ターン74 ワークスドライバーへの誘い
「や……やだなぁ、ディータ監督。まだ8月ですよ? そういう話をするのは、少々気が早いんじゃありませんか?」
嬉しいのに、ちょっと挙動不審な俺。
ディータ・シャムシエル監督が「やっぱり冗談だ!」なんて言い出さないかという恐怖も手伝って、頭の中がグチャグチャだった。
おいおい、マジか?
レイヴンの自動車メーカーチームである「ドリームファンタジア」は、スーパーカート選手権やTPC耐久だけに出ているチームじゃない。
国内で最高の人気を誇るレース、「GTフリークス」にも参戦している。
つまり俺が「ドリームファンタジア」のドライバーになれば、いずれはそういった上位カテゴリーにも乗れる可能性だってあるってことだ。
待て待て!
浮かれるな、俺!
世の中そんなに甘くないぞ。
ディータ監督が、こんな早い時期に打診してきたってことは――
何か、事情があるはずだ。
「確かに早い。それには、理由があってな。来年お前を乗せるためには、条件がある。今年、国内のスーパーカート選手権でランキング3位に入ること。そして世界一決定戦である『パラダイスシティGP』で、それなりの成績を収めること。今からそのふたつを達成するために、頑張ってもらわなきゃならん」
「ん? 3位? 国内王者じゃなくても、いいんですか?」
「ハッハッハッ! 強気な奴だな。……レイヴン社の上層部は、『タカサキワークスを抑えてみせろ』と言いたいんだろう。ウチの2台より、上である必要はない。そこは、お手柔らかに頼むぞ」
「それは、難しいですわね。手加減いたしません。ランキング1位と2位は、ご自分達の実力でお守りになって下さいな」
突然乱入してきた少女の声に驚いて、俺とディータ監督は振り返った。
観客席最上段に座っていた俺達。
その背後。
通路の側から見下ろしているのは、ウチの総大将マリー・ルイス監督。
俺と同い年の少女は、大の大人であるディータ監督を相手に余裕のある笑みを浮かべていた。
本当にこのコときたら大人びていて、俺と同じ転生者なんじゃないかと思う時がある。
「マリーさん……」
「まったく……。困りますわ。こんなに早い時期から移籍の話なんて、チーム全体の士気にかかわります。……ディータ・シャムシエル監督。ランドール・クロウリィが欲しいのなら、ワタクシのお願いを聞いて下さらない? ……新型エンジンが顧客チームにも供給される時は、ウチを優先して欲しいんですの」
マリーさん――
いくらなんでも、そんなおねだりは――
シルバードリルは、新興個人参加チームに過ぎないんだよ?
「ふむ、いいだろう。本社の連中に、話しておく」
ディータ監督、話してくれるんだ!
ちょっとびっくり。
それならウチのチームは、レイヴンの2軍チーム扱いってことになるのかな?
「ランディ。この話はまだ、確定事項じゃない。でも俺はお前を強く推薦するつもりだし、レイヴン上層部も乗せるつもりで動いてる。わざわざそんな条件を、出してくるぐらいだからな。……考えておいてくれよ」
そう言って立ち上がったディータ監督は、足早に去った。
夕暮れのグランドスタンドに残されたのは、俺とマリーさんの2人だけ。
移籍話を聞かれてしまって、ちょっと気まずいな。
――マリーさんに、なんて言おう?
彼女のことだから、俺が出ていくと言えば烈火のごとく怒るかと思っていた。
なのに交換条件を出したりして、移籍には理解があるように見える。
「良かったではありませんの。プロドライバーになるというランディ様の夢が、いよいよ現実味を帯びてきましたのね」
「あれ? 君は俺を、プロのドライバーにはしないつもりじゃなかったの?」
「いったいいつの話をしていますの? そんな昔の話、忘れて下さらない? あの時は、ワタクシもまだ若かったのですわ」
おいおい。
君は今年で、15歳だろう?
そんなこと言われると、前世との合計で37歳の俺は悲しくなっちゃうよ?
「見てみたくなったのですわ。ランドール・クロウリィというドライバーが、どこまで行けるのかを。……きっと亡くなったエリック・ギルバートさんも、こんな気持ちだったのでしょうね」
「……俺はマリーさんにもエリックさんにも助けられてばっかりで、何も返せていないな」
「何か返してくださるおつもりでしたら、勝ってください。ワタクシ達スポンサーにとって、それが何より嬉しいことですわ。……ランドール・クロウリィに投資したワタクシ達の判断は、間違っていなかった。それを証明してください」
なんだろう?
腹の底からジワッと湧き上がってくる、この熱は?
闘志なのか?
こんな風に、静かに湧き上がってくる闘志は初めてだ。
チャンピオンになりたい。
勝ってプロのドライバーになりたい。
自分の夢のためだけじゃない。
みんなの夢も、想いもまとめて乗せて突っ走り、世界最高峰のレース「ユグドラシル24時間」まで辿り着きたい。
そこまで行くことで初めて、マリーさんやエリックさんに恩返しができるのかもしれない。
「ふふっ……。ランディ様と一緒にレースができるのは、今年が最初で最後になりそうですわね」
マリーさんの瞳に、フッと影が差す。
俺がレイヴンのワークスドライバーになれば、確かにそうなってしまうな。
それはそれで、寂しい。
「さあ、ランディ様。皆のところに戻りましょう。あの……。よろしかったら……」
「なんだい? マリーさん」
「手を……繋いで下さらない?」
ためらいがちに、マリーさんは白くて細い右手を差し出してきた。
ちょっと、恥ずかしい気もする。
だけど俺は、差し出された手を無言で取った。
なんだか俺も、マリーさんと手を繋ぎたかったんだ。
俺達は、実感したかったのかもしれない。
互いに手を取り合って勝利を目指す、仲間であると。
今シーズンは、残り3戦。
世界一決定戦であるパラダイスシティGPに行けたとしても、このチームでレースができるのは残り4戦――
たった4戦なんだ。
限られたこの時間を、少しでも長く。
そして、深く――
夕暮れのグランドスタンド。
手を繋いで歩く俺とマリーさんの影が、通路に長く伸びていた。
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セブンスサインサーキットからの帰り道――
ベッテルさんが運転するバンの後部座席で、俺はボンヤリと外の風景を眺めていた。
マリーノ国の高速道路は、速度無制限。
だから安全性を確保するために、照明設備が多い。
夜でも充分に、明るかった。
チームのバンは、結構なスピードで巡行中。
平均140km/hぐらいで走り続けていた。
ベッテルさんの運転は追い越しとかの判断が早く、ゆるやかに進路変更する。
見ていて安心できる運転だった。
安全性を損なわない範囲で、帰路を急いでくれているんだろう。
俺達学生は、明日も学校があるからね。
それでも俺の住む南プリースト町や、ケイトさんの住むバン・ヘレン町があるメターリカ市に着くのは夜中になってしまう。
成長期である妹のヴィオレッタが、睡眠不足になるのは避けたい。
妹の睡眠事情を心配して、隣の座席に目を向ける。
するとそこには、スヤスヤと寝息を立てるヴィオレッタの姿があった。
ちょっと、ホッとする。
「どないしたん? ランディ君。ボーっとして」
後ろの座席で、ノートパソコンにカタカタとデータを入力していたケイトさん。
彼女は手を止め、話しかけてきた。
「いや……。ちょっと、考えごとをね……」
曖昧にボカそうと思ったんだけど、そこをジョージが鋭く切り込んでくる。
本当にコイツときたら、いつも俺の心を見透かしているみたいだ。
「どうせレイヴンワークスのディータ・シャムシエル監督から言われたことでも、思い出していたんでしょう。……オファーですか?」
単刀直入に言われて、隠しても無駄だと悟った。
ベッテルさんやキンバリーさんには、いずれマリーさんが話すだろう。
そうなれば遅かれ早かれ、ジョージやケイトさんの耳にも入る。
「ああ。まだ、決定じゃないんだけどね。……今シーズンの成績次第では、来年『ドリームファンタジア』のドライバーに……って話だったよ」
気まずい空気になるかと思ってたんだけど、俺の報告を聞いたケイトさんの表情は輝いた。
「ほんまに!? 凄いやん! 『ドリームファンタジア』のカートドライバーは、そのうちGTフリークスのドライバーになるのがお決まりのパターンやで。プロへの道が、約束されたようなもんやない?」
「ふむ。思ったより、早かったですね」
ケイトさんは元より、あまり感情を表に出さないジョージさえ喜んでくれているのがわかる。
えっ?
どうして?
だって俺は、このチームを――
「その……。2人は、なんとも思わないのかい? 俺が、移籍してしまうかもしれないってことを……」
「嬉しいニュースなのに、ランディ君なんやねん。……ははぁ。さては、ウチと離れるのが寂しいんやな? そうやろ?」
「うん。実はそうなんだ」
冗談めかして言ったけど、これは本心だったりする。
エンジニアもメカニックも、その他のスタッフまでプロの集団である『ドリームファンタジア』に、ジョージやケイトさんを連れては移籍できない。
2人とも若いのに優秀だから、そのうちに自動車メーカーチームのスタッフになる可能性はある。
でも、今回は無理だ。
俺達は一旦、バラバラになってしまうだろう。
「ランディ君、あかんで。ウチらに、変な遠慮したら」
「その通りですよ。こんなチャンス、二度と巡ってこないかもしれない」
2人の表情は、真剣だった。
本気で俺の夢を、自分のことのように考えてくれている。
そんな気のいい連中だから、離れ離れになるのは辛いんだ。
離れていた去年1年間で、嫌というほどそれを実感した。
「なんかさ……。最近、思うんだけど……。こうしてジョージやケイトさんと一緒にレースができるのは、奇跡みたいなもんだなって」
あの日――
RTヘリオンのオーディションを受けなければ、俺はジョージと一緒にレースをやっていない。
トミー伯父さんの事故がなければ、俺はケイトさんと出会わなかった。
マリーさん達とだって――
色々な偶然が積み重なって、こうしてみんな一緒にレースをしている。
ほんの少し人生の選択が違っただけで、このチームは存在しなかったかもしれないんだ。
「ふっ、何を感傷的になっているんですか。まだ奇跡なんて、始まってもいませんよ」
「そうやで。奇跡はこれから、ランディ君が見せてくれるんやろ?」
これから――
奇跡はまだ、これから――か。
果たして俺に、そこまでの力があるんだろうか?
「よし! まずは、奇跡その1や! 来年からランディ君がいなくなるなら、今の内に達成しとかんとあかんしな」
「年間王者狙いかい? それなら俺は、最初から狙っているよ?」
それを聞いたケイトさんはチッチッと指を振り、もったいぶりながら宣言した。
「国内スーパーカート選手権、前人未到の4連勝や。残りは全部勝つで」