ターン73 オファー?
暑い――
じりじりと照りつける、真夏の太陽。
それに照らされて、焼けた鉄板みたいになってしまったアスファルトの路面。
そして俺の背中で高温を発する、400ccV型4気筒エンジン。
2ストロークエンジンは、乗用車の4ストロークエンジンより発熱量が多い。
4ストロークエンジンはクランクシャフトという部品が2回転する間に1回爆発するけど、2ストロークは1回転ごとに毎回爆発だからね。
しんどい――
だけどこの車を構成するパーツの中で、1番元気な部品はドライバーの俺だったりする。
タイヤは熱でタレてきているし、吸入空気温度が高いせいで、 エンジンも元気がない。
それでも直線では軽く230km/hを超えるんだから、大したエンジンだ。
『ランディ様、体は大丈夫ですの?』
装着しているイヤホンから、少女の声が響いた。
スーパーカート選手権では、これまで乗ってきたカートと違って無線によるピットとの交信が解禁されている。
今の無線は、マリー・ルイス監督からの呼びかけだ。
「大丈夫。暑いけど、問題はないよ」
しんどいことは、しんどい。
だけど他のドライバー達の方が、俺よりヘバってるみたいだからな。
「ポールの奴は、どうしてる? バックミラーに、全然映らなくなったけど?」
『完全に、ヘバってしまったみたいですわ。ペースダウンして、現在6位』
あいつ――
もっと、トレーニングさせよう。
「勘弁して欲しいっス」とか言いそうだけど、勘弁してやらない。
樹神暦2632年8月。
マリーノ国スーパーカート選手権第4戦、セブンスサインサーキット。
クソ熱い真夏のレースで、俺は現在トップを走っていた。
このセブンスサインサーキットは直線が短く、常に左右どちらかに曲がっているようなレイアウト。
直線が短いと、休む場所がなくて大変なんだ。
ずーっと左右にハンドルを切って、仕事しないといけない。
今日みたいな気温と天候だと、ドライバーは地獄だ。
陽炎揺らめく灼熱地獄を、俺とマシンは駆け抜ける。
ほら。
もうちょっとだから、頑張って。
重たくしか回らないエンジンと、ダイエット中かとツッコミたくなるほど食い付きが悪くなったタイヤ。
彼女らを励ましながら、俺はなんとか最終コーナーを立ち上がった。
コントロールラインで振られる、白と黒で彩られたチェッカーフラッグ。
今日はそれを受けるのが、いつもより待ち遠しかった。
暑くて大変だったからというのもあるけど、ずっとトップを走っていたからっていうのが大きい。
自分がトップのうちにレースが終了して欲しいって祈るのは、当然の心理だろう?
コントロールラインを駆け抜け、チェッカーを受ける。
約1年半ぶりの優勝だ。
今は嬉しいという気持ちよりも、無事にレースを終えた安堵感が全身を支配していた。
「ふぅ~」
『ランディ様、おつかれさまです』
「ああ。マリーさんも、おつかれさま。チームのみんなも、この無線を聞いているかな? ありがとう。みんなのおかげで、久しぶりに優勝できたよ」
そう。
この勝利は、みんなのおかげだ。
シーズン開幕前にチームを悩ませていた、マシンの操縦性の悪さは完全に改善されている。
今ではレイヴンやタカサキといった自動車メーカーチームのマシンにも、負けない戦闘力を備えつつあった。
ドライバーの俺やポールも頑張ったけど、メカニックやエンジニア達の努力によるところが大きい。
『謙虚ですわね。今回の勝利は、ランディ様の体力勝ちともいえる内容ですのよ? レイヴンやタカサキのワークスドライバー達も、みんな暑さに参ってしまったのですから』
「俺ももう、ヘバりそうだよ。喉が渇いた。早くヘルメットを脱ぎたい」
『ふふっ。冷たいコーラを、キンバリーに用意させますわね』
普段は炭酸飲料を避けているけど、こういう時ぐらいは楽しんでもいいだろう。
この世界にも、コーラがあることに感謝だ。
なんだかマリーさんの声を聞くだけで、涼しくなった気がする。
ちょっと元気が出た俺は、悠々とコースを走りながらクールダウン。
フェンスの向こうにいる観客の皆さんや、レースを見守ってくれたコース係員の皆さんに手を振る。
手を振り返して祝福してくれる人達を見て、ようやく勝利の喜びが湧き上がってきた。
同時に、手応えを感じる。
――いける!
一昨年ギルバートレーシングで走っていた頃より、勝つためのピースが揃っている気がする。
今年は年間王者が、狙えるぞ!
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「『シルバードリル』のスーパーカート選手権初勝利に……乾杯!」
ピットに勢ぞろいした、チームメンバー達。
マリー監督の音頭で、皆が缶ジュースを掲げる。
ちょっとした、祝勝会だ。
これから撤収作業をしないといけないから、あんまり時間は取れないけど。
ジュニアカートでは何度も優勝しているシルバードリルだけど、スーパーカートでの優勝は初めてだからな。
祝っとかないと。
俺やポールはすでにカートスーツを脱いで、チームロゴの入った襟付きシャツに着替えていた。
こういったシャツも、マリーさんの実家から提供してもらっている。
さすがスポーツウェアメーカー、ルイスグループ。
貧乏な俺には、とてつもなくありがたいね。
隣では、ポールがゲッソリしていた。
レースが終了してからもう1時間以上経つのに、なかなか疲労が回復していないみたいだ。
いつもはけっこう、体力回復が速い奴なんだけどな。
「ランディさんは、なんでそんなに平気そうなんスか? ダレルのオッサンだって、今日はグッタリしてたんスよ?」
「あのムキムキドワーフ族の、ダレルさんもかい? まあ彼の場合は、髪型とヒゲのせいで暑かったんじゃないかな?」
レイブンワークスのエース、ダレル・パンテーラは筋肉自慢のドワーフ族。
ボッサボサに伸ばした長髪とモジャモジャのヒゲが、見ているだけで暑苦しい。
ポールはオッサン呼ばわりだけど、ダレルさんの実年齢はまだ19歳だったりする。
ヒゲがなかったら、年相応に見えるんだろうけどね。
「あのオッサンだけじゃなくて、みーんなバテてたんすよ? ケロっとしているのは、ランディさんだけっス」
「俺も普通に、暑かったんだからね? みんな、鍛え方が足りないんじゃないの? ポールも俺と一緒に、トレーニングしようか? そしたらきっと、ヘバらなくなるよ」
「いや……。ランディさんみたいに、ドラゴンと戦うのはちょっと……」
またジョージが、くだらないホラ話を広めてるんだろう。
格闘家とかじゃ、ないんだから――
レーサーがドラゴンと戦って、なんのトレーニングになるっていうんだ?
そもそもドラゴンなんて、そこらへんの山に生息しているわけじゃない。
動物園に行かないと会えない、猛獣だからね。
「ランディ君、ジョージ君。ラウネスネットのニュース見た? ハトブレイク国のスーパーカート選手権で、またブレイズ・ルーレイロが勝ったで」
「ああ。それならもう、ブレイズ本人からメッセージが届いていますよ」
ノートパソコンの画面を見せながら尋ねてきたケイトさんに、ジョージが答えた。
俺が5歳の時に勝負したエルフ、ブレイズ・ルーレイロ。
あいつももう、スーパーカートに乗っている。
父親が世界的なトップドライバーだっていうこともあって、本人の知名度もかなり高いようだ。
ブレイズは去年――14歳の時に、ハトブレイク国の国内王者になっている。
そして各国のスーパーカート選手権で、上位4名に入ったドライバーだけが参加できる世界一決定戦――「パラダイスシティGP」にも参戦。
奴はそこで、3位表彰台を獲得した。
いつの間にか、差を付けられたもんだ。
去年俺が浪人している時に、1番うるさかったのがブレイズだった。
次のシートは決まらないのかと、しつこいくらいにメッセージを送ってきやがって。
いま思うと、心配してくれたんだと思う。
めんどくさい奴だということに、変わりはないけど。
「今年こそは、約束が果たせそうかな?」
俺はジョージと目線を交わし、互いに少し笑って見せた。
ブレイズとの、10年越しの約束。
スーパーカートの世界一決定戦で、相まみえるという。
あいつは今、ハトブレイク国でランキングトップだ。
あとは俺がマリーノ国でランキング4位以内に入りさえすれば、再戦は果たされるだろう。
「ブレイズ・ルーレイロの優勝は、知っとったんか……。なら、こっちのニュースはどないや? ハーロイン国で、ルディちゃんが初勝利」
「え? ケイトさん、本当かい?」
ハーロイン国のスーパーカート選手権は参戦台数が多く、レベルが高い。
自動車メーカーが4社も参戦していて、かなりの激戦国だ。
いくらルディでも、優勝は難しいと思ってたんだけど――
みんな、頑張っているなぁ。
俺も負けちゃいられない。
そう決意しながら、一気にコーラを飲み干した。
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サーキットが、夕暮れに染まり始めた頃――
帰り支度を終えた俺は、チーム所有のバンに乗り込もうとしていた。
そんな時、中年のオッサンが呼び止めてきたんだ。
「ランディ、ランディ。ちょっといいか? 話があるんだが……」
顔はいかついのに、頭上から可愛らしいウサギの耳を生やした獣人のオッサン。
その正体はレイヴン自動車メーカーチーム、「ドリームファンタジア」のディータ・シャムシエル監督。
敵チームだけど、以前から俺を高く評価してくれている人だ。
俺はバンを運転してくれるベッテルさんに、「ちょっと待っていて欲しい」と告げてからディータさんの後を追った。
夕焼けの中、ピコピコ動くウサ耳がいい目印だ。
グランドスタンドまで行って、ようやく俺達は足を止めた。
いくらこの世界のモータースポーツ人気が高いといっても、レース終了後の観客席にはほとんど人が残っていない。
スタンドの最上段、樹脂製の椅子に腰かけたディータ監督。
彼は俺に、隣に座るよう促した。
「ランディ。去年は力になれなくて、すまなかったな。俺にもっと発言力があれば、お前は去年から『ドリームファンタジア』のドライバーになっていただろう」
「そう評価していただけるのは、素直に嬉しいです」
これは本音だ。
自動車メーカーチームの監督が、俺を獲りたかったと言ってくれている。
レイヴンという自動車メーカーには、特に憧れていた。
なぜなら俺のヒーロー、アクセル・ルーレイロが契約しているメーカーだからだ。
そこの監督から評価されて、嬉しくないはずがない。
「そうか……。実はだな、ランディ。来年はウチのダレルがカートを卒業して、TPC耐久に専念する予定になっている。スーパーカートでは、『ドリームファンタジア』のシートがひとつ空くということだ。……それでだな、ランディ。俺は未だに、お前が欲しいと思っているんだ」
あらやだ!
告白ですか?
監督ったら、大胆!
でも、ごめんなさい。
俺はオジサマより、お姉さんが好みなんです。
――なんてボケが、頭の中で繰り広げられた。
ボケないと興奮のあまり、頭がおかしくなってしまいそうだったから。
「ランディ、お前……。来年、レイヴンワークスのドライバーになりたくないか?」