ターン78 スペシャルエンジン
樹神暦2632年11月
マリーノ国スーパーカート選手権 最終戦
スモー・クオンザサーキット
蛇行運転。
マシンを激しく左右に振って、タイヤに熱を入れる行為。
限界時の挙動を確かめる、マシンとのコミュニケーション。
そして戦闘開始前のドライバーを昂らせる、儀式でもある。
地球でカートやフォーミュラカーに乗っていた時も、散々やってきた運転だ。
いつもならタイヤ内圧の上昇に合わせて、テンションも上がってゆく。
だけどここ3レース、俺は違和感を抱えていた。
体中にはタイヤと同じく熱が入り、臨戦態勢になっているのが分かる。
でも、心が熱くならない。
やる気がない――というわけじゃないんだけど。
よく言えば冷静。
自分のレースを俯瞰して見ている、もう1人の自分がいる感じかな?
悪い状態じゃないんだろう。
なぜなら第4戦から第6戦まで、俺は3連勝している。
そしてたぶん――今日も俺が勝つ。
レースを舐めているわけじゃない。
楽勝といえるほど、戦力差があるわけでもない。
きっと、ギリギリの勝負になるだろう。
それでも――
ジョージが丹念に仕上げてくれた、マシンの手応え。
ケイトさんが立ててくれた、綿密な戦略。
予選で俺の前――予選1番手を獲得したレイヴンワークスのエース、ダレルさんの走り。
そして自身のコンディションを総合的に見て俺の出した結論が、「今日も勝つだろう」だ。
だからといって、必ず勝てるとは限らない。
俺は預言者とかじゃないんだから。
鬼が出るか蛇が出るか――
答えは17周先にある。
フォーメーションラップを終えた俺は、いつも通りマシンをスターティンググリッドにつけた。
バックミラーを覗き込む。
すると全競技車両の後ろで、係員さんが緑旗を振っているのが見えた。
スタートの準備が、整ったってことだ。
赤信号が灯る。
これが5つ点灯した後、青信号が点灯した瞬間にレーススタートだ。
赤信号の点灯や青信号へ変わるタイミングは、ばっちり体に刻み込んでいた。
俺達MFK-400クラスの前に行われた、250ccクラスのマシンによるレースのスタートシーンを見てね。
何だか今日は、信号機に通う電気の流れまで感じ取れるような気がする。
クラッチパドルに添えた俺の左手が動くと同時に、信号は青へと変わった。
今年の最終戦、スタートだ。
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■□3人称視点■□
「いいスタートですわ!」
チーム「シルバードリル」の指揮官である、マリー・ルイスが叫ぶ。
ランドール・クロウリィがスタートした2番グリッドは、チームに割り当てられたピットのちょうど真正面。
スタート時、コースに隣接したサインエリアには立ち入りが禁止されている。
だがピットのシャッター前からでも、充分にスタートの様子を見ることができた。
ランディのスタートは、一部の無駄もないスムーズなもの。
タイヤにもクラッチにも変速機にも、余計な負担は掛かっていないことだろう。
逆にいえば、少し安全マージンを取ったスタートだとも取れる。
それでもランディのクラッチミート――クラッチを繋ぐテクニックは絶妙だ。
3位以下のドライバー達を寄せ付けず、銀色のマシンはするするとスピードを伸ばしていった。
1位からスタートしたレイヴン自動車メーカーチームのエース、ダレル・パンテーラにも迫る。
レースがスタートして、サインエリアへの立ち入りが解禁。
マリーとジョージ・ドッケンハイムはピットロードを走って横切り、サインボードエリアに飛び込む。
そのままコースとサインエリアを仕切るコンクリート壁にかじりつき、1コーナーに向かう自チームのドライバーを鬼気迫る眼で見守った。
「ダメだ……。届きません。ダレル・パンテーラが、ホールショットです」
ジョージが言った「ホールショット」とは、予選1番手を獲得した車がそのまま先頭でレース開始直後の1コーナーを駆け抜けることだ。
外側からダレルに並びかけようとしたランディだったが、コーナー手前でダレルのマシンは速度を伸ばした。
そのままランディを振り切り、先頭をガッチリキープして急な1コーナーへ向けたブレーキングを開始する。
「あの、直線終盤での伸び……。やはり噂通り、レイヴンワークスはこのスモー・クオンザ専用のスペシャルエンジンを投入してきましたね」
今回の戦いの舞台であるスモー・クオンザサーキットは、2kmにも及ぶ長いメイン直線が特徴である超高速サーキットだ。
中盤の第2区間こそ、低中速コーナーが連続するテクニカル区間。
だがコース前半と後半は、アクセル全開の区間が長い。
当然エンジンパワーがあるマシンの方が周回タイムも速く、他の車を追い越しするのも楽になる。
レイヴンワークスはその圧倒的な資金力と開発力をバックに、このスモー・クオンザサーキットに特化した――他のサーキットでの使用を、全く考慮していないエンジンを投入したのだ。
同じ400ccの排気量とは思えない、激烈な最高出力。
コーナーからの立ち上がり加速や扱いやすさは妥協して、直線スピードの伸びにのみ焦点を絞った特化型エンジン。
それはまさに、「スモー・クオンザスペシャル」。
資金豊富なワークスチームとはいっても、さすがにそんな贅沢エンジンを2基も使うわけにはいかない。
スペシャルエンジンを使用しているのは、エースのダレル・パンテーラのみである。
――なぜ最終戦まできて、レイヴンワークスはそんな無駄遣いともいえる出費をしたのか?
それは、ストップ・ザ・ランドールという目標を達成するためであった。
自動車メーカーチームが、個人参加チーム――しかも15歳の少年に4連敗し、完膚なきまでに叩きのめされる。
自動車メーカーの看板を背負っているワークスチームに、そんな敗北が許されるはずもない。
ライバルメーカーであるタカサキのチームがもっと手強ければ、話は違っていただろう。
レイヴンエンジンユーザーであるシルバードリルはワークスの3台目扱いとなり、強固な協力体制の下タカサキワークスと戦うストーリーになっていたはずだ。
だが、今年のタカサキ陣営は調子が悪すぎた。
エンジン開発が迷走し、遅れ、レイヴン陣営の相手にならなかったのだ。
そのため血で血を洗う、レイヴンユーザー同士の仁義なき戦いが勃発してしまった。
レイヴンワークスチーム、「ドリームファンタジア」の監督であるディータ・シャムシエル。
ランドール・クロウリィを獲得したいと散々主張し、上層部に突っぱねられてきた彼には、
「いいぞ! ランディ! もっとやれ!」
という気持ちが、ないわけでもない。
しかし実際にここまでけちょんけちょんにやられた以上、自分の立場が危うくなっていることも理解している。
エースドライバーのダレル・パンテーラもそうだ。
来年からはカートをやめ、市販スポーツカーをベースにしたGTカーレースに専念する予定ではある。
それでも自分を追い落とす可能性を秘めた若手の台頭に、彼は戦慄を覚えていた。
カート最後のシーズンでいいようにやられてしまっては、自分のプロドライバーとしての評価も地に落ちるというもの。
そういうわけでこの最終戦、レイヴン自動車メーカーチームは必死だ。
なにがなんでもシルバードリル4連勝を阻止するべく、全ての弾をつぎ込んできていた。
1コーナーを立ち上がるダレルと、それを追うランディ。
タイヤの温まりも、ダレルが履いているブリザード社のタイヤの方が早い。
1コーナー立ち上がりで、アースシェイカーズ社のタイヤを履くランディを引き剥がした。
さらに2コーナーまでには短い直線があるため、ダレルの背中にあるスペシャルエンジンは再び猛威を振るう。
ダレルの車速は、直線終盤で最後にクンッとひと伸びする。
地球の日本国でも異世界のマリーノ国でもめでたいとされる紅白カラーのマシンは、それ以外のマシンをあざ笑うかのように突っ走った。
2コーナーまでには、2位ランディとの間にマージンを築く。
ブレーキングを遅らせても、突っ込みようがないほどの差だ。
独走態勢に入ったともいえる。
「まだまだ! 第2区間がありますわよ!」
マリーが叫んだ通り、コース中盤はテクニカル区間。
ここスモー・クオンザの第2区間は、ただ曲がりくねっているだけではない。
入り口は緩いのに奥でキツく曲がっている複合コーナーや、先が見えないコーナーなど意地の悪いコーナーがこれでもかと連続する区間。
ドライバーの技量差が、明確になる場所だということだ。
トップのダレルが――
少し遅れてランディが――
さらに遅れて3位以下のマシン達が、集団となって第2区間に雪崩れ込む。
シフトダウン時に鳴り響く空ぶかし音が、幾重にも重なって山間に反響した。
複雑な半径を描く複合コーナーを――
急なヘアピンを――
下り勾配で、マシンが暴れやすいS字コーナーを――
42名のドライバー達は、難なく攻略していく。
マシンを右に左にヒラヒラと切り返し、縁石をスムーズに舐めながら。
チーム「シルバードリル」はサインエリア内に設置したテントの中に、モニターも設置している。
そのモニター越しに、マリー達はレースの動向を見守っていた。
映像を見るに、何名かのドライバーはタイヤが充分に温まっていないようだ。
前輪が滑るアンダーステアで、若干外側に流されているマシンもいた。
後輪が滑るオーバーステアで暴れるマシンを、逆ハンドルを当てねじ伏せている者も見受けられる。
だが、破綻してコースアウトしてしまうようなドライバーはいない。
このマリーノ国スーパーカート選手権は、国内最高峰のカート乗りを決めるレースなのだ。
半端な実力の者が、混ざっているはずもない。
テクニカル区間を脱出してきたダレルとランディの差を見て、マリーは驚きの声を上げた。
「そんな……。差が詰まると思ってたのに、逆に離されましたわ!」
ダレルからは離され、3位のマシンにも詰め寄られているランディ。
彼の姿が、モニターに映し出されていた。
まだレース序盤なのに、この状況。
マリーの胸には、焦りが募る。
――しかし、そんな時だ。
ヘッドセット型無線機から、声が響き渡った。
『マリーさん、そんなに焦らないで。まだタイヤが全然温まっていないから、セクター2で遅いだけだよ』
それはチーム全体を鼓舞する、ドライバーの声。
『温まったら、俺が1番速いさ』