ターン70 泥沼セッティングと温泉
俺ら「シルバードリル」が本拠地にしているメイデンスピードウェイは、世界選手権クラスのビッグレースが開催できる国際格式サーキット。
カート専用コースに比べたら、かなりデカい。
コースは1周4.7kmもあるし、それに応じて周辺設備も大きい。
ピットは市販の自動車をベースにした、ツーリングカーの大きさを基準に作られている。
おかげで、かなりのスペースがあった。
スーパーカートMFK-400クラスのマシンは、カートとしてはかなり大きい。
だけどツーリングカーと比べたら、そこまでスペースを取るわけでもない。
そういうわけで俺とポールのマシン、2台を置いてもなおピット内はけっこう広い。
ただ、人口密度は高かった。
ドライバーの俺と、ポール・トゥーヴィー。
俺のマシン担当メカニックのジョージ・ドッケンハイム。
戦略担当でデータエンジニアのケイト・イガラシさん。
オーナー監督のマリー・ルイス嬢。
そして俺の妹で、マネージャー業務と様々な雑用をこなしてくれているヴィオレッタ。
他にも大人のスタッフである、ポール担当のメカニックが1人。
エンジニアが2人。
マリーお嬢様お付きの執事ベッテルさんと、専属メイドのキンバリーさんもいる。
ベッテルさんがチームロゴの入ったジャンバーを着ているのに対し、キンバリーさんはいつでもメイド服。
おかげで他所のチームからは、いつも注目の的だ。
チームメンバーはそれぞれが椅子に座ったり、壁にもたれかかったりしながら手元のクリップボードを眺めている。
みんな、表情が渋い。
クールに無表情なのは、ジョージぐらいのもんだ。
「あー……。いったい何が、いけないんスかねぇ?」
気まずい沈黙に耐えられず、言葉を発したのはドライバーのポール。
「何がいけないか、よく分からないのが問題なんですよ」
ジョージの指摘に、ポールのマシンを担当している大人のエンジニアも頷く。
「やっぱり、パッケージングの問題……なんかなぁ……?」
ケイトさんは、言いにくそうに切り出した。
パッケージング。
つまりはエンジンや車体、タイヤの組み合わせだ。
このスーパーカート選手権からは、マルチメイク。
複数の自動車メーカーやレーシングカーメーカーが、部品を供給している。
参戦しているチームは、それらの中から良さそうなものを組み合わせて使うんだ。
チームの政治的・資金的な理由から、選択の余地がない場合もあるけど。
我がチーム「シルバードリル」が、今年どんな組み合わせで参戦しているかというと――
まずエンジンは、レイヴン社製だ。
俺が憧れるアクセル・ルーレイロが所属する自動車メーカーだから、このエンジンを使うと聞いた時はテンションが上がった。
次に車体は、メタルゴッド社製。
メタルゴッドは自動車メーカーじゃなくて、カートの車体製造を専門にする会社だ。
そしてタイヤは、アースシェイカーズ社製。
市販車用タイヤの国内シェアでも2位につけてるし、モータースポーツでも確かな実績があるタイヤメーカーだ。
エンジン単体とかタイヤ単体なら、どこのチームでも使っているもの。
だけどウチと完全に同じ組み合わせにしているチームは、他に1チームもないんだよな。
かなり個性的な組み合わせといえる。
この個性的な組み合わせが、問題の一因になっているんだろう。
だからって今更、使用メーカーを変えたりは難しい。
資金援助をしてくれているメーカーや、マシンに広告を載せる代わりに安く部品を供給してくれている会社もあるし――
「とにかく、由々しき問題ですわ。一昨年ランディ様が出したタイムより、2秒も遅い。しかも、ドライバー2人揃って」
マリーさんはクリップボードを指でトントンと叩きながら、重い口調で告げた。
そうなんだ。
俺とポールは、揃ってタイムが出ない。
車の操縦性は、「乗りにくい」のひと言。
データロガーで分析してみると、低速コーナーから高速コーナーまで満遍なく遅い。
問題ある挙動を抑えようと対策を施すと、他の部分がダメになっての繰り返し。
まずいなあ――
季節はもう、3月の半ば。
シーズンが、開幕しちゃうよ。
どうすんべ――
「とにかく、今日の走行時間枠はもう終わりや。来週、思い切ったセットアップを試してみるしかないな」
ケイトさんの言う通り。
こうなったら多少セオリーから外れても、大掛かりなセッティング変更をしないと八方塞がりだろう。
こりゃ、大変だぞ。
重苦しい雰囲気の中で、皆は後片付けを始めた。
今日は、撤収開始の時間が早い。
このメイデンスピードウェイは、今日の午後から貸し切りイベントが入っている。
一般客向けの練習走行は、午前中で終わりなんだ。
「あ~、午後からヒマっスね。みんなでどっか、遊びに行かないっスか?」
今年からチームメイトになったこの小鬼族、ポール・トゥーヴィーは陽気な奴だ。
深刻な空気を読んでの発言なのか、全然読めていないのか、俺には判断がつかない。
ただポールの言う通り、遊びに行くのは賛成だった。
根を詰めてばかりじゃ、いい結果は出ないだろう。
気分転換が要る。
「ふむ、良いでしょう。ならばチームの親睦会と慰安を兼ねて、温泉に行きましょうか? この近くに、『ヘル・ドラド』と呼ばれる良い温泉旅館があるのです。もちろん、立ち寄り湯もありますわ」
「わお! さすがマリーさん! 話せるっスね!」
ポールに煽てられたマリーお嬢様は、これでもかっていうぐらいドヤ顔だ。
俺も、温泉に行けるのは嬉しい。
マリーノ国の温泉は、日本のヤツに近いんだよな。
風情溢れる岩風呂が、俺達を呼んでいる。
「マリーちゃん、男湯を覗いたらアカンで」
「ケイト様! ワタクシをあなたのような、痴女基準で考えないで下さい!」
「誰が痴女やねん! そりゃちょっとだけ、ランディ君の裸体には興味あるんやけど……。痴女やない言うんなら、アレをなんとかせぇへんとあかんで」
ケイトさんが指差した先には、キンバリーさんの姿があった。
ぬらりとした怪しい笑顔を浮かべながら、ビデオカメラを回す変態メイド。
うん。
今日も彼女は、残念美人だ。
雇い主であるマリーさんには、しっかり見張っていて欲しい。
キンバリーさんが、盗撮なんかしないようにね。
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「はぁ~。癒されるなぁ~」
俺は肩まで温泉につかり、しみじみと呟いた。
頬の筋肉が、緩みまくっているのを感じる。
いま鏡を見たら、蕩けきった表情をしているんだろうな。
なぜ温泉というものは、ここまで人を癒すのか?
泉質がどうとか、そういう理由だけじゃないんだろうな。
この雰囲気とか景観とかが、体と心の両面から癒してくれるからなのかもしれない。
狭いシートに押し込められ、こり固まった俺の肉体と精神。
それを広い岩風呂と、そこから見渡せる雄大な山岳地帯が解放してくれる。
異世界に転生して、2度目の人生でも露天風呂を味わえるとはね。
素晴らしいことだ。
日本から温泉文化を持ち込んだ、転生者の先輩達に感謝しないとな。
「え~っと……。どちら様っスか?」
いかにもチーム関係者ですといった立ち振る舞い。
しかし見覚えのない筋骨隆々なドワーフの出現に、ポールは戸惑っていた。
「ポール。その筋肉ダルマは、眼鏡を外したジョージだよ」
俺が教えてやると、ジョージは「その通りだ」とばかりにポーズを決めて筋肉をアピールした。
やめれ。
下半身は隠せ。
生えかけの角にはタオルを巻いて隠してるクセに、股間のロングソードは抜き身のままなんてな。
本当に、ドワーフ族の価値観はわからない。
「うへっ、マジでジョージさんっスか? 別人じゃないっスか」
ポールは大袈裟に驚いていたけど、俺には他にもっとビックリなことがあった。
「ベッテルさんも、凄い身体してますね」
鍛え上げられた体つき――というのもあるけど、それより驚いたのが体中にある無数の傷跡。
触れてはいけない事柄の可能性もあったけど、ベッテルさんは隠す素振りも見せていない。
だったらスルーするのも不自然だと思った俺は、思い切って話題にしてみる。
ベッテルさんも、自然な感じで答えてくれた。
「昔、紛争地帯で傭兵をしておりましてな」
傭兵さんが、どういう経緯で執事さんに?
キンバリーさんといい、ルイス家の使用人は不思議な人達ばかりだ。
こうして向かい合ってみると、ベッテルさんからは歴戦の勇士らしい凄みを感じる。
俺は基礎学校低学年だった頃、この人の追跡から逃げおおせることができた。
だけどそれは、ベッテルさんが俺を怪我させないよう手加減してくれてたからだろうな。
そうそう。
ポールの奴も、小柄だけどいい身体をしていた。
緑色の肌で覆われた筋肉が、無駄なく全身に張り付いる。
躍動感あふれる、体操選手みたいなイメージだ。
「な……なんか、ランディさんの視線を感じるっス。そっちの趣味とか、無いっスよね?」
ポールは俺の視線から体を隠すように、縮こまって肩を抱えた。
「無いよ! 俺は普通に、お姉さんが好きだ!」
堂々と宣言するような内容じゃなかったけど、まあいいだろう。
ここは男湯。
女の子達に聞かせられないような話も、許されるはずだ。
「ほほーん。そういえばランディさん、女の子の好みとか話すの初めてっスね。お姉さんというと、ケイトさんみたいな人っスか?」
確かに、ケイトさんは可愛い。
ただ、お姉さんという感じはあまりしないんだよな。
小柄だし、童顔だし。
「ケイトさんは素敵だ。でも、俺の好みは……。そうだな……。神話に出てくる、戦女神リースディース様みたいな女性かな?」
女湯の方向から、「なんやて?」という声が微かに聞こえた。
え?
ひょっとして俺達の話、女湯にも聞こえちゃってる?
「ほわっ!? 戦女神様っスか? いやあ~。ランディさんって、ロマンチストなんスね。なんか、もったいないっス。マリーさんもケイトさんも、それから海外に行ったルディさんも、絶対ランディさんのことを……おわあっ!」
ポールが言い終わる前に、壁の向こうから桶が2つも飛んできた。
華麗な身のこなしで、お調子者小鬼族は両方回避する。
「……お姉さんといえば、キンバリーさんはどうっスか? あの人、凄いんすよ?」
「凄いって、何が?」
小声になったポールに合わせて、俺も囁くような声になった。
さっきは女湯に、聞こえちゃってたっぽいからな。
俺の問いに、ポールはジェスチャーで応える。
自分の胸の前で、丸く何かを包むような動きだ。
――キンバリーさんの何が凄いのかは、一目瞭然だな。
俺はゴクリと、つばを飲み込んだ。
昔キンバリーさんが、キースの頭を谷間に挟み込んでいたシーン。
それが脳裏に、フラッシュバックする。
「ちょ~っとだけ、一緒に見学しないっスか?」
「ダメだ。覗き、絶対ダメ」
俺は紳士だ。
そんな真似、できるはずがない。
そりゃ見てみたいかと聞かれたら、見てみたい。
そんなに素晴らしいモノをお持ちなら、いちどは拝んでみたいというのが男心だ。
だけど――
「そうっスか? じゃあ俺っち1人で……」
ポールはカサカサとした不気味な戦闘機動で床を這い、そのまま女湯の壁によじ登ろうとする。
コイツ、俺と同じ転生者じゃないだろうな? 前世はゴキブリだろ?
「それ以上進むなら、容赦しないぞ。その壁の向こうには、ウチの妹だっているんだからな」
俺がドスの利いた声で脅すと、ポールは少し怯んだ。
俺だけじゃなく、ベッテルさんも洗面器を構えている。
いつでもポールを撃ち落とせるよう、スローイングの態勢だ。
執事として、お嬢様の裸を覗かせるわけにはいきませんよね。
ポールは茶色いGじみた動きをやめ、俺らの方を振り返った。
そして、こんなことを言い出す。
「え~! ヴィオレッタちゃんとかマリーさんは、俺っちのストライクゾーンからは外れてるっスよ。まだまだお子ちゃまっス」
言った瞬間、壁の向こうから洗面器が飛来した。
女湯に背を向けていたポールは、そのまま洗面器の直撃を受ける。
カポーン! という気持ちの良い音を立てて、洗面器はポールの頭にすっぽり被さった。




