ターン75 夢の中でも攻め続けろ
気がつけば俺は、サーキットを走っていた。
あれ?
いつから走っていたんだっけ?
ここは――
スーパーカート第5戦の舞台、ヘルレイザーサーキットか?
ヘルレイザーサーキットの特徴は、道幅があまり広くないこと。
俺達の地元メイデンスピードウェイや、こないだ優勝したセブンスサインサーキットと違って、実は国際格式サーキットじゃない。
規模が小さくて、国際的なレースは開催できないんだ。
国際格式サーキットっていうと、日本の鈴鹿サーキットや富士スピードウェイと同じぐらいの規模。
それに比べると道幅がだいぶ狭く、今季乗っているスーパーカートMFK-400クラスのマシンにとってはかなり窮屈だ。
一昨年もここを走ったけど、狭いのに40台も参戦していて息が詰まりそうだった。
ドライバーもエンジンも、ほとんど酸欠でキツかったなぁ――
キツかったとはいっても、俺だけはレース終了後にすぐ回復したんだけど。
なんでいきなりサーキットを走行しているのか、状況がよく分からない。
だけどコイツは、ラッキーだ。
せっかく走っているんだから、しっかり練習させてもらおう。
ちょうど、次戦の舞台だしね。
そこで俺は、異常な状況であることに気づいた。
いま運転しているのは、カートじゃない。
正面には窓ガラスが、頭上には屋根があって風が吹きつけてこない。
そしてハンドルとシートは、右側に寄っている。
これは――市販車ベースのハコ車?
窓ガラスの形状や背中越しに響く甲高いエンジン音から、今乗っている車種を推測することできた。
――レイヴン〈RRS〉GT-B。
GT-Bっていうのは、この世界で流行っているレーシングカー規格のひとつ。
グランドツーリングカー・男爵の略。
お金持ちの会社社長とかが趣味でレースをやりたい時に購入して、手軽に走れるように作られている。
つまりは、アマチュア向けレーシングカー規格だ。
「手軽に」っていっても、俺じゃとても購入できる値段じゃないんだけどね。
GT-Bマシンは、プロが乗るマシン並みに速いし。
ああ、やっと分かった。
これは夢だな。
夢ならどれだけタイヤやガソリンを減らしても、大丈夫だよね?
俺はアクセルを大きく踏み込む。
途端にエンジンは官能的な嬌声を上げ、車体は200km/hオーバーの世界へと飛び込んでゆく。
うっは!
凄いパワー感だ!
超軽量車体のスーパーカートも相当な加速力だけど、この車はなんというか加速の質が違う。
重量物を高速域まで運ぶ、逞しいパワーに満ち溢れているんだ。
メイン直線を駆け抜けた俺は、急な1コーナーへ向けて、ハードブレーキングを開始する。
慣性の法則で体が前に引っ張られ、6点式のシートベルトが深く食い込んだ。
おおーっ!
スゲーっ!
こんなに重い車なのに、よく止まる。
カートとは比べ物にならないくらい極太の溝無しタイヤと、ウイング等の空力パーツが発生させる下向きの力のなせる業だろう。
カートやフォーミュラカーに比べると、ちょっと前後の傾きが大きいのが気になるな。
「せっかく高価なGT-Bマシンに乗っているのに、文句を垂れるなんて……。罰当たりなドライバーですね」
走行中に、いきなり隣から声が聞こえてビックリ!
チラリと横目で左を見ると、水色髪のドワーフ――ジョージ・ドッケンハイムの姿があった。
さっきまでは助手席なんて付いていなかったのに、今はバケット形状のシートが装着されている。
そこに、作業着姿のジョージが収まっていたんだ。
さすがは夢、なんでもアリだな。
ジョージの奴はヘルメットも被っていないけど、夢だから死にはしないだろう。
ジョージはほっといて、走りに集中しよう。
ブレーキングを終えた俺は、右コーナーに向けてターンインを開始する。
初めての車だし、じわりとハンドルを切り込んで様子を――
あれ?
鼻先の向きが、変わらないぞ?
――と思ったら、ワンテンポ遅れて向きが変わり始めた。
当然、イメージしていた走行ラインからだいぶ膨らんでしまう。
うわっ!
だっさ!
ヨタヨタとした、かなりカッコ悪い走りになってしまったよ。
いや、だってしょうがないだろう?
俺はカートやフォーミュラカーでしか、サーキット走った経験ないんだから。
ハコ車って、レーシングカーでもこんなにブヨッとしているもんなのか?
「やれやれ、車のせいにするのですか? そんな腕でプロを目指すなんて、片腹痛いですね」
眼鏡をクイッと押し上げながら、嫌味を言ってきたジョージ。
夢の中のは、現実の奴より口が悪いな。
夢だと分かっていても、なんだか腹が立つぜ。
俺はジョージを見返すため、もっとシャキッと走ろうと決意した。
マシンのコントロールに、集中する。
要は車の動きが鈍くて車体各部の遊びが大きいから、それを考慮して走ればいいんだろう?
それぐらい、簡単に――
――は、いかなかった。
またしても思ったより走行ラインが膨らんでしまい、後輪がコーナー外側にある縁石に乗り過ぎてしまったんだ。
タイヤが滑ったレイヴン〈RRS〉は、急激にコントロールを乱した。
激しくスピンしながら、コースアウトしていく。
派手に砂煙を上げ、砂利の上を滑り、ガードレールにまっしぐらだ。
「ランディ。レイブン〈RRS〉GT-Bの価格は、1台3500万モジャですよ」
なんだって!?
そんな情報、今は聞きたくなかったよ!
このままぶつかれば、それにプラスしてガードレールの修復代も請求されてしまうじゃないか。
「では僕は、この辺で失礼します。マシンの弁償とガードレールの修復代は、君のおこづかいからお願いしますね」
そう言ってジョージは助手席のシートごと、光の塊になって消えていった。
おいおいジョージ!
1人だけ逃げるな~!
眼前に、ガードレールが迫る。
上下2段になった白い金属質な波板が、視界いっぱいに広がり牙を剥いた。
もう、だめだ〜!
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耳に入ってきたのは、ガードレールへの衝突音じゃなかった。
ピピピピピピッ! という電子音。
目覚まし時計のアラームだ。
ほら、やっぱり夢だった。
わかっていた、わかってはいたさ。
それでも俺は、心の底からビビってしまったんだ。
あ~。
高価なマシンを、壊さないで良かった。
気まずくて、ピットに帰れなくなっちゃうよ。
こんな風に夢の中でもサーキットを攻めているのは、珍しいことじゃない。
そういう夢は、しょっちゅう見る。
ハコ車に乗ってたり、助手席にジョージが湧いたりするのは初めての経験だったけど。
さあ。
気を取り直して、1日のスタートだ。
レーシングドライバーの朝は早い。
――本当のことをいうと、他のドライバーも朝が早いのかどうかは分からない。
ただ俺は朝からトレーニングしたいから、早起きする。
時刻は午前5時半。
窓の外を見ると、まだ暗い。
それでも俺は、きびきびとトレーニングウェアに着替えた。
きちんと畳んで用意していたから、所要時間は20秒。
もちろん、脱いだ寝間着もきちんと畳んでのタイムだ。
これが日本の自衛隊員さんとかマリーノ国軍の軍人さんとかなら、早着替えのあと走って外に出ていくんだろう。
だけど俺は、そんなにドタバタするわけにはいかない。
まだ他の家族は、寝ているからね。
もっともクロウリィ家はみんな、朝が早い。
あと30分もすれば、全員起きてくる。
でもその30分間は、ゆっくり休んでいて欲しいと思うんだ。
俺は静かに、そして迅速に家の外へと出た。
凄腕暗殺者も真っ青な、隠密行動でだ。
季節は8月。
日本の8月と同じく、真夏。
それでもさすがに今の時間帯は涼しく、朝の爽やかな空気に満たされている。
俺は軽くストレッチをして体を温めた後、腕時計のストップウォッチを作動。
道路に向かって、走り出した。
毎朝の日課、ロードワークの時間だ。
どこまで行くのかというと、山の上にあるジョージの家――ドッケンハイムカートウェイまで。
小さい頃は山道を突っ切って、ショートカットしたりしていた。
だけど今は、道路沿いに走る。
朝から山道を走って、トレーニングウェアが汚れるのは避けたい。
道路沿いに走ると、片道5km。
往復で、10kmの距離。
ここ最近の平均タイムは、だいたい30分ぐらい。
時間がもったいないから、けっこう飛ばしてしまうんだ。
学校で体育の先生に「10kmを30分で走る」と言ったら、先生は悶絶していた。
その後は陸上クラブに入るよう熱心に勧誘されたけど、丁重にお断りしている。
昔は暇さえあれば、色んなスポーツクラブの助っ人に行っていたんだけどね。
チーム「シルバードリル」に加入してからは、割と忙しいんだ。
暇さえあればマリーさんの家に呼びだされて、ポール・トゥーヴィーと一緒に様々なトレーニングをさせられるから。
ドッケンハイムカートウェイまでの峠道は、照明が一定距離ごとに設置されていて明るい。
今は夏場だからマシだけど、冬場はまだ真っ暗な時間帯だからな。
照明の存在は、ありがたかった。
流れる道路照明の光と、耳元でコウコウと小さな音を立てる風。
こうして風を切り、マシンじゃなく自分の足で走るのも悪くはない。
レースで勝つためのエネルギーが、体内に蓄積されていってるような気がするからね。
体温の上昇に合わせて、モチベーションも上がってゆく。
山の頂上付近にあるドッケンハイムカートウェイの通用口をくぐる頃には、心も体もすっかり温まっていた。
通用口やカートコースの周りには、防犯装置は取り付けられていない。
お客さんのマシンを保管しているレンタルガレージやカートショップの周辺には、これでもかっていうぐらい監視カメラやセンサーが配置されているけど。
おかげで俺は、朝からコースの上をランニングできる。
ジョージの父であるドーンさんからも、ちゃんと許可をもらっている。
コースの上を自分の足で走りながら、イメージするんだ。
どうコースを攻めるのか。
どうマシンをコントロールするのかを。
スーパーカートにステップアップした今はもう、このドッケンハイムカートウェイで走ることはなくなった。
でもこのコースこそ、この世界にきて最初に走ったコース。
原点と言ってもいい。
だから俺は、毎日ここへ来る。
何度でも、初心に戻るために。