ターン77 マシンの進化
■□ランドール・クロウリィ視点■□
俺が今いるここは、「シルバードリル」の工場。
いつもレースで乗っているマシンが、静かに鎮座している。
エンジンや車体を覆う樹脂製外装を、外された状態だ。
その周りで淡々と作業しているジョージの姿を、俺はガラス製のテーブルから見守っていた。
テーブル上にはマシンの仕様書や、競技規則書などがところ狭しと広げられている。
「結局ウチには、新型エンジンの供給ってないの……?」
マシンのシート後方に搭載された、400ccV型4気筒エンジン。
第1戦からずっと使い続けているそれを見つめながら、俺は不満を漏らしてしまっていた。
あんまりネガティブな発言は、チームの士気を下げるから良くない。
だけど思わず、口からこぼれてしまったんだ。
「仕方ありませんわね。ディータ・シャムシエル監督の権力なんて、その程度ということなのでしょう」
隣で紅茶を飲んでいたマリーさん。
彼女の言葉は辛辣だ。
しょうがないね。
俺も正直、ディータ監督にはガッカリしている。
新型エンジン供給に関して「本社に話しておく」と言ってくれていたのに、この有様じゃね――
第4戦終了直後、レイヴンエンジンは新型へとアップデートされた。
自動車メーカーチームである「ドリームファンタジア」の2台はもちろん、顧客チームにも3基の新型が投入されたんだ。
だけどその3基は、全部別チームへと行ってしまった。
1基はウチに来るだろうと、期待していたのに――
「いま俺のランキングは、ダレルさんとカークさんに続く3位だよ? 他のどのレイヴンユーザーより、活躍しているっていうのに……」
「だからではありませんの?」
「へ?」
俺は整備中のジョージから視線を外して、マリーさんの方へと向き直った。
「新型エンジンなどシルバードリルに与えてしまっては、ドリームファンタジア2台の牙城を崩す可能性だって出てきますわ」
「そんなこと言ってたら、ライバルのタカサキワークスに……」
そこで俺も、気付いてしまった。
今年、タカサキエンジンはレイヴンエンジンに明らかな後れを取っている。
タカサキの自動車メーカーチームである「ラウドレーシング」でさえ、成績が振るわない。
『ドリームファンタジア』の2台はもとより、俺やポール・トゥーヴィー、その他のレイヴンユーザーの個人参加チームに負けてしまう場面もあった。
もちろんワークスチームが、このままやられっぱなしというのは考えにくい。
だけどここから逆転チャンピオンを狙うというのは、厳しい状況だ。
そうなるとレイヴンワークス最大の敵は、タカサキワークスではなく――
「俺が最大の敵……ってことか?」
「良かったですわね。ディータ監督からだけではなく、レイヴン社上層部からもこれ以上ないぐらい評価されていますわよ」
「勘弁してくれよ。シーズン中は舐めてかかってくれるか、身内扱いしてくれてもいいのに……」
俺は脱力感に襲われて、テーブルと書類の上に突っ伏した。
ああ――
紙の匂いを嗅ぐと、少し落ち着くような気がする。
現実逃避していたら、ジョージが話に割り込んできた。
「そう暗い話題ばかりでもありませんよ。長く使われてきた旧型エンジンだからこそ、信頼性が高いともいえます。排気集合管や排気膨張室も次戦から新しいものを投入しますから、パワーアップだって期待できますよ」
「それ、レイヴンワークスのお下がりじゃなかったっけ? エキゾースト屋さんに発注したのにエンジンが新型に変わっちゃって、新型と相性悪そうだからいちども使われずに破棄されたっていう代物だろう? 大丈夫なのかな?」
「地球由来のことわざに、あるじゃないですか。『残り物には福がある』と」
うーん。
常に最新の技術を投入しまくるモータースポーツ界において、そのことわざは通用するんだろうか?
釈然としない気持ちを抱えていると、工場のドアが開いてケイトさんが入ってきた。
「みんな! 新型カウルが来たで!」
彼女は開口一番、元気よく叫ぶ。
これは嬉しいニュースだ。
俺はテーブルに突っ伏した状態から、飛び上がった。
勢いで書類が巻き上がっちゃうけど、気にしない。
そのまま工場の外へと向かい、駆け出した。
新型カウルは、トラックで輸送されてきているはずだ。
「まったく。君は現金な男ですね」
呆れたように言いながらも、俺の全力疾走についてくるジョージ。
なんだよ?
お前も楽しみだったんだろう?
「工場内で、暴走行為はおやめなさい!」
背後からマリーさんの怒号が聞こえたので、俺達は走るのをやめる。
その代わり、競歩で外へと急いだ。
俺とジョージの競歩は、めちゃくちゃに速い。
これじゃやっぱり、暴走行為かもしれない。
さあ!
俺達をさらなる高みに連れて行ってくれる、新しい翼の到着だ!
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翌週、メイデンスピードウェイ。
俺はマシンのシートに収まり、1kmのメイン直線を駆け抜けていた。
右手で握っているシフトレバーは、シーケンシャル式。
手前に引けばシフトアップで、奥に押せばシフトダウン。
4速――
5速――
そして6速――
今日はギヤを上げていくのが、楽しくてしょうがないんだ。
シフトアップするタイミングが、明らかに早い。
普通、今日みたいに気温の高い日はエンジンパワーが下がる。
シフトアップする地点は、冬場より遅くなるはずだ。
なのに俺のマシンは、夏場にあるまじき速度の伸びを見せていた。
その理由のひとつは、空力部品の恩恵。
タカサキの自動車メーカーチームであるラウドレーシングのカウルやウイングを参考に、ケイトさんが図面を引いたんだ。
スーパーカート選手権では参戦コストが高くならないよう、規則でCFRP製のカウルやウイングは禁止されている。
安価なABS樹脂製オンリーというルール。
だからウチみたいな個人参加チームでも自前で設計し、エアロ屋さんに注文してオリジナル品を作れるんだ。
なんでレイヴンワークスじゃなくってタカサキワークスのを参考にしているかというと、ウチとタカサキワークスは同じメタルゴッド社製の車体を使っているから。
新型カウルのおかげで、明らかに空気抵抗が減っている。
「すごいよケイトさん! 大気が軽い」
大気が軽く感じるもうひとつの理由が、新型の排気系統一式による中間加速の向上。
エンジン回転力がモリモリ太くなり、コーナーからの立ち上がり加速が鋭い。
そうなると、直線終盤の最高速度も伸びてくる。
コーナーまで残り100mの看板を過ぎたところで、俺はブレーキングを開始した。
後輪が浮かび上がろうとするはずなのに、地面にガッツリ食い付いて安定した減速をしてくれる。
ダウンフォース――空気で車体を下向きに押さえつける力が、しっかりと出ている証拠だ。
普通はダウンフォースが強いと、空気抵抗が増えて最高速が伸びない。
だけどこの新型エアロは、ダウンフォースと最高速が高いレベルで両立されている。
これ、本当に見よう見まねで作ったんだろうか?
ケイトさんって、天才なんじゃ?
ダウンフォースに助けられて、タイヤちゃん達も奮起。
みるみる車速が落ちる。
シフトダウンの時は、いちいち左手のクラッチパドルを切ったりなんかしない。
左足でブレーキを踏んだまま右足でチョイチョイとアクセルを煽ると、ギヤはスコスコ入ってくれる。
レーシングカーやバイクで採用される、ドグミッションという変速機ならではの技だ。
イメージ以上にブレーキがよく効いたもんで、ちょっと減速し過ぎた。
ブレーキを余らせちゃったって状態だ。
せっかく余裕をもって1コーナーに進入できたので、俺はかなり早いタイミングでアクセルを開け始めた。
う~ん。
これは明らかに、旋回スピードが上がってますね~。
その証拠に、いつもより背筋がキツい。
大きな遠心力が掛かっているからだ。
それなのにタイヤちゃん達は、「まだ行けるわよ」と俺に訴えかけてくる。
よ~し!
思いっきり、行っちゃうかな?
――と、そこへ無粋にも無線が入った。
『ランディ。まだ新型パーツ各部の緩みが無いか、チェックも済んでいないのです。本気のアタックをしては、ダメですよ?』
「ジョージ! だ……大丈夫、もちろんわかっているさ」
あ――危ない。
やらかしてしまうところだった。
でも、問題ないとは思う。
俺はそういう部品の緩みとか、微かな不具合とかには敏感だから。
それでもちゃんとチェックさせないと、ジョージの奴は納得しないだろう。
あいつはかなり、几帳面な奴だからね。
3周軽く流した後、俺はジョージを安心させるためにピットインした。
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俺がマシンの感想をジョージとケイトさんに伝えようとする前に、ポールの奴が興奮気味にまくし立てていた。
「凄いっスよ! ジョージさん! ケイトさん! もうブレーキングの時とか、ズッシーン! ギョギョッって感じだし、コーナーリング中はギュムォー! カッチーン! ってなるし、ストレートはファ~ン! アッハ~ンって感じっス。控えめに言って、ウチのマシン最強っスね」
ファ~ン! アッハ~ン! って何だよ?
「なるほど、よく分かりました。狙い通りの成果が出ているみたいですね。ポール好みのカッキーン、ワァーオな操縦性に仕上げれば、かなり速い車になるでしょう」
今のでポールが言いたいことを理解して合わせられるジョージは、本当に凄い奴だと思う。
「ランディ君は、どない感じやった?」
ケイトさんが、笑顔で俺の言葉を待っている。
それは自分の仕事に自信がある人の、落ち着いた笑顔だった。
「そうだね。ポールと同じ感想だよ」
「ファ~ン! アッハ~ン! なん?」
「いや、そうじゃなくって……」
俺は親指を立てる。
地球では地域によっては意味が違うけど、この異世界では世界共通の意味を持つジェスチャーだ。
「控えめに言って、最強ってことさ」




