイミングモニター。
走行中のマシン達を追うカメラ映像。
彼女は様々なモニターに目を走らせ、状況の変化に目を光らせていた。
ケイトの隣にいる、ランディの妹ヴィオレッタも冷静だ。
レースクィーン姿の彼女は、ピットの天井近くに備え付けられたモニターでレース展開を見守っている。
その堂々とした佇まいと自信に満ちた表情からは、兄の勝利を微塵も疑っていないことが伺える。
スタッフ達のランディに対する信頼を目の当たりにして、マリーは少し悔しい気持ちになった。
自分はランドール・クロウリィというドライバーとの付き合いが、まだ短いのだということを実感してしまったのだ。
「……ごめんなさい。ワタクシ、少し冷静さを欠いていましたわ。レースはまだ、始まったばかりだというのに……」
『マリーさん、構わないよ。序盤がキツい展開なのは、間違いない。その他も、色々とギリギリな戦略だ。心配されるのは、仕方ないことさ』
『ランディ君。ウチの戦略に、ケチ付けるん?』
『まさか。信じてるよ、ケイトさん』
『ほな、ウチのマリーちゃんに優勝を献上してな』
『了解! しばらく集中するから、無線は最小限にね』
無線の交信が中断されると同時に、ランディのマシンがマリーとジョージの眼前を駆け抜けて行った。
テントを揺らすほどの風圧を伴い、銀色の矢は大気を貫く。
先頭のダレルとの差は、また少し開いていた。
逆に3位のマシンからは、煽られている。
レイヴンワークスの2台目、カーク・ヘッドフィールドだ。
彼はランディの背後にピタリとつけ、隙あらばブチ抜いてやろうと激しいプレッシャーをかけていた。
だが、ランディは冷静だ。
露骨なブロックラインを取れば、自らのタイムも落ちてしまう。
そうならない最小限のブロックラインを取って、ランディは1コーナーでカークを封じ込めた。
抜けそうで抜けない。
――いや。
抜けそうな隙を感じることすら、ランディの仕掛けた罠だ。
強引に内側へ飛び込んだり外側から被せれば、カークはコースアウトやスピンを喫する可能性が高かった。
クレバーな走りで後続を見事に抑えきっているランディを見て、マリーは安堵の表情を浮かべる。
一方その頃、ピット内ではケイトがニヤついていた。
「『信じる』……やて? 一昨年はウチの手掛けたエンジン・コントロール・ユニットで、エンジン大破しとるんやで? 完全に、忘れとるんやないやろな? でも、そんなに信頼されたら……。応えてみせるしか、ないやんか」
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
俺だけに聞こえる、可愛らしい微かな声。
(しょ……しょうがないわね。そんなに温められたら、仕事するしかないじゃない。べ……べつに好きで路面に食いついているわけじゃないし、アンタの為でもないんだからね!)
車を支えてくれる、黒くて丸くて凄いコ。
タイヤちゃんの台詞だ。
このアースシェイカーズタイヤの性格を表すなら、「ツンデレ」ってところかな?
最初、熱が入っていない間はツン。
ちっとも食い付いてくれない。
おまけに路面からの情報も少なく、手ごたえがほとんど無いというツンツンぶり。
でもしっかり時間を掛けて熱を入れるという愛情表現をしてやれば、路面をハグして離さない情熱的なデレ期がやってくる。
しかもデレ期は、他メーカーのタイヤより長い。
スタートして、2周が経過。
俺はついにタイヤちゃんを、デレ期に突入させるのに成功していた。
ツンなタイヤで3位のカークさんを抑えるというのは、なかなか大変なお仕事だったよ。
無線では自信満々なことを言っていたけど、ツルツル滑るタイヤで走るのは心臓に悪い。
神経も擦り減った。
ここからも、集中力が求められるんだけどね。
『タイヤは充分に、温まったようやな。ランディ君、ここからが正念場やで。先頭のダレル・パンテーラは、しばらく無視や』
「わかっているよ、ケイトさん。ここからは、自分との戦いだね」
『1分33秒3。……このタイムから、コンマ1秒以内の誤差でタイムを揃えるんや。ランディ君なら、できるやろ?』
「できないって言っても、許してくれないんだろう? ……やるしかないよね」
『せや。信じとるで』
「信じている」か――
俺は一昨年、チームの期待を裏切り、不用意な発言でケイトさんを傷つけたヘボドライバーだ。
そんな俺を、ケイトさんは信じていると言ってくれる。
「ここで期待に応えられないようなヤツは、レーシングドライバーじゃないよね」
俺は決意と共に、右足にぐっと力を込めようとして――やめた。
危ない危ない。
今日のレースでは、そういう張り切りは禁物だ。
そうだ。
正確に運転するだけの、機械になれ。
自らを、マシーンへと変えろ。
逆に車体やタイヤ、エンジンには神経を通わせ、生き物へと進化させる。
そうやって、車と一体になるんだ。
エンジンの爆音と、壁となって立ち塞がる空気。
そしてダイレクトに体へと伝わる路面からの振動の中で、俺は集中力を高めていった。
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■□3人称視点■□
レースは8周を経過。
1位ダレル・パンテーラと2位ランドール・クロウリィの差は開いていた。
ヴィオレッタ・クロウリィは、いまだにピットの中でタイミングモニターを見上げ続けている。
「3.3秒差……。けっこう開いたわね。ねえ、ケイトさん。お兄ちゃんが負けるとは思わないんだけど、これだけ差が開いちゃったのは計算の内なの?」
「これも計算の内やで。……と言いたいところやけど、計算ではこの時点で3秒以内の差やった。ダレル・パンテーラはフリー走行と予選の時、三味線を弾いとったみたいやな」
「お兄ちゃんに、ペースアップの指示出さなくて大丈夫なの?」
「実はな、ペースアップさせたらあかんねん。今日のランディ君がなりふり構わずガンガン攻めたら、あとコンマ4ぐらい速いタイムで周回できるはずなんよ」
「……ひょっとして、それだとタイヤが?」
「さすがや。ヴィオレッタちゃんは、よう分かっとるな。そんなペースで走ったら、レースを数周残したところでタイヤが終るで」
「トップのダレル・パンテーラも?」
「ダレル達が履いている、ブリザード社のタイヤな。温まりがいい分、使い切った時の性能低下が急激やねん。11月やのに、今日は日差しが強くて路面温度が高い。……残り3周で、ガクンといくで。ジュース1本賭けてもええ」
「ジュース1本って、本当に自信あるの? 外したらせめて、ケイトさんが全裸でピットレーンを端から端まで歩くぐらいの罰ゲームにしなきゃ」
「そんな罰ゲームしたら、チームにペナルティがくるで! まったく。ヴィオレッタちゃんは、ドSやなぁ……。まあこのタイムを見たら、全裸ぐらい賭けても平気かもしれへん」
タイミングモニターに映し出されるラップタイムを、ケイトはメモ帳へと書き写していた。
そこに並んだ数字は――
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1‘33.307
1‘33.304
1‘33.305
1‘33.302
1‘33.302
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・
ケイトが指定した1分33秒3というタイム。
そこからコンマ1――10分の1秒どころか100分の1秒の誤差もなく、ランディは周回を重ねていた。
「いくら短距離レースで、終盤まで周回遅れに引っかかることが無いゆうてもな……。このタイムの揃い方は、化け物やで」
「お兄ちゃんなら、それぐらいやってのけるわよ。ケイトさん、もし戦略通りに勝てなかったら全裸ね。マシントラブルで棄権したり、大事故や大雨でレースが赤旗中断になっても全裸よ」
ヴィオレッタは表情を変えずに、冷たい声色で宣告する。
その様子を見たケイトは、直感した。
「この子は本気だ」――と。
「そ……その条件は、ウチがめっちゃ不利なんちゃう? せめてマシントラブルは、ジョージ君が全裸っちゅうことにせえへん?」
「うーん。ジョージさんの全裸を見ても、あまり楽しくなさそうなのよね」
ここで、初めて笑うヴィオレッタ。
唇に軽く指を当て蠱惑的に微笑むその姿は、とても13歳には見えない。
「私もジョージ様の股間のロングソードより、ケイト様の美しい裸を記録に残したいです」
突然乱入してきた女性の声に、ケイトとヴィオレッタが振り向く。
そこにいたのは、メイド服モチーフのコスチュームを着込んだレースクィーン。
ビデオカメラを構えた彼女は、マリー専属メイドが本職のキンバリーであった。
「全裸には、ならんで」
ケイトの宣言に、心から残念そうな表情をしたキンバリー。
彼女は手に持っていたビデオカメラの電源を、そっとOFFにした。