ターン71 久しぶりのレースだぜ!
樹神暦2632年4月
スーパーカート選手権開幕戦
ラウンド・アンド・ラウンドサーキット
俺はマシンの運転席に収まっていた。
今はレース開始直前。
各車コース上のグリッドにつき、レース開始を待っている状況だ。
この時間はチームのスタッフが、ドライバーとマシンに近づいてもいいことになっていた。
「お兄ちゃん、暑くはない?」
妹のヴィオレッタはそう言いながら、俺にサーキットパラソルを差して日陰を作ってくれる。
ポールの奴は「ストライクゾーン」じゃないとか失礼なことを言ってたけど、ヴィオレッタは今年13歳とは思えないほど発育が良い。
スラリと背が高くて、高等部生徒と言っても通用しそうだ。
そんな彼女は今、レースクィーンとしてコスチュームに身を包んでいた。
「シルバードリル」の衣装はキンバリーさんの趣味なのか、メイド服モチーフだ。
肌の露出は少な目だけど、所々にフリルがついていて可愛らしい。
頭には、ホワイトブリムまで載せている拘りよう。
だけど一方で、レースクィーンらしいピチッとしたカッコ良さも兼ね備えたコスチュームだ。
銀と黒のコントラストも素晴らしい。
そんな魅力的な衣装に身を包んだ妹を見ていると、兄としてはとても心配になる。
どこぞの馬の骨どもが、卑猥な視線を向けていないかってね。
父方似で色白な俺と違い、ヴィオレッタはダークエルフである母方祖母似。
褐色の肌をしている。
エキゾチックで、将来性を感じさせる美人顔だ。
ふっ。
可愛すぎる妹を持つと、兄は苦労するぜ。
もう1人のレースクィーンは、キンバリーさんが務めている。
俺のチームメイト、ポール・トゥーヴィーのマシンに付いているはずだ。
ポールの奴は俺よりだいぶ予選タイムが悪かったから、かなり後方のグリッドにいる。
ここからじゃ見えない。
俺?
俺は予選5番手。
前の4台は、全て自動車メーカーチーム。
個人参加チームの中では、俺がトップの位置だ。
「大丈夫だよ、ヴィオレッタ。まだ4月だし、今日の日差しはそんなに強くない」
暑くはない。
まだ午前中だということもあって、気温はそんなに高くなかった。
日差しが全くなかったら、肌寒いぐらいだろう。
レースクィーンコスチュームのヴィオレッタとキンバリーさんが、寒くないか心配だ。
「私が走るわけでもないのに、ちょっと緊張するわ。お兄ちゃんはあがり症なのに、ハンドル持つと平気なのね」
何が平気なのかというと、観客の視線。
普段のスーパーカート選手権は、何千人も観客が見ているわけじゃない。
ところが、今日は違う。
観客席にはお客さんがたくさん入っていて、レースのスタートを待ちわびている。
今日の俺達は前座――サポートレースってやつだ。
お客さん達の目的は、このあと午後から開催されるチューンド・プロダクション・カー耐久選手権の開幕戦。
前日の予選と合わせて、3万人ぐらいがこの「ラウンド・アンド・ラウンドサーキット」へと詰めかけて来ている。
当然スーパーカートのレースになんて、興味ない人達もいた。
だけど大半の観客は、注目している。
スーパーカートは、若手発掘のカテゴリー。
ここからステップアップしてTPC耐久や、さらにその上のカテゴリーであるGTフリークスに乗れるドライバーもいる。
みんな、期待の新人を探しているんだ。
俺達スーパーカートのドライバーにとって、今回はビッグチャンス。
TPC耐久のチーム関係者が見ているこのレースで活躍できれば、将来はお声が掛かる可能性だってある。
そう思うと、ハンドルを持つ手にも力が入る。
いかんいかん。
力み過ぎは良くない。
もうちょっと、リラックスするんだ俺。
そんな俺の心境を、メカニックのジョージ・ドッケンハイムには見透かされちゃったみたいだな。
「ランディ。珍しく、鼻息が荒いですね。久しぶりのレースですから、無理もありませんが」
「あ、やっぱり分かっちゃう?」
「君は、分かりやすいですからね。……安心して下さい。そんなにドライバーが頑張らなくても、ウチのマシンは速い。多少はミスしても、取り返せるんだと考えて下さい」
「へえ。うちのメカニックは、自信家だね。……ありがとう。かなり気持ちが、楽になったよ」
シーズン開幕前にチームを悩ませていた、マシンの操縦性の悪さ。
俺達はセッティング変更を繰り返し、なんとかそれを封じ込めることに成功していた。
安心して攻め込めるようになると、自然とタイムも速くなる。
よし!
もう、あれこれ考えるのはやめよう。
心を中立に保つんだ。
その方がきっと、いい結果が出る。
グリッドに並んだマシン達の前方で、スタート3分前ボードが提示される。
チームのスタッフが、退去を命じられる時間だ。
地球にいた頃から何度も体験しているけど、この瞬間はいつも心細い。
スタート1分前。
各車、エンジンに火を入れる。
俺もセルスターターのボタンを押し、エンジンを始動させた。
背中に感じるマシンの鼓動。
今まで乗ってきた地球のカートや、この世界で乗ってきたK2-100、NSD-125ジュニアのマシンはエンジンが右脇にあった。
それらと違って、MFK-400クラスのカートはシートの真後ろにエンジンが搭載されている。
背中のすぐ後ろから伝わる振動は、地球で慣れ親しんだフォーミュラカーを思い出させるぜ。
ちょっと、ノスタルジックな気分。
エンジンに火が入ると、孤独感が薄れた。
そうだったね、俺は1人じゃない。
俺とマシン。
2人ならきっと、何だってやれる。
やってみせる。
野獣のような咆哮を上げて、エンジンが応えた。
このパワーが、味方だと思うと頼もしい。
グリーンシグナル点灯。
俺はマシンをスタートさせた。
このスタートはまだ、レースのスタートじゃない。
1周のウォームアップがあるんだ。
パンパンとリズミカルに右手のシフトレバーを操作し、ギヤを6速まで上げる。
よし!
変速機の入りは絶好調。
続いて左右に車を振って、タイヤへの熱入れを開始。
頼むよ、タイヤちゃん達。
レースで勝てるかどうかは、君達にかかっている。
そんな風にマシンと対話していたら、あっと言う間にウォームアップ周は終わってしまった。
俺は再び5番グリッドに戻ってきて、マシンを停車させる。
――静かだ。
エンジンのアイドリング音しか聞こえない。
静寂を打ち破ったのは、サーキット内に響き渡る実況放送の声。
『全車、スターティンググリッドにつきました! マリーノ国スーパーカート選手権第1戦、ラウンド・アンド・ラウンドサーキット! 今、赤信号が……』
実況が聞こえたのは、そこまでだ。
1番左側の赤信号が点灯すると同時に、全車エンジン回転数を上げた。
400ccモンスター達の雄叫びが響き渡り、場内放送をかき消す。
レッドシグナルが左側から右側へ順番に点灯し、5つ目まで灯った。
左手のクラッチパドルに、俺の神経は集中する。
――青信号!
伝われ、エンジンの力!
それを受け止めろ、路面よ!
激流のように景色が流れる。
その流れの中に、飲み込まれたマシン達がいた。
レイヴンワークス、「ドリームファンタジア」のカーク・ヘッドフィールド。
そしてタカサキワークス、「ラウドレーシング」のニイラ・ヒグッツアン。
そのまま2台の姿は景色と共に流れ、俺の視界から消える。
次に彼らが姿を現したのは、バックミラーの中にだ。
タカサキワークスのもう1台と、レイヴンワークスのダレル・パンテーラは辛うじて俺の視界に踏みとどまった。
自分でも信じられないぐらいの、ロケットスタートが決まったんだ。
1コーナーまでに2台も抜き去り、俺は3位へと躍り出た。
ちょっとちょっと。
これは出来過ぎじゃありませんか?
あんまり調子がいいと、何か落とし穴があるんじゃないかと恐くなる。
そんなおっかなびっくりで飛び込んだせいか、俺の旋回速度は少々落ちてしまったみたいだ。
カークさんとニイラさんは1コーナーの進入で、俺を煽ってきた。
(どけよ! 個人参加チームのガキが!)
バックミラーに映る2人の視線は、露骨にそう言っていた。
「やだよ! 絶対に表彰台は、譲らないもんね!」
俺はバックミラーに向かって、舌を出す。
馬鹿な真似をやってたら、マシンの振動で舌を噛んでしまって痛かった。
なにやってんだよ? 俺。
走行中だしヘルメットも被っているから、俺のアッカンベーが見えたとは思えない。
だけど4位のカークさんは怒ったみたいに、猛チャージを仕掛けてきた。
コーナー手前のブレーキングで俺のバックミラーに自車を大きく映し、プレッシャーをかけてくる。
このスーパーカートからはバックミラーがついて、後方がよく見えるんだよな。
だけどプレッシャーをゴリゴリかける道具として使われるぐらいなら、ない方がマシだ。
くっそ~。
ニイラさん、もっとカークさんとやり合えよ。
カークさんはレイヴン。
ニイラさんはタカサキ。
あんた達、競い合っているメーカー同士だろう?
カークさんは俺と同じレイヴンエンジンユーザーなんだから、もう少し手加減してくれてもいいのよ?
俺の願いもむなしく、5位のニイラさんは4位のカークさんに仕掛ける素振りがない。
こりゃあカークさんが、俺を抜くのを待っているな?
――ああ、忙しい。
一瞬も息をつけない状況が、次から次へと襲い掛かってくる。
少しでも気を抜けば内側に鼻先を捩じ込まれ、俺は順位を落とすだろう。
俺が履いているアースシェイカーズタイヤより、レイヴンワークスが履いているブリザードタイヤの方が温まりやすいみたいだな。
つまりレース開始直後の今、俺は温まりの悪いタイヤでなんとか相手を抑えないといけない。
本当に、大変な状況だ。
だけど――
「く……」
思わず声が漏れる。
「くくっ……」
これは、苦痛のうめき声じゃない。
「くくくっ……。あっはっはっ!」
ダメだ。
もう感情を、抑えきれない。
楽しい!
俺は今、レースをやっているんだ。
1年ぶりにこの戦場へ、帰ってこれた。
そう考えると、笑いが止まらない。
そのまま俺は、ずーっと笑顔でレースを走り続けた。
チェッカーフラッグを受けるまで、3位を守り通したまま。