ターン7 スカラシップって言いましょうよ
「なるほどな……。お前さんは、転生者ってわけだ」
ドワーフのおっさん――ドーン・ドッケンハイムさんは、値踏みをするような視線を俺に向けた。
「ランドール・クロウリィといいます。地球でも、レーシングドライバーだったんですよ」
プロじゃなかったけどね、とは付け加えない。
幸いにも転生レーサーの先輩方は、F1やインディカーの年間王者だったりする。
俺のことも、それぐらい凄いドライバーだと思い込んでくれたら有難い。
「ワシのことも、調べて来ているみたいだな」
「ええ、ラウネスネットで。ショップのウェブサイトとチームのブログ、いつも拝見しています」
ドーンさんはこのカートショップと、隣にあるカートコースのオーナー経営者。
そのコースを本拠地とする「RTヘリオン」の総監督でもある。
ちなみにラウネスネットっていうのは、地球でいうインターネットに当たるコンピューターネットワーク。
ビックリするぐらい、地球のネットと似通っている。
「最近、ブログにはロクなことを書いてなかった気がするな」
「だいぶ、悔しい思いをされているようで」
「ああ……。『レーシングトルーパーズ』のクソッタレ共に、連戦連敗中だからな」
自動販売機で買った、紙コップ入りのスポーツドリンク。
それを俺に差し出しながら、ドーンさんは苦々し気な表情で宙を睨みつけた。
たぶん、ライバルチーム達の姿でも幻視してるんだろう。
「『レーシングトルーパーズ』は、速い子が入って来たみたいですね。RTヘリオンだけじゃなく、他のチームも歯が立たない」
「ああ。オマケにあのガキ、ちょっと無双かましてるからって調子に乗ってやがる。生意気だぜ」
俺はスポーツドリンク入りの紙コップから口を離し、ニヤリと微笑んだ。
そしてドーンさんに、提案を持ちかける。
できるだけ魅力的に聞こえるよう、心がけながら。
「そのクソッタレチームと生意気なガキに、ひと泡吹かせられたら面白いと思いません?」
「ふふん。そしてその役目は、『自分にやらせろ』って言うのか? まあ、ウチから参加させてやるのは構わんが……。お前さん、カートを始められる環境にあるのか?」
ちょっと不安気な表情を見せたドーンさんに、俺は自信満々な声で答えた。
「心配しないで下さい。ウチの父さんは、大のモータースポーツファンです。全面的に、支援してくれることでしょう。……資金面以外は」
「1番大事なところじゃねーか! まさか、タダで乗せろって言うんじゃねえだろうな?」
ドーンさんの仰る通り。
お金の問題は、避けて通れない。
この世界では幼児用カートの定番として、KOR-50クラスというものがある。
このクラスのマシンは、新車価格が15万モジャぐらい。
――あ。
モジャっていうのはこの世界共通の通貨単位で、1モジャ≒1円ぐらい。
幼児のスポーツに、15万は高いだって?
実はこれでも、地球の半額くらいなんだ。
この世界はモータースポーツが盛んな分、レーシングマシンの値段が下がっているから。
いつも新車をポンと買ってくれた、地球の父さんには感謝しかない。
こっちのオズワルド父さんに、新車を買ってとねだるのは論外だ。
シャーロット母さんに怯えてはいるものの、根っこがモータースポーツ大好きな父さんのことだ。
我が家の家計を破綻させてでも、新車を購入しかねない。
マシン本体以外にも、タイヤ代、燃料費、カートコースの走行料金などなど、ランニングコストは恐ろしくかかる。
これでもカートはお金がかからない部類のレースの種類だったりするのが、モータースポーツのとんでもないところ。
「タダで乗せろとは、人聞きの悪い。奨学金って言いましょうよ」
「大差ないだろうが。お前さんがスカラシップを受けるのに相応しい、将来性のあるドライバーだという根拠は? 転生者っていうだけじゃ、ちょっと足りんな」
「ええ。ですから……」
この流れは、俺の予定通りだ。
大口を叩けばシートが獲得できるなんて、そんな甘い考えは持っちゃいない。
ドライバーは力を示さなければ、誰からの協力も得られないんだ。
いつだって、走りでね。
「オーディションで、俺を試してみませんか?」
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強い振動が伝わってきて、俺の全身を震わせた。
振動の正体は、右脇腹のちょっと後ろで唸るエンジン。
そして、路面から伝わるロードノイズ。
カートには乗用車みたいな遮音材や、緩衝装置が無い。
だからあらゆる情報が、ダイレクトにドライバーへと流れ込む。
俺はそんな振動の中、アクセルペダルを限界まで踏み込み続けていた。
加速していくと、キツく右方向に曲がり込んだヘアピンコーナーが迫る。
これだけ急なカーブだと、かなり減速しないと曲がり切れない。
非力で軽量な、幼児用カートでもだ。
素早く、右足のアクセルペダルを戻す。
同時に左足のブレーキペダルを、蹴飛ばすように強く踏み込む。
前方に放り出されそうな程の衝撃と共に、マシンは急激に速度を落とした。
ブレーキの勢いで、車体が前のめりに。
後輪が浮き気味になって、滑り出しそうになる。
滑るとタイヤの回転が止まってコントロール不能になる、「ブレーキロック」が起こってしまう。
だけど、そんなヘマはしないぜ。
俺は左足の踏力を微妙に抜いて、滑り出しそうな後ろのタイヤをなだめる。
同時にハンドルを、じわりと切り込んだ。
重い。
溝無しのスリックタイヤは、ものすごく路面に食い付く。
その分、信じられないほどハンドルが重くなる。
カートには、乗用車みたいなパワーステアリングは着いちゃいないしね。
キッズカートは前輪が小さいし、幼児が乗ることも考えてハンドルが重くなり過ぎないように作られている。
それでも、ずっしりとした手応えがあった。
だけど重いという手応えは、前輪がしっかりと路面を捉えている証拠。
「いいわ……。きて……。曲がれるわよ」
という、タイヤからのOKサイン。
俺はタイヤと綿密に対話しつつ、ヘアピンコーナーを旋回していく。
ハンドルを切らなければ曲がれないんだけど、切りすぎると抵抗になってスピードが落ちる。
だからあんまり、切りたくはない。
ちょっとでもタイヤに楽をさせたくて、俺は大きく弧を描く走行ラインを取った。
コーナーに進入する時は、コース外側を。
コーナーの中では、内側を。
そして出口ではまた、コース外側を走る。
アウト・イン・アウトと呼ばれる、モータースポーツの基本走行ラインだ。
コーナー内側の紅白に塗り分けられた縁石を、俺とマシンは舐めるように通過した。
そして失った速度を取り戻すべく、アクセルオン。
焦ってはいけない。
駆動輪である後輪にパワーを掛け過ぎると、タイヤは限界を超えて滑り出してしまう。
じわりと繊細に。
だけどなるべく早いタイミングで、大きく。
矛盾する2つの要素を両立させるアクセル操作が、レーシングドライバーには要求される。
シート越しに腰へと伝わってくる後輪の感触を確かめながら、俺は右足を踏み足した。
マシンを、さらに加速させていく。
そこへ唐突に、左後輪から抗議の声が届く。
「アンタ! いったいどこ走っているのよ!」
と。
ヤバい!
外側の縁石に、タイヤを乗せ過ぎた!
ヘソを曲げた左後輪ちゃんは、仕事を放棄。
マシンは一気にバランスを崩し、コーナー内側へと巻き込んでしまう。
スピン状態に、突入しそうだ。
そんなことはさせまいと、俺は逆ハンドルを当て、車を立て直そうとした。
だけど左後輪ちゃんの怒りが、勝ったようだ。
俺の乗るマシンはその場でクルリと1回転し、進行方向とは逆に鼻先を向け停まってしまった。
スピンだ。
俺は両手を高く振って、後続車に危険をアピール。
今回は俺以外に、走ってる人はいないんだけどね。
同時にこの動作は、父さんへのアピールでもあった。
「父さん、計測中止! スピンしちゃったよ!」
叫ぶと同時に、俺は両眼を開いた。
その瞬間、景色はサーキットから家のリビングルームに変わった。
手に持っていたステアリングは、丸いお盆に。
乗っていたカートは、子供用の低い椅子へと変身する。
そして眼前には、ストップウォッチを構えたパジャマ姿の父さんが現れた。
「イメージトレーニングだっていうのに、横で見てて鬼気迫るもんを感じたぞ? 乗ったことないマシンに、走ったことないコース。それなのに、どれぐらい攻め込めばスピンするとか分かるもんなのか?」
「オーディションで乗るマシンは、走る姿をコース外からよく観察していたから。コースに関しては、車載カメラの映像がネットの動画サイトに上がってたのを何度も見たし」
「それだけで詳細にイメージできるってのは、やっぱりスゲエと思うけどな。……もう1回、やっとくか?」
父さんの提案に、俺は頷いた。
椅子に座ったまま、再びお盆をハンドルのように構える。
そして目を閉じ、再び魂をドッケンハイムカートウェイへと転送しようとした時だった――
「あなた~! ヴィオレッタが、上がるわよ~! 体を拭いてやって~!」
風呂場からの緊急招集。
父さんはバスタオルを掴むと、プロのレーシングメカニックも真っ青なスピードで駆けだした。
今夜はもう、終わりだな。
イメージトレーニングしているところを、ヴィオレッタや母さんに見られるわけにはいかない。
俺はお盆や椅子、ストップウォッチを片付けた。
部屋のカーテンを少し開け、夜空に輝く2つの月を見つめる。
ルナとナル。
それぞれの月には双子の神が住み、地上の人々を見守っていると言い伝えられていた。
月を見る度、ここが地球ではないことを実感させられる。
異界の星空に向かい、俺はそっと呟く。
「地球の家族は元気なのかな? 父さん、母さん、兄さん……。俺はこの世界で走るチャンスを、掴んでみせるよ」